林家正蔵のオーラ診断
高座に上がっている父。顔がいつもほころび、それにおどけて見せる。これに目の前の客は引き込まれ大笑い。私もついつい袖でほくそ笑んでいました。ところが弟子入りした途端。形相が一変。叱る。鉄拳を振り落ろす。すべてが計算でした。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1962年12月1日
出身地 東京都台東区根岸
本 名 海老名泰孝(えびなやすたか)
血液型 A型
学 歴 東京都立竹台高校卒
所 属 落語協会
父・三平
林家が父親の事についてこう語りはじめます。
「子供の頃のことです。私は落語と言う職業のことをまったく分かりませんでした。近所でいつも一緒に遊んでいる子供らも同様でしたので、私はいつも友達からこうからかわれていました。
『お前の父ちゃん、いつも客から笑われてら~』
この事がものすごく悔しくて、母親にこう話していました。
『父ちゃんなんか落語家を辞めちゃえばいい!』
すると母親の拳が私の頭上に飛んできてこう言います。
『人様に笑って貰ってるおかげで、あたしらの今があるんだろうが!』
「そして、この日の夜中のことです。」
「母親が私を叩き起こします。連れて行かれた場所は父親の部屋でした。ここをそっと覗くと、そこにいたのは、普段の表情とはまったく違う父親の顔です。原稿用紙に向かいネタを考えているその姿に子供ながら芸人魂を感じることができました」
全ては計算
この事について美輪がこう言いだします。
「この落語の世界は、真面目な姿を見せると商売になりません。真面目なところを見せると客がしらけてしまいます。だから、日常生活から自分をどう見せるか、すべてで計算しているのです。」
「あなたのお父さんの三平さんは、古典落語のタブー(立ち上がってはいけない、音楽の演奏者が見えてはいけない、客いじりをしてはいけない)を全て無視した方。この事に多くの批判もありました。」
「どの世界でも開拓者を潰そうとする人がいます。でも、ほとんどが劣等感。気にする必要はありません」
落語家を決意
ここで林家がこんな事を話し出します。
「私は父親から『私の後を継ぎなさい』とか『落語家になりなさい』と一度も言われた事がありません。しかし実弟(二代目 林家三平)は幼い頃からこう言われて育てられていました。」
『将来、私の後を継いで落語家になりなさい』
「私が15歳の時の事です。祖母(歌)からこう言われます。」
『泰孝。あなたは将来。落語家になるのですよ』
「こう勧められましたので目指す事にしました。それは、昔は15歳になると元服(男子が成人になった事を表す儀式)で一生の仕事を決めていたからです。」
「そして、自分は祖母を喜ばせてあげようと思い落語家になることを決めたのです」
厳しい師弟
「私は1978年、15歳の時に父親である初代 林家三平に弟子入りします。芸名は林家こぶ平。いつも優しい父親が師匠になった途端。ここから親子関係は無くなりました。とても、厳しい師匠で弟子の中でも私は一番殴られていました」
我が子への愛
この事について美輪がこう言いだします。
「一番愛している息子に立派になってもらいたい。これは愛のムチです。どうでもいい人には厳しくしません。それに、厳しく接していたのは、他の弟子から可愛がってもらうためです。もし、優しくしていたら、弟子が邪険になるからです。これ、全てが計算なのです」
されに江原がこうつづけます。
「お父さんの三平さんは正蔵さんの事をいつも可哀そうに思っていました。それは、正蔵さんが周りから傷つけられていたのを知っていたからです。三平さんは繊細な人で周りの陰口や批評を気にしていました。この事に心が本当に傷ついていたのです」
初代・三平の他界
ここで林家がこの事についてこう話し出します。
「1979年の正月の事です。師匠・林家三平が脳内出血で倒れ病院に入院。右半身麻痺と言語障害となってしまい、落語家にとっては致命傷と言われる病にかかってしまいました。」
「本人のリハビリ訓練の努力もあり同年10月には高座に復帰できました。しかし、翌年の9月18日、今度は肝臓ガンで再び入院です。そして、その2日後の20日に永眠いたします。」
「私と師匠の三平との師弟関係はわずか2年、直接の指導を受けたのが9カ月でした」
三平の前世
ここで江原が他界した林家三平の前世をこう言いだします。
「前世は西洋のコメディアンです。現在、お見えになっている姿は燕尾服を着てシルクハットを被っています。今世で好きな音楽はシャンソンやジャズ、コメディーも好きでした。」
「前座時代はバンドの付き人をしていたほどです。本当は落語ではなく、コメディアンかミュージカルをやりたかった方です」
ここで正蔵がこのような事を話します。
「フランスが好きで亡くなる数年前にフランスに旅行をしています」
襲名の訳
ここで林家が江原にこう尋ねてきます。
「こぶ平から三平を襲名するとみんなが思っていました。でも何故、正蔵を襲名したのかが聞きたいです。三平の襲名は実弟のいっ平が襲名予定になっています」
この事について江原がこう答えます。
「あなたの父親の三平さんは本当に才能がある方でした。でも、正統的な落語がどうしてもできなかった。この思いがずっとありました。」
「もっと古典落語を勉強したい。そう思ってもいました。正蔵は性格的に地道ところがあり古典落語が合っている。だから一切任せたい。この思いがあったからです」
笑いの渦
それに ”心から笑っているか?”と三平さんはおっしゃっておりますよ。それに、立場が重くなってくると、どうしても笑う事が少なくなってしまう。この時は無理してでもたくさん笑うこと。毎日を笑いの渦にしなければならないのです」
この事に林家がこう答えます。
「今、自分でも筋のいい話をするだけでなく、笑える落語をするべきだと思っていたところです。この思いが胸のど真ん中にあります」
自分の笑い
つづけて美輪がこう言います。
「父親の三平さんは客をいつも爆笑させていましたが、同じ笑いじゃなくていい。クスッと笑わせることも大事になります。真面目に可笑しなことをする。という笑いを取っていくことも必要になっていきます。」
「でも、三平さんの笑いを意識してはいけません。自分の笑いを作っていくこと。何かを真似ていくことが全てではありません。」
「名前は記号です。名前を変えたからと言って人間そのものが変わる訳ではないのです。自分の持っている資質で勝負するばいい。芸を高めることに専念すればいい。ここのところが一番大事なところです。」
「実直で真面目だと視野がどうしても狭くなります。だから、正蔵さんはオーラの泉に呼ばれたのです。この事は偶然ではなく必然なのです。」
家族のトラブル
ここで林家がこんな事を言いだします。
「実は正蔵を襲名してから、家族の間でのトラブルが結構起き初めています」
この事に江原がこう答えます。
「必然もありますが、原因があって結果が出ています。災いのようにやって来る不幸はなく、その種まきをしているからになります。今、色々と起きる問題。これは全て勉強です。」
「ここで、間違えてはいけないのは、何でも手を出して助けることが善では無いことを学ばなければなりません。手を差し伸べること、そのものがその人にとって邪魔になることも時にはあります。突き放す時は突き放すこと。」
「そして、本当に必要な時に手を差し伸べることです。これも学びです」
受賞
2015年、文化庁芸術祭賞、大衆芸能部門関東参加公演の部 優秀賞を受賞。
劇団
2017年5月『WAHAHA本舗』最後の全体公演となる「ラスト3〜最終伝説〜」東京公演に、33年ぶりに出演する。
テレビドラマ
2018年1月7日、NHK大河ドラマ「西郷どん」大村益次郎 役で出演。
2019年3月10日「必殺仕事人2019」諏訪守忠悦 役で出演。
2019年5月10日「大富豪同心」語りで出演。
映画
2019年2月22日「あの日のオルガン」藤木勝男 役で出演。
次は「加藤茶のオーラ診断」