川嶋あいの前世と現在をオーラ診断 不思議な体験 ペンダント

川嶋あいのオーラ診断

数年ぶりにピアノのレッスンの先生にお逢いしました。私の顔を見るなり先生は隣の部屋からある物をもってきたのです。それは、素敵なペンダントでした。そして、昨夜の夢の話をこうしだします。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1986年2月21日
出生地 福岡県福岡市早良区
本 名 川嶋あい
血液型 A型
学 歴 クラーク記念国際高校卒
事務所 ダブルウイング

スピリチュアルチェック
○ 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「歌手です」

○ 好きな言葉は何ですか?
「ネバーギブアップです」

○ 将来の夢は何ですか?
「歌を歌い続ける事と、人の為に役に立てる人になる事です」

○ 不思議な体験は何ですか?
「成人式の日に無くしていた母のペンダントが見つかった事です」

○ 運命を感じた事はありますか?
「母との出会いとスタッフとの出会いです」

母親との出会い
川島がこの事についてこう話し出します。
「父親が行方不明のまま、産みの母親が私を出産するのですが、3歳の時に亡くなってしまいました。そして、児童養護施設に預けられます。この時、育ての母親に出会います。」

「この施設に両親がやってきた時、私は本当の父親と母親が迎えにきてくれたと感じていました。家に帰った時も、やっと実家に戻って来た。そんな感覚でした。なので、施設には一時的に預けられていると思っていました」

つづけてこう言います。

両親の印象
「その母親のことなのですが、性格は常に豪快そのも。なので、姉御的な存在感がいつも漂っていました。そして、父親のことになりますが、いつも冷静に振る舞い慈悲深い人でした。いつも養護施設には色々なものを寄贈したりしていました」

このような環境の中での自身の事をこう言います。

音楽との出会い
「私は、幼い時から人見知りが激しく泣き虫でした。そこで、この内向的な性格を改善させようと母親が歌を歌わせるため音楽教室に通わせたのです。そして、二言目には歌手になれと言われてもいました」

養女と知った瞬間
「中学1年生の時でした。家の金庫の中にあった書類を見て、私が養女である事を知ります。産みの母親の事を考えましたが、全く記憶にありませんでした。」

「この時は心に強いショックを感じましたが育ての母親は明るく、優しい笑顔で接してくれましたので、心のショックは大分やわらぎました」

父親の他界
「育ての父親が他界したのは私が10歳の時でした。父、54歳です。何不自由なく暮らしていたのですが、引っ越しをするたびに住む家が小さくなっていきました。本当に生活が苦しかったです。そんな中で音楽だけが唯一の希望でした」

歌手としてのデビュー
「中学2年生の時に『十六恋ごころ』演歌歌手としてデビューしましたが、全く売れませんでした。数か月で歌手を断念し博多から、まったくつてもない状態で上京して堀越学園に入学しました。その後、芸能事務所は解雇の連絡をよこします。」

「何をどうしていいのか。まったくわからず、どうしようもできず、母親に連絡しましたらこう言われました。」

『もう少し頑張れ』

新たな出会い
「ここから1年間、何をどうしてよいのか、まったく分からない状態がつづいた時でした。ふらっと、渋谷に出掛けた時です。そこにいたのはストリートミュージシャン。
これを見かけた時に”あ!これだ!”と何かが私の心の中を走ります。」

「そして、路上で歌うことにしました。そんな路上で歌っている時のことです。現在のスタッフに出会ったのは。」

別れ
「再デビューの1ヶ月前の事です。母親が他界しました。これで私も16歳で天涯孤独の身となったのです。母にこのデビューの姿を見せる事ができずに、とっても悔しかった」

ここで江原がこのような事を言います。
「お母さん、知っていますよ」

そして美輪もこうつづけます。
「これはお母さんが仕組んだのよ」

徳の預金
つづけて美輪がこのような話をします。

「良いスタッフの出会いは、運命を感じさせてくれます。お父さんも徳を積んでいらしたから。人を幸せにすれば、幸せが返ってきます。お金の貯金よりも、徳の預金の方がありがたいのです」

これに対し川嶋あいがこうつづけます。
「父親の影響もあって、世界中で苦しんでいる人の為に何かをしたり、歌を通して伝えていきます」

不思議な体験
この事について川嶋がこう話し出します。
「成人式の日に福岡市に帰りました。その際、以前通っていた音楽教室に立ち寄ると先生が母親のペンダントを私に渡してくれました。」

何だろうと思い。この理由を先生に聞くと。こう話し出します。
「昨夜、夢の中にあなたのお母さん出てきてこう言いました。」

『娘が20歳になったらペンダントをくれる約束をしていたから、先生これあげて。』

と言われたの。

「そこで、はてな?と思いながら家中を捜してみると。このペンダントを見つけることができたのよ」

「このペンダントは指輪とお揃いでした。16歳の頃に川嶋は母から指輪をもらい、ペンダントは無くなっていたと思っていたのですが、母が先生に預けていたものだったのです。」

人を見抜く力
この事を聞いた江原がこう話し出します。
「実際には20歳になったらペンダントをあげるという約束はしておりません。これは約束ではなく、川嶋さんが子供の頃、母親にいつも大事にしている指輪とペンダントが欲しいと言っていたのです。だから夢の形でこのような形で先生に伝えたのです」

「川嶋の母は旦那を亡くした後、だいぶ苦労を重ねてきました。それで、良い人と悪い人を見抜く力を得ていたのです。音楽の先生にペンダントを預けたのは、信用できる人だったからです」

さらに江原がつづけます。

母の幼少期と同じ
「女が一人で子供を育てていく、いつ自分の身に何かが起こるか分かりません。この事を常に考えていました。お母さんは、幼いときから家族関係で苦労していました。」

「父と結婚し、唯一の身内になってくれた人だったのです。この時、初めて信じられる人に出会ったのです。そして、母は川嶋あいの事を自分の幼少期の頃のようだと話しています」

オーラの色
一番強いオーラは赤(頑固で情熱的)普段はもの静かで過ごしているも、中にある闘志は非常に強い。青(知的で冷静)も強いです。意見を求めず、まず自分で考える。シルバーも強く、自分の道は自分で行く。このタイプです。

守護霊
和服を着た舞踏家の女性です。この方がこう言っています。
「男には騙されないようにすること。ダメな男を好きになる可能性もあります」

前世
アジアの女性です。育ての母は、前世では本当の母でした。

「自分が果たしたい目的がありました。この事を母親に相談するも反対されます。それを振り切って都へと出ていきます。」

「2人の仲が悪かった訳ではありません。ただ、自分の願望があまりにも強かったのです。その後、都で結婚をして幸せな生涯を過ごすのですが、母親にたいしては罪悪感がいつもありました。この前世の思いがあり、今世では一緒になっているのです。」

母親からのメッセージ
「川嶋あいが幼い頃、育ての母親に初めて出会った時、お互いがどこか縁があると感じ、違和感がなく溶け込んでいったのは前世の思いがあるからです。」

ここで、この母親からこのようなメッセージが届きます。
「これから海外に出て行くには、まずは足元をしっかり固めること、怖気がなくなって良かったです」

さらに江原がこうつづけます。

父親も前世で縁
「育ての父親も前世でご縁があります。この方は、宣教師をしていて川嶋さんの相談相手でもありました。この時、母親ともお逢いしています。」

「今世の育ての父親は、哲学者で朗らかで人生の事や人の事を考えているも、一体、何を考えているかが分からない人でした。」

「今世で早く亡くなったのは、ノルマを完遂させたためです。若くして亡くなったから不幸だとは限りません」

人生経験
「あの世があるという事実があると無いとでは大違い。あの世の存在を認めると、この世のあり方をもう少し俯瞰して見ることができるのです。川嶋さんも辛い経験があったからこそ、それが肥やしとなって、今、歌が歌えているのです」

人間が生きていく苦労は平等
「人はあらゆる人生を経験するために生まれ変わります。人は顔も違うし、人生も違います。いずれは生まれ変わって あらゆる人生のパターンを体験しクリアしなくてはいけません。人のために涙するのは、辛さが分かる同じ経験があるからなのです。」

幸せの数を数えよう
色々な経験を積んでいる魂の人は、幸せの数を数えます。まだ、未熟な魂の人は、不幸の数を数えます。この世の中を見てみると、不平不満を数えるのは上手です。しかし、幸せの数を数えれば、いくらでも幸せになれるのです。

現在
川嶋あいと仲間らが「国際協力NGO アイ ラブ ワゴン」を設立し国際的貢献をし校舎やトイレ、井戸などを建設している。

自らもこの活動に参加したくなりました。

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