デヴィスカルノのオーラ診断
19歳の時に東日貿易の秘書という名目でインドネシアのスカルノ大統領の元へと送り込まれ、後に第3婦人に。65年にクーデターが起こります。そして亡命先は・・・。これを聞いて驚きの声をあげてしまいます。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1940年2月6日
出生地 東京都港区麻布
本 名 ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)
日本名 根本 七保子(ねもと なおこ)
血液型:A型
スピリチュアルチェック
〇 毎日欠かさずにしていることは何ですか?
「お花いじり」
〇 小さい頃なりたかった職業を教えてください。
「貴婦人、オペラ歌手」
〇 好きな食べ物は何ですか?
「お豆腐と納豆」
〇 最近、腹が立ったことを教えてください。
「クールビズ」
〇 霊感はありますか?
「ある方だと思います」
花いじり
デヴィ夫人が花いじりの事についてこう言います。
「毎日のように沢山の方からお花が届くので、2時間ぐらいは花いじりを欠かせません。花から生気を頂いている感じがしてとっても気持ちがよくその日の疲れが取れますね。」
ここで美輪明宏がこう言います。
「デヴィ夫人の一番素敵なところは物を大事にすること。この事で物が大事にされたいと引き寄せられるのです。大事にしないと品物が寄ってこなくなります。花を大事にするから花が毎日近寄ってくるのです。」
貴婦人
デヴィ夫人は若い頃から貴婦人になりたいと憧れを抱いていました。そのため、フランスやロシア文学を学び、いつも自分がその主人公になりきり、ドレスや髪型までも自分にあてはめ想像しながら、専門誌を読み漁っていのです。
スカルノ大統領の夫人の地位に就いたあと、インドネシアでクーデターが起こります。そして、パリに亡命。この時、この地で飛び跳ねて喜び楽しんだそうです。
よく、願いは叶うと言いますが、このような形で神が叶えさせてくれるとは驚きです。
社交界は競う場所
ここで美輪明宏がこう言います。
「社交界というところは美を競う場所です。財をどのように芸術的に使うかです。芸術的に使えない方が多く存在します。会話の内容も洒落ていて、お食事もそうです。色々な知識を持っていなければなりません。この社交界は競う場所ですが、決して競う姿を見せてはいけない場所でもあるのです。」
社交界の裏
「本当に華やかな場所で素敵な空間です。しかし、そんな場所でも腐っている人間が多くおります。対面は良い顔をするも、その裏では愚痴や陰口が多く恐ろしいところ。」
「その点、デヴィ夫人は大統領夫人というタイトルあり、財力も美しさも持っていました。だからすぐ花形になれたのです。」
オーラの色
金(英知で崇高)銀(古風で地味)青(冷静で知的)赤(情熱的で理想家)の4色で赤と青のオーラの色がはっきりと分かれています。情熱的な部分もありますが非常に冷静です。本当に真っ正直で嘘は大嫌い。金のオーラは色々な事を積み経験しなければ現れません。
守護霊(補助霊)
守護霊は弟で補助霊はお父さんです。弟は今、微笑んでいて多くを語ろうとしません。そして、お父さんは、なぜか行者の格好をしています。「修行三昧」この気持ちがあるようです。
この弟なのですが、実は自ら命を断っています。
その弟へデヴィ夫人がこうメッセージを送ります。
「弟には本当に不憫なことをしてしまいました。寂しい思いをさせてしまい、本当に心から詫びたいです」
弟を救えなかった
これに江原はこう言います。
「弟さんはそうは思っておりません。弟さんは小さい頃、一緒に綿菓子を食べたことがすごく思い出になっています。
ここで国分太一がこう疑問を述べます。
「失礼ですけども、何を申し訳ないと、弟さんに思ってるんですか?」
これにデヴィ夫人がこう言います。
「弟を死から救う事は出来ませんでした。なぜ、自殺を考えるまで、悩んでいた事をなぜ私が気が付いてあげれなかったのか。この事です」
頭の中がいっぱい
「日本から『ハハ、キトク。スグカエレ』って電報が来て、もう最後の親孝行と思いましたから。40日間、毎日毎日、母の看病に付きっきりだったんです。」
「そして、母親が亡くなり、早稲田大学に通っていた弟と、二人きりになったから強く生きましょう、と思ったのですが、口に出して弟には言いませんでした。お葬式の事と夫のスカルノ大統領のことなどで頭がいっぱいで、弟の精神状態まではわかりませんでした。」
ガスが充満する部屋
「その後、私(デヴィ夫人)の誕生日の日に、けたたましく電話が鳴り響きました。
そして、弟のアパートへ駆けつけてみると、ガスの臭いが充満している中で、弟が倒れていました。私は弟をなぜ救えなかったのか、という一生の傷、原罪意識が残ったのです。」
愛情の掛け違い
江原がここでこんな事を言います。
「弟が言うには予見することが出来ないこともあります。わからなかった、ということを責めてはいけません。」
これにデヴィ夫人が。
「愛情のかけ方が間違っていたのではなかと思います。二十歳前後のころ、弟にすごく期待をしていて、もっと強くなれと、とても厳しくしていました」
姉を愛する弟
ここで美輪明宏がこのようなことを。
「弟さんにとってデヴィ夫人は母だった。小さい頃は、おぶって育てていました。姉というよりも母だったの」
最後に江原がこうまとめます。
「弟さんは、お姉さんのこと愛しているとおっしゃっています。その言葉一言に尽きると思いますよ。」
デヴィ夫人の若い頃
1956年、16歳の時父親が亡くなり高校を中退しました。
体の不自由な母親と弟を抱え、色々なアルバイトをする中で、赤坂の有名な高級クラブ「コパカバーナ」で働きだします。弟を学校に行かせながら、私も英語を身につけるため学校に通いました。やれることはすべてやり遂げるようにしました。
裏で操る男
1959年、19歳の時です。インドネシアの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目でスカルノ大統領の元に行くことになります。これはあくまで名目で「夜の秘書」との噂も囁かれていました。
若く妖艶で知的な日本人女性を裏で操っていた一人の日本人男性の名前が聞こえてきました。その男の名は、政財界の黒幕と言われる児玉誉士夫。
インドネシアに渡って3年後の1962年。スカルノ大統領と結婚。第3夫人となります。
現在
2018年3月8日「LOCONDO」の新CM発表会に出席し2メートルものハイヒールに座り「私自身を演じるだけでよかったので楽しかった」と笑顔。
のれんをくぐると、贅沢な材料を用いた妓楼建築(ぎろうけんちく)が伺える。令和の現在ではもう見ることができない作り。その他にいたっても昭和初期のものばかり。まさしくインスタ映えする寿司屋といえる。
ますみ寿司 昭和レトロが残る 浅草オーラ散歩
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