未唯mieの前世と現在をオーラ診断 エネルギーの源

未唯mieのオーラ診断

デビュー曲が予想以上に大ヒット。これほどまでになるとは誰も予想しておりませんでした。毎日、毎日歌い続ける日がつづきます。睡眠時間もまったくと言うほどありません。でも、ここまで頑張れたのは、こんな理由からです。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール

生年月日:1958年3月9日
出身地:静岡県静岡市葵区
本 名 根本美鶴代(ねもとみつよ)
血液型 A型
身 長 163センチ
学 歴 静岡県 常葉高校

ピンクレディー
未唯がピンクレディー誕生についてこう話し出します。

「私は1976年、萩本欽一さん司会の番組『スター誕生』に高校の同級生・増田惠子の二人で出場しピーマンの『部屋を出て下さい』を歌い見事合格しました。」

「その後、フォークデュオ『白い風船』としてデビューの予定でいたのですが、全く異なるキャラクターにプロデュースさせたいと音楽プロデューサーの飯田久彦さんと作詞家の阿久悠さんが反対します。」

「そして、手足を露出した衣装とリズムがパワフルで面白い歌をテレビで披露させたいという思いからピンクレディーが誕生しました。」

「この企画を立案した阿久悠さんに初めてお会いした時のことです。睨むような感じで面接を受けましたので、蛇に睨まれた蛙のような状態でとっても怖かったです」

この事について美輪がこう言います。
「本人は普通の表情で本気で真剣に聞いていたのです。睨まれているように錯覚したのでしょうね」

時代の先取り
「この阿久悠さんのこの企画をレコード会社は全くというほど期待をしていませんでした。ところが、デビュー曲の『ペッパー警部』は阿久悠さんの狙い通り大ヒットを飛ばし累計売上は105万枚を突破。」

「ピンクレディーは一躍大スターに上り詰め、その後の10曲の作詞も阿久悠が務めミリオンセラーを記録します。まさしく、この時代を先取りした作品だったのです。」

エネルギーの源
この時の多忙さを未唯はこう振り返ります。

「とにかく仕事に切れ目がまったくありません。今、与えられた仕事をとにかく頑張るだけでした。1日の睡眠時間はたった1時間半、これが2年も続いたのです。」

「歌を歌っている以外は、いつもぼーっとしているだけでした。この状況の中で頑張れたのは毎日のように届くファンレターでした。中には病気を抱えている子供からも感謝の内容の手紙が届きました。これがあればこそです。」

「また、コンサートではファンが楽しんでいる、あの笑顔。これも私たちのエネルギーとなりました」

さらにこうつづけます。

ピンクレディー解散
「1980年初旬の事です。ピンクレディーがあまりにも巨大化してしまいプロダクションもレコード会社も全くといっていいほどコントロールができず、今後の歩む方向が分からずにいました。」

「そんな時です。某週刊誌が不仲説からの解散が掲載されました。ここで私はこう思います」『ピンクレディーの役目はもう終わった』

「それともう一つは、私のペアーの増田惠子が熱烈な恋愛をしていたのです。所属事務所からは『結婚か、解散か、別れるか。』を迫られていました。」

「その時、惠子から『解散することになってもいい?』と問いかけられ私はこう返します」『幸せになることだったらいいよ』

「そして、1980年9月1日、ピンクレディーは二人揃って解散を発表しました。」

阿久悠のモンスター
「ピンクレディー解散後、私は『モンスター』の歌詞が好きでしたので、もう一度、読み返してみました。この歌詞はとっても深い意味があることを感じたのです。この歌詞の中にはピンクレディーそのものが含まれているように思った。その瞬間でした。」

「自然と涙がこぼれ落ちてきました。」

「2007年8月1日、所属事務所から阿久悠さんが他界したことの知らせが入ります。この瞬間、頭の中が真っ白になり、全く信じることができませんでした。」

妄想的な遊び
ここで江原がこの事についてこう話し出します。

「阿久悠さんは『モンスター』を自分自身に結び付けていました。この方は孤独な方で、常に自身の内面をあまり表現しない方でした。妄想的な遊びが仕事に結び付いたのです。」

「ピンクレディーは阿久悠さんそのものでした。女性的な感性の持ち主で、繊細で細やかな方でもありました。あんな怖い顔をしていましたが、本当は真逆の性格の方なのです」

この事を聞いた未唯がこう言いだします。

「解散後、阿久悠さんが私たちにこう言いました。
『作品を書いているのが本当に面白かった』

「きっと、ピンクレディーは自身の投影だったんですね。本当に優しい方でシャイであり、デリカシーがあるから多くを語ることがありませんでした」

静粛を好み孤独を愛する
つづけて美輪がこう話し出します。

「阿久悠さんは空想力と想像力、そして、妄想力の塊のような方です。ある種の霊能者ともいえます。クリエイティブな仕事をしている人は、時代を感じ取る力が非常に強い方が多いです。」

「共通している点は、静寂を好み、孤独を愛する人。実は華やかではなく、常に内面を見つめながら考えています。天才だと思えるのは、分野が決まってなく多岐に渡っているところです。普通の人間ではこうはできません。」

「孤独は人を聡明にします。いつも孤独でいる人は自分の中に浸る時間がたっぷりあります。これに耐えられないと偉業は達せられません。」

「それに、阿久悠さんは生まれ変わりの回数が多い方。男だったり女だったり。あらゆる分野や喜怒哀楽等々を経験しています。材料をたくさん持っていますので、歌詞を作るのは簡単なことなのです」

前世
日本のお姫様で綺麗な着物を着ています。

この時代、飢饉があり周りの多くの方々が飢えに倒れ亡くなっています。こんなに犠牲者が出ても、私は毎日の食事にありつけ、こうして生きている。この事に罪悪感を持っていました。

今世、産まれてきたのはこの償いが半分あります、自分が辛く苦しくても喜んでくれる方々が多くいらっしゃる。だから頑張ろうという気持ちが湧き出て還元しているのです。今世にはこの思いが強くあるのです。

守護霊
前世でもあるお姫様です。

この守護霊のメッセージを江原がこう伝えます。

「あまり自分を責めてはいけません。生真面目で働かなければいけない。という思いがあります。穏やかになると不安になり、何かしなくちゃ、となってしまうところがあります。」

「動くべき時にきちっと動けばいい。それに、今は焦り過ぎて準備が足りなくて、自分でトラブルを生んでいるところがあります。もう少し穏やかな暮らしを守っていくことです」

ここで未唯mieがこう言います。
「今、私がやっていることがお役に立てなかったら、やる意味があるのだろうか。という気がどうしても出てしまいます」

ヒントが見付からない
この事に江原がこう言うことを話し出します。

「その心は悪くはありませんが、事業としてやる必要は全くありません。形として作らなくても、時間をかければいいのです。自身はゆっくりしたいと思っているようですが、茫漠としていて、そのヒントが見付からない状態の中にいます」

この事につづけて美輪がこう言います。

「それは『白い風船』の時の事を思い出すこと。フォークのようなゆったりとしたバラード調の音楽メインに歌うようにすれば、ドアが自然と開きます。今世に生きている理由。それは人を喜ばせたい。この事を考えること。ここが大事です」

子守唄や童謡
ピンクレディーの時代は、本当に素敵な時代でした。子供たちが真似をしている微笑ましい光景がありました。この時代は平和で子供たちの心は一つになりエネルギーで満ちあふれていました。

常にこの様な光景があれば、今のようないじめ等の殺伐としたものは無くなります。

次の未唯mieの課題は『癒し、慰め、静かな励まし』癒しの子守唄や童謡などを歌ってあげるとか、色々な方法をゆっくりと焦らずに考えればいいのです」

結婚
1998年、プロデューサーの佃順三氏と結婚。

離婚
2004年、同氏と離婚。

現在
解散後はソロ歌手のほか、タレント、女優など幅広く活躍。
幾度か再結成されたピンク・レディーにおいては、現役時代と変わらぬスタイルとライブパフォーマンスを見せつける。

阿久悠 追悼10年
2017年12月30日、TBS系「第59回・輝く!日本レコード大賞」において、「没後10年・作詞家デビュー50年・特別賞」を受賞した恩師・阿久悠氏の功績を讃え、39年ぶりピンク・レディーとしてステージに立ちました。

同じく恩師である都倉俊一氏の指揮によるオーケストラで「ぺッパー警部」「ウォンテッド」「UFO」の3曲を披露する。多方面から絶賛される。

高橋圭三 追悼
2018年12月30日の「第60回日本レコード大賞」にもステージに立つ。これは2002年4月11日に逝去された司会者・高橋圭三の追悼式。1978年「UFO」でレコード大賞を受賞した当時の司会者であったため。

「UFO」「S・O・S」「渚のシンドバッド」「サウスポー」の4曲ノンストップメドレーを披露する。昨年同様。絶賛された。

テレビドラマ
2018年4月「コンフィデンスマンJP」矢代久美子 役。ホストクラブの社長で出演。

コマーシャル
2018年9月25日、花王リリーフ「超うす型まるで下着ローライズ」

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次は「林家正蔵のオーラ診断

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