伊原剛志のオーラ診断
もの凄いほど緊張するタイプです。俳優としての演技を積み重ね舞台に立つ思いを想像しただけ、これだけで緊張が走ります。こんな自分が人生最大の緊張を経験しました。
それもアメリカで。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1963年11月6日
出生地 福岡県北九州市
本 名 伊原剛(いはらつよし)
身 長 184センチ
血液型 O型
学 歴 大阪府立今宮高校卒
所属事務所:ケイダッシュ
職 業 俳優
スピリチュアルチェック
○ 性格を一言で言うと何ですか?
「わがままで緊張しやすいです」
○ 小さい頃、なりたかった職業は何ですか?
「パイロット、体育の先生です」
○ マイブームを教えてください。
「英会話です」
○ 怖いものは何ですか?
「人間です」
○ 生まれ変わるなら何になりたいですか?
「平和なことに役立つ人間です」
性格
伊原が自身のこの事についてこう話しだします。
「若い頃、舞台に立つイメージしただけで緊張していました。本当に緊張しやすく、そのためなんでしょうか。芸がもの凄く下手でした。ひとり家に帰っては、悔しくて、悔しくていつも泣いていました。」
「現在も緊張しますが、若い頃とは違い色々と勉強しましたので、緊張の度合いが違います。」
そして、伊原がここで人生最大の緊張の事をこう話しだします。
「2006年12月9日に公開されたハリウッド映画『硫黄島からの手紙』(クリント・イーストウッド監督)に出演した時です。下準備をしてハリウッドに行ったのですが、ロケは1度のリハーサルもなく撮影が始まったのです。これには、ほんと人生最大の緊張でしたね。」
「後で、聞きましたら。これは、クリント・イーストウッド監督のやり方だったのです」
マイブーム
伊原がこの事についてこう言います。
「私は人様に自分の一生懸命さを見せるのが恥ずかしく、こっそりと英会話を毎日つづけています。これも緊張の表れでしょうね」
喧嘩の原因
このことについて伊原がこう話し出します。
「私は若い頃から活発で喧嘩の毎日が続いていたのですが、殴っているうちに、もし相手が死んでしまったらと思い込むようになりました。ここからです。喧嘩をすることはいけない。そう思うようなり止めてしまいました。」
「喧嘩をはじめる原因となったのは両親です。いつも、いつも仲が悪かったので、両親の顔色を伺いながら過ごす日がつづいていました」
さらにこうつづけます。
母親
「どちらかと言うと、母親の方が大好きでした。毎日、後姿を見ては、自身が育っていっていることが理解できておりました。でも、決して甘えることはありませんでした。」
「それは自分が長男で弟らの、面倒を見なければいけなかったからです。でも、母親が仕事で深夜帰ってきていましたので勉強を終えた後、2人だけで過ごす時間はとっても、嬉しく、楽しみでした」
子供の教育
そして、伊原が過去の自分のことを振り返りながら、現在の父親ぶりをこう言います。
「自分の生き様と楽しさを子供にどう見せるかを意識しながら過ごしています。これを子供はどう思うのだろう、このような気持ちが凄くありますので、仕事も遊びも思い切りやらせています」
これに美輪がこう付け加えます。
「恥ずかしくない生き様を見せるのが本当の教育になります」
自分が許せない
伊原がこのことについてこう話し出します。
「20代の若い頃の事です。こんな事がありました。」
『自ら命を絶とうと思ったのです。その原因となったのは、色々な事が許せなくなり、すべてが許せなくなり、そして、最終的に自分が許せなくなったのです。』
「だったら一層のこと。ここで自らの命を絶とうと考えましたね」
魂の学び
ここで江原がこのような事を話し出します。
「精神的に安定してきたのはここ数年。自分で抑えられないほど、波が激しく、典型的な憑依体質な人です。よく今日まで無事に生きてきました。自分で自分の性格が分からなくなったり、思いと行動が裏腹になったり、これがエスカレートすると、非常に危険なことになっていました。」
「伊原さんが立ち直った原因は仕事です。スタッフや共演者に癒されつづけて、少しずつ自分を許せるようになっていったのです。魂の学びがこう進化させてくれました」
オーラの色
青(冷静)、赤(情熱的で頑固)、金(英知)青のオーラが色濃く出ています。
思考する次元が違うため常識に納まらず、憑依体質のため、考え方が次々と変わっていくので、周りの人は、いつもついて行けずにいました。魅力的な人なのに、考えが理解できないために評判も悪いのはこのためです。
しかし、最近は、器が大きくなったため、受け入れる余裕も大分できてきました。
前世
ヨーロッパで生まれ商売に成功しイタリアに移住した商人です。商売では成功しますが、移民のため、言葉が分からずだいぶ苦労しました。この苦労がなければ商売は成功しませんでした。
この前世の影響があってか、伊原さんは言葉に対し違和感や危機感を持っています。そのため、英語を話すことによって世界が広がっていくと感じているのです。
違う前世の一面
本来、元々商売向きではありませんでした。芸術的で絵を描いたり、芝居をやっていたりしていたのですが自虐的な性格だったため、何んにもなれずにいました。
そして、江原がこんな事を言い出します。
「前世では人を危めています。酒場で言葉の訛りが原因となり喧嘩に発展します。その後、刑務所から保釈後、性格が変わり、人と関わる事を避けるようになります。伊原さんが怖いものは人間と言うのが、この前世があるからです」
さらにこうつづけます。
今世の妻
「前世では結婚をしていませんでした。しかし、寄り添ってくれた女性がいました。それが今世の妻。その人なのです」
ここで美輪がこう付け加えます。
「無償の愛です。そんな人は滅多にいません。自分の欠点をさらし出しても、受け入れてくれる人は、父、母、兄弟など全ての役目をたした100人分になります」
この事を聞いた伊原は結婚の切っ掛けについてこう言いだします。
「結婚の話をしている時に、束縛されるのは嫌で、自由に生きたい、など細かい話をしたら、妻が”全部それで良いですよ”と言ってくれたのです。だから結婚を決意しました」
まさしく前世のままです。
守護霊
ここで江原がこう問いかけます。
「書道は好きですか?」
この事に伊原がこう返します。
「誰にも言ってはいないのですが、今年から書道を始めました。前々から字が汚いと思っていて、書道を始めようと思っていましたら、たまたま知り合いに書道の先生がいたのが切っ掛けになります。」
「今はすごく集中でき、字を書く事がとっても気持ち良いです」
この事を聞いた江原がこのような事を言い出します。
「伊原さんの守護霊は、中国の書家で後に目を患い僧侶になっています。伊原さんが最近、目が霞んだりするも、書を書く事によって癒されています。書道をつづけてください」
亡き母親からの伝言
ここで江原が母親からの伝言を伝えはじめます。
「親の未熟さで振り回してしまい、精神的に苦労を掛けてしまいました。お金の苦労も同様です。お金は人の心を迷わします。私が剛志の夢に出ないのは、あなたが怖いからです。」
「そして、ちゃんとした時間に寝ていないから出るに出れません」
ここで伊原が亡き母親にこのような事を尋ねます。
「最期に苦しんでいましたか?」
するとこのような言葉が返ってきました。
「色々なことを心配し過ぎて、具合が悪くなっただけです。苦しくありませんでした」
何故、伊原がこのような事を尋ねたかと言うと。母親が亡くなる間際このような事がありました。
「母親が危篤状態に陥った時でした。病院に兄弟5人が揃うとベッドから起き上がり、今後の事を色々と伝えたあと、また危篤状態に陥ったのです」
最期の最期まで子供たちの事が心配だったんですね。
結婚
1990年、相築あきこと結婚。二児を授かるも2000年に離婚。
2001年、一般女性と結婚(純子)。
落語家
2016年、上方の落語家、桂雀々に弟子入りする。
現在、雀々や剛々の高座名で落語家として活躍中です。
ドラマ
2017年3月19日、「炎の経営者」谷田部泰三 役で主演を務める。
2019年1月22日、「後妻業」本多芳則 役で出演。
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