千代大海のオーラ診断
親父とは幼い頃に死に別れたようなもの。どうしても、あなたに聞いてほしい。だからこうして今日やってまいりました。大関という手土産を持ってきてですが。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1976年4月29日
出生地 北海道千歳市
本 名 須藤龍二(すどうりゅうじ)
旧 姓 廣島
現 在 九重部屋親方
スピリチュアルチェック
○ 小さい頃、どんな子供でしたか?
「特別な子供だと思っていました」
○ 元気になるために行く場所は?
「神社と海です」
○ 好きな女性のタイプを教えてください。
「優しくて、かわいい子です」
○ 不思議な体験を教えてください?
「初めてお父さんの墓参りに行った時、不思議な風が吹いてきました」
○ 人生最大の転機はいつ頃ですか?
「九重部屋に入門した事です」
子供の頃
この事について千代大海はこう話し出します。
「4〜5歳で体重が50kg近くもありました。それなのに他の子供たちと比べたら並外れた運動神経の持ち主でした。それだけじゃありません。考え方すらも違っていたのです。それと、不思議なことに、何故か大人の考える事。この事が分かっていました。」
「そして、中学に進学と同時ぐらいから自分の腕っぷしにまかせ喧嘩三昧の日々を過ごしていました。こんなもんですから、周りからは悪童と。さらに、ここから加速し「十二単」という暴走族を率いていました」
ここで江原がこう言います。
「千代大海さんは、今は昔とは逆で無邪気に振る舞っています」
相撲との出会い
そしてこの事について千代大海がこう話しはじめます。
「相撲を始める為の切っ掛けとなったのは、私の母親でした。その母親の口癖はこうです。
『我が子を相撲取りにさせるのが私の夢です』」
「しかし私は、中学時代から非行に走っていましたので、母親に対していつもこう言っていました。」
『俺は、相撲取りには絶対にやらない!』」。
「でも、母親が心中を決意し泣いている姿を初めて見てしまいました。この時、力士になる事を決意しこう伝え約束ました。」
『3年間稽古し絶対に十両にあがる』
この時は本気で親孝行しようと思いました。
さらにこう続けます。
千代の富士の一喝
「力士になるにしても、どこの部屋に行けばいいのかまったく分かりません。強くて名前を知っているとすれば千代の富士さんだけでした。そして、この部屋訪ねてみる事にしました。」
「ところが金髪でリーゼント、剃りまで入れている。このような始末です。この自分の姿を見た九重親方からこう一喝されます」
『すごい頭だな親孝行をしたいなら、今すぐ剃ってこい!』
そしてこうつづきます。
自分が変われた
「すぐさま髪の毛を剃りにいきました。そして次の日、この事を母親に説明し一緒に再度に九重部屋を訪問しました。ここでようやく、親方の入門許可の承諾を得ることができたのです」
「そして私は、息子を部屋に預けて母親が帰る姿をじーっと見ていました。しかし、一度も振り向く事はありませんでした。」
「これを見た時です。『ここから、新たな自分が始まっていく』そう思い。自分自身の変化に気付くことが分かりました」
ここから千代大海の本気の挑戦がはじまっていくのです。
相撲は実力の世界
「入門したその日から自由がまったく無い生活が続いていきます。来る日も来る日も、洗濯やら買い出しの雑用ばっかりで、稽古らしい稽古もないほど忙しい毎日がつづいていました。」
「そこで、この事を先輩に尋ねてみるとこう返ってきます。」
『相撲の取り組みに勝ち。番付が上がると立場が逆になるぞ』
「この事を聞かされた。この瞬間です。私はこう思いました。」
『実力の世界は俺の世界だ!』
「そして私は2年3カ月後、先輩との立場が逆転していました」
元気が神社と海
この事について千代大海がこう話し出します。
「お昼に近くの神社に赴き、集中していると良い気をもらっているような、そんな感じがしてきますので、そこに置いてある自然石などを触り『私に力をください』とお願いをしてきます。」
「相撲に勝てずに気分を変えたい時には、夜、海に行きじっと見つめ、この悔しい思いを捨ててきます」
名付け親
この事について千代大海はこう言います。
「この名前を名付けたのは母親です。千代の富士の千代と北海道に生まれ、大分育ちのため、北海道の海と、大分の大を付けたと教えてくれました。母親からこの名前をもらった時は、正直、しっくりときました」
このことに美輪がこう言います。
「本名が龍二です。龍が大本にあるのですよ」
墓参り
そして、千代大海がこの事についてこのような話をしだします。
「私が5歳の時に両親が離婚。その年の暮れに父親が他界しました。大関になって26歳の時、初めて父親の墓参りに行ってきました。この時は大関の角番のうえ大けがをしていて、この事を父親にお願いする気持ちでの墓参りでした」
さらにこうつづきます。
不思議な風
「私と友達とお墓の管理者の3人で、お墓に手を合わせている時です。突然、足元に風が吹いてきました。そして、何故か父親が呼び掛けているような。そんな思いの風でした。」
「この風は3人とも感じていましたが、何故か、周りに風らしい風が吹いている気配はありませんでした。その風は不思議なことに拝むのが終わるまで吹き続けていました」
亡き父親
「そして、怪我をしたままで角番での優勝を果たすことができました」
ここで江原がこのような事を言い出します。
「墓参りは父親に呼ばれて行ったのです。ずっと前から怪我を助けてきています。回復が早いのもそうです。俺はお前が骨になるまで支えてあげる。と言っています。」
「さらに、父親は生前中は手の付けられない、言う事を聞かない人間でした。今世、息子を通して、共に人生の巻き返しを図っているのです」
前世
江原がこの事についてこう言いだします。
「前世も力士です。実力はあったのですが、果たしきれなかった思いがあった為、今世でもう一度力士になりこの思いを実現させたかった。天上界に、頼み込み産まれるきているのです。」
「体のサイズも選びました。母親は千代大海を産んだ時、すでに、この事を感じ取っていたのです。神社が好きなのは、相撲は神事、奉納の儀式だったからです」
力自慢
さらに江原がつづけます。
「岩を持ち上げているのが見えます。これは力自慢をしているようです。天手力男(あめのたぢからお)神様(天照大神が隠れた天岩屋戸の扉を開いた力の強い神)に対して、拝んでいる姿も見えます」
闘志
そして、江原がこう言います。
「竜の子、という文字が見えます。支配霊(コントロールスピリット)は、運命をコントロールしている霊魂になります。闘志が湧かない組み合わせになると、何故か勝つことができません。燃える相手と燃えない相手が分かれてしまっています。」
「この時、全く別人のように弱くなってしまうのです。この時の一番は、母親や取り組みを見ている人にも分かってしまうほどです。挑む心が無いと戦えません。誰かに押される感じでスイッチが入り燃えるときがあります」
病気の父親
「前世では、父親が病気だったため、志半ば力士を諦めて他の道へ行っています。今世の父親は前世でも父親でした。前世のこともあり今は反省をしています。少しでも役に立ちたい、という思いが今も強くあります」
守護霊
守護霊はお坊さん。前世で導かれていている人。歩む人生に行き詰ると、お坊さんや神主さや親方に助言をもらいに行き、扇子に言葉を書いてもらいそれを教訓にしていました。
親方の念
ここで江原がこう言いだします。
「千代大海の親方 千代の富士さんがすごく念を送ってくれています。ほとんどコミュニケーションが無いのですが、元親方が思ってくれている。と意識するだけで、ものすごく力を発揮することができます」
この事に付け加えるように美輪がこう言います。
「『百の言葉より無言の心』千代大海は土俵の上で最後に塩を投げるときは、千代の富士の真似をして、力を貸してください。という思いで投げています」
オーラの色
一番大きいのは、紫(情愛)です。
守護霊からのメッセージ
「これからが勝負。しかし、ここまでやってきた。という満足感がある。これでは、今以上の前進はできない。これからは年齢的プレッシャーがあるため、一戦一戦を大事にしていくこと。これからが本番、決して満足してはいけない。その為に生まれてきたのだ」
「自分の中で、体力的なことや闘志が湧かない自分がいる。他人任せ、運任せで自分が弱くなっている。大関を維持しているが、横綱になるためのリーチをかけるところまで行けていない。現実から一歩逃げている」
運は自分で作る
ここで江原がこう付け加えます。
「紫のオーラではなく、赤のオーラが欲しい。土俵に上がる喜びを感じなくてはいけません。一つ一つを無駄にしてはいけません。運は自分で作るものです」
これに美輪がこう言います。
「相撲は千代の富士、父親、自分の3人で取っている」
女性関係
美輪がこの事についてこう言います。
「女性関係について考えているようですが、まだ先です。勝負の時期に入っていて、横綱への道の幕が上がっているのですが、千代大海自身は今まだだらけている状態でです。」
「部屋の中では上に上がっているし社交などでも役目を果たしているため、自己満足をしています。順調に行っていると、必ず落とし穴があります。女性に走ると週刊誌に載ったりします。そこで引き締めないといけません」
相撲をやる為に今世にいる
江原が最後にこう言います。
「せっかくなんだから、横綱の地位を果たしてください。天上界で拝み倒して相撲をやるため、生まれてきたんですから、なかなか生まれてこないですよ。」
「人間として生まれてくるためには、あらゆる手続きや条件があります、それはとても大変なことです。それでも許可されないで、生まれてこれない場合もあります。生まれてきたことは、とてもありがたいことです」
引退
2010年1月13日、現役引退。その後、佐ノ山親方となる。
結婚
2012年6月1日、知人の紹介のようで、会社員だった恵里子さんと結婚。
親方
2016年7月31日、師匠の九重親方(元横綱、千代の富士)が膵臓がんで61歳で他界。
それまで九重部屋付き親方として、弟子の指導に当たっていましたが、同年8月2日付けで14代九重を襲名、九重部屋を継承し親方となる。
次は「細川たかしのオーラ診断」