哀川翔のオーラ診断
とあるパーティーに友らと出席した時のことでした。とっても気にかかる女性がそこに一人。どうしても、あの女性と付き合ってみたい。そして接触に成功するも、その女性にはある秘密が隠されていました。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1961年5月24日
出身地 徳島県徳島市
本 名 福地家宏(ふくちいえひろ)
身 長 178センチ
血液型 AB型
学 歴 東京工学院専門学校
スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「短気です」
〇 座右の銘を教えてください
「早寝早起き」
〇 生活の中でこだわっていることは?
「水です」
〇 最近のマイブームを教えてください。
「カブトムシ収集」
〇 人生の転機を教えてください。
「結婚です」
〇 不思議な体験を教えてください。
「心臓が2回止まったことです」
〇 将来の夢は何ですか?
「長生きすること」
父親
哀川が父親の思い出についてこう話し出します。
「朝のニュース番組で突然父親の顔がテレビ画面に現れました。」
『なんで父ちゃんがテレビに?』
このような感じでした。
「この時はまだ5歳で、何が起きたのかさっぱり分かりません。この時、そばにいた母親がこう教えてくれました。」
『海上自衛隊のヘリコプターが訓練中に海に墜落して、父ちゃんが亡くなったんだよ。』
「あ!父ちゃんが死んだのか」
「ここで、ようやく理解できたのです。」
「当時、母は妊娠していましたので、身元確認のため私が現地に行くように指示されましたので、行ったのですが、特に悲しい思いはなく早く家に戻りたいの一心だけでした」
思い出
ここで哀川が父親の思い出と水の事をこう語りだします。
「父はとても厳しい方で、何かを食べる前に必ず手を洗うようにと注意されていました。しかし、これを無視すると父親が怒鳴り付け、そのまま水風呂の中へ頭からドボンです。これは、ほんときつかったですね。このせいもあり小学5年ごろまで水恐怖症にかかっていました。」
「ですが、ちょうどこの時期です。自分が水の中をスイスイと泳いでいる夢を見たのです。だったらと思い。ほんのちょっと恐怖もありましたが水の中へ。不思議なことにすぐに泳げようになりました。」
「ここからです。夢で見たことに自信がもてるようになったのは」
ここで江原が哀川にこう尋ねます。
「それには意味があります。些細なことでも予感はすべて当たりませんか?」
この問い掛けに哀川がこう回答します。
「ほとんど当たっています。この事は小学5年生の時にもう悟っていました」
喧嘩
この事について哀川がこう話し出します。
「小学生5年生になった頃は、暴れに暴れていました。そんなある日のことです。教室に入るとみんなの目付きがいつもとまったく違っていたのがわかりました。そこで、話を一人一人聞いてみると威張りすぎているとの事だったのです。」
「そして、同級生らは自分をやり込めたいと興奮していたのが伝わってきていました。目の前の相手の人数はゆうに20人は超えています。普通に立ち会っては勝てるはずはありません。」
「でも、自分はこいつらと喧嘩をすることにしました。人数が人数ですので。そこで、思ったのが一対一の戦い。」
悟り
「自分は走ることが得意でしたので、走りながら先に来た奴を一人ずつぶっ倒していく。そして、次から次と走りながら一人ずつぶっ倒していきました。この時、あまり威張っちゃいけないなと悟りましたね」
一世風靡セピア
哀川がこの事についてこう話し出します。
「鹿児島県立高山高校を卒業後、東京工学院専門学校に入学。在学中、アルバイトライターとして飛鳥新社に出入りするようになり、原宿界隈で遊んでいる人達のスナップ写真を撮ってはコメントを載せていました。」
「特に、この仕事に興味があった訳ではありません。ただ単にお金欲しさです。23歳までの4年間続けていました。」
「一世風靡セピアとの出会いは、原宿のホコ天に面白そうな路上パフォーマンス集団がいましたので、この取材をしたのが切っ掛けになります。」
「そして、彼らからこの集団に加入するよう勧められ、面白そうだったので入団することにしました」
ひとめぼれ
哀川がこの事についてこう言いだします。
「出会いは武蔵丸関の昇進パーティーに出掛けた時のことです。好みの女性がいましたので、すぐに声をかけて連絡先を書いた紙を渡したのですが、いつの間にか姿がありません。」
「行き先を手分けして探しようやく見付けます。そして、朝まで色々と話し口説いたところ、なんと、彼女の口から子供が3人という話がでたのです。」
「次の日、ハワイにいく予定でしたので一緒にいくつもりでリムジンで自宅に迎えに行ってみると、確かに目の前に子供が3人。ほんと、信じられませんでした」
気付き
「一緒に行こうと思いチケットを手配したのですが、どうしてもチケットが取れません。泣く泣く、自分一人でハワイに行くことにしました。帰国後、すぐに一緒に暮らし始めたのですが、相変わらず夜の六本木を遊び歩きです。」
「この時です。ふっと、”これじゃまずい!”と思い同棲してから2ヶ月後に結婚する事を決意します。この時、子供たちから父親としての許可をもらう必要があると思いました。その次に両親の許可です。」
「そして、すべてにおいて許可をもらった瞬間。自身は精神的にだいぶ楽になりました」
子供の不思議
この事に美輪がこう言います。
「子供が3人いても引かなかったのが不思議です。普通、子供が3人いると抵抗を感じます。この事が何故、ハンデにならなかったのでしょうね。」
前世
ここで江原が霊視をはじめます。
「前世でも奥様と恋愛感情もありましたし母親だった事もあります。何度も何度も出会いがありました。その中で一度、大恋愛をしましたが夫婦になることはできませんでした。桜が満開のその場所で悲しい別れがありました。」
「だから哀川さんは桜を見ると悲しくなり花見があまり好きじゃありません。今世ではそれを最後まで結実させようと生まれ変わってきたのです。だから哀川さんは今の奥様を見た瞬間。自分の妻にしなければと強く思い行動にうつしたのです。」
「ですので、奥様から言われることは腑に落ちるし、なぐさめられるのです」
男の中の男
さらに江原こう続けます。
「全ての神経をむき出しにして生きているような人でアンテナが体中にあるような方。そのため、安眠することもできないため常に動いて、疲れ果てた頃に眠りに入ります。」
「それにやっかいなのは、人を見た時に色々な所が目に付いて相手の欠点が気になることです。本人も大変ですが、周りはもっと大変で女にとっては一番厄介です。男の中の男ほど神経質で、気が小さくて繊細なのです」
守護霊
この事についてこう江原が語り始めます。
守護霊は修行僧で前世でもあるのです。
哀川さんが水にこだわるのも、この理由からきています。行者でしたから本来、水は怖くありません。小学校の頃、夢に出てきて泳げるようになったのもそうです。
『禊(みそぎ)』『清める』などの言葉も大好きなのも、年中、川や海に行っているのもそうです。
不動明王
そして江原がこんな事を言います。
「後ろにお不動様が見えます。不動明王の坐像も見えます。お婆さんがお不動様信仰しているはずです」
この事に哀川がこう答えます。
「お不動様がいるかどうか分かりませんが、昔はお寺があって、県に寄贈しました」
哀川の先祖が建立したお寺は、佐賀県の瑞應寺(ずいおうじ)不動明王が祀られている。そして、哀川の最初の映画「修羅がゆく」では哀川の背中には不動明王の刺青が描かれていました。すべてにおいてご縁があるのです。
墓の建て替え
ここで哀川がこんな事を言い出します。
「お墓を250年も建て替えていませんので建て直をしました。今まではそんなことを感じたことがありませんでした。これは結婚してから、何故か綺麗にしたいと思うようになり綺麗にしたら、気持ちがとっても良くなりました」
この事に美輪がこう言います。
「守護霊などが哀川さんの周りを取り囲んで守っていたからです。先祖への恩返しでもあるのです」
不思議な体験
ここで哀川が不思議な体験の事をこう言います。
「2度の心肺停止を経験しています。1度目は30歳頃、家で急に止まりました。2度目はその1週間後にお酒を飲んでいる時でした。電気ショックで回復したのですが体に異常は見つかりませんでした。」
「昔、心臓に穴が開いているから激しい運動はするなと言われていたことがあります。生かされるものなら、もうちょっと生きていたいです」
〇戒め
この事に江原がこうアドバイスします。
「体は大事にしたほうが良いですよ。胃に潰瘍の後も見えます。それに心臓はきちんと検査したほうがいいです。哀川さんの心臓が止まったのは、戒めです。」
「心臓を止めるような事をしないと体を大事にしないからです。裏的に考えると哀川さんを長生きさせるため」
この事を聞いた哀川がこう言います。
「多分そこで一回死んだと思いました。それに、自分が生かされているから”これは、ちょっと考えないとな”と思いました」
ラッキーバンク
美輪が続けてこう言います。
「色々な人を助けています。その助けた分の命をもらっているのです。仏教の教え『徳を積む』を実践しているからですね」
この事を聞いた哀川がこのような事を言いだします。
「子供にはゴミをあちこちに捨てたらラッキーバンクのコインが無くなってしまう。ゴミを拾うとラッキーのコインが溜まり続ける。そう教えています」
カブトムシ
ここで江原がこんな事を言います。
「引越しや家を新しくするプランが見えています。でも、今は節目ですので体調をしっかり管理する必要があります。2~3年は体の方を大事に、それからでも遅くはありません」
哀川がうなずきながらこう言います。
「大規模な虫部屋を作る予定で考えています」
ラリー
2010年、自らのチーム「TEAM SHOW」を結成してラリージャパンに参戦。
2018年、奴田原をコ・ドライバーとして同クラスに参戦、茅野では10位で完走。
昆虫
2015年、育てたカブトムシのうち1匹が全長88ミリメートルに達しギネスブックに申請し見事ギネスを獲得。
次は「石田純一のオーラ診断」