石田純一の前世と現在をオーラ診断 不思議な体験 電話

石田純一のオーラ診断

虫の知らせとか、よく聞くことがあります。今回の電話もそうです。タイミングよく鳴り響いた着信音。これに、ついてる。と思いつつ受話器を取ると。その相手はあの方でした。

どうぞ、ごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1954年1月14日
出身地 東京都目黒区
本 名 石田太郎(いしだ たろう)
身 長 177センチ
血液型 A型
学 歴 早稲田大学中退
事務所 メロン

スピリチュアルチェック
〇 好きな女性のタイプを教えてください。
「生き生きとしている人とチャーミングな人が好きです」

〇 苦手なものと怖いものを教えてください。
「基本的にはありません。人生に恐れはいらないと思っています」

〇 人生で一番うれしかった事を教えてください。
「息子と娘が産まれたことです」

〇 亡くなった方でもう一度会いたい人は誰ですか?
「母親です」

〇 不思議な体験を教えてください。
「スピリチュアルから怪奇現象まで霊もしょっちゅう憑くので除霊もできます」

〇 将来の夢を教えてください。
「今までに無い報道番組をやりたいのと映画も作ってみたいです」

最後のドラマが
この事について石田がこう話し出します。

「1987年の時のことです。私は音楽番組『オリジナルコンサート』の司会を務めていました。その翌年です。ドラマ「抱きしめたい!」に出演することになっていたのですが、この時、所属芸能事務所メロンの社長から俳優を辞めマネージャーになるように指示されていたのです。」

「私にとって、このドラマ出演は最後の仕事だと思っていました。ところがこのドラマが予想以上に大ブレイク。ここからです。私は数多くのトレンディドラマに出演するようになりました。街に一歩出歩くと女性らで人だかりになるほどに」

モテる男
石田はこの事についてこう言います。
「モテる秘訣には近道はありません。自分は美輪さんの本等を読んでいたりしていただけです。本当にそれだけのことです。」

そして美輪がこう続けます。
「どんなに変なことをやっていても、基本がきちんと出来ていればそれでいいのです。文学、音楽など最低限の教養と知識が必要になります。モテるためには努力しなければなりません。この基本的な知識や教養がなければ、ただの色ガキに過ぎません」

間が大事
つづけて石田がこう付け加えます。
「なんでも”間”ですよ。間が抜けたら間抜けになり、違えば間違いになります。モテるにはこの間が一番大事です」

さらに美輪もこう続けます。

「『間』は『魔』でもあり魅力もあります。イタリアやフランスでは、女性を口説く言葉が日常会話になっていて『美しい』や『美味しい』という言葉が何通りもあります。このような言葉に慣れていない日本の女性は石田純一さんの登場で胸が締め付けられてしまったのです」

不倫は文化
1996年10月、長谷川理恵との不倫について石田はマスコミから追及されるとこう言います。
「芸術や文化というものが不倫という恋愛から生まれることもあります」と反論。

すると翌日の新聞の見出しにこう書かれてしまいます。
「不倫は文化」

この事について石田はこう言いだします。
「不倫のようなものから生まれる文化もある。と言っただけです。」

「『不倫は文化』と言う言葉はマスコミが作ったものです。この記事が出た後は、番組やCMをすべて降板されてしまいました。」

「この日は、キリスト系の学校に入学する娘の受験の日でしたが駄目になりました。妻は泣き崩れてしまいました。この事で一番傷つけられたのは妻と娘です」

不倫文学史
この事について美輪がこう続けます。

「フランス文学、ロシア文学、日本文学は不倫の文学だらけですよ。19世紀のフランスの文学の名作と言われたフローベールの『ボヴァリー夫人』(田舎の平凡な結婚生活に飽きた若い女主人公が自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生そのものに絶望し服毒自殺する物語)があります。」

「また、日本の文豪の檀一雄(女優・檀ふみの父親)の遺作「火宅の人」(妻との間に産まれた子供は日本脳炎による麻痺をもつ障がい児と3人の子供をもつ父親でありながら、別宅をかまえ、ここで愛人と暮らしていく。不倫文学史に残る代表的な一冊)もあります」

2度目の離婚
1999年、この時の事を石田はこう振り返ります。

「私は家族と別れ仕事も失い全盛期に3億円あった年収はゼロになり、8000万円の借金ができるなど経済的にも困窮し家賃も払えず、引越しのお金すらもありませんでした。」

「そこで、仲の良かった友達のところにお金を借りに行ったのですが、自分の思いとは反対に体裁よく断られてしまいました。」

「この時、断られて初めて恥ずかしさを覚え目が覚めたのです。お金を借りたら人様に迷惑を掛けてしまう。そこで冷静になり生命保険を解約したりゴルフ会員権を売却したりしました。45歳の自分には本当に辛くいい経験になりました」

この事に美輪がこう言います。
「自分の物を全て売り払って、それでも足りなければ、という順序を間違っていました」

父親
石田がこの事についてこう話しだします。

「日本のニュースキャスターの草分け的存在でアポロ11号の月面着陸などを伝えた元NHKアナウンサーの石田武です。子供の頃から愛情がとっても深い半面、躾も厳しい父でした。」

「そんな父親の口癖がこうです。」

『親の死に目に会うような役者はロクな役者じゃない』
といつも言われていました。

「そんな父親が亡くなる朝の事です。ドラマ収録のスタジオから自宅が近くにありましたので、スタジオに行く前に実家に行こうか、どうかと迷っている時です。あの父親の言葉を思い出しスタジオに向かいました。」

「午前中に仕事を終え、空き時間に実家に行くと既に父は亡くなっていました。」

不思議な体験
「父親が亡くなる前日の事です。何故か家に帰りたくなりドアを開けるとタイミングよく電話が鳴りました。”ちょうどいいタイミング”とばかりに電話に出てみると。それは父親からでした。」

「かれこれ1時間以上は話をしましたね。今までこんなに話をしたのは初めてのことです。これが父親との最後の会話となりました。1989年の事です。本当に不思議なタイミングでした」

この事を江原はこう言います。
「これが絆です。電話だから気兼ねなく普通の会話ができたのです」

もう一度会いたい人
石田が亡くなった母親のことについてこう話しだします。

「母親は本当に優しい人で危機的状況の時にいつもかばってくれていました。その上、金銭的な援助もしてくれました。そんな母親が2007年他界。元気に笑っていた次の日に意識がなくなってしまい。その2日後に亡くなりました。」

「葬儀の時、何故か、母親へのお別れの言葉が照れくさくて言葉にならず、その死に顔を見ましたらとっても綺麗な顔をしていました」

ここで美輪がこう続けます。
「人徳が出ています。寿命と考えた方がいいです。石田さんの家族はいつも一体で母親は聖女のような人で純粋で優しい方です。今、あの世で父親とお会いし夫婦の絆を深めています」

つづけて江原が母親のメッセージをこう伝えます。

「あなたのことよりも、子ども(孫)たちを心配しています。スキャンダルがあるたびに心配し生きた心地がしませんでした。」

「あなたのその生き方は、芸能界で生き延びるための手段でもあったのです。このスキャンダルが無ければ、バラエティ番組で引っ張りだこになっていませんでした」

前世
型破りな自由奔放イタリア人です。

ロマンチストなので生きるには現実が邪魔をすることもしばしばあります。それに矛盾の塊で強情で頑固な初志貫徹の人ですので、別の発想がとんでもないところから出てきます。

なので、ふっと気が変わることがあります。ロマンを現実化してロマンの中で生きたいという思いがあります。そのための綱渡りをしています。良い意味でプラス思考のためどんな時でも発想の転換を図りただでは転ぶことはありません。

この事を聞いた石田がこう言いだします。
「物事を良く取るのも悪く取るのも自由です。良く取るようにすれば、心の力はすごく強くなります。それにインナー・マインドを信じれば大抵のことは実現できます」

江原が父親の助言をこう伝えます。
「結婚に向いていない。結婚という型にこだわる必要はない」

3度目の結婚は?
江原が3度目の結婚のことについてこう言います。
「絶対、結婚はなさいます。相手がおぼろげに見えています。自分の人生なので、自分なりに決着をつけようとしています」

つづけて美輪もこう言います。
「石田さんは愛とロマンが生きがいです。これが無くなると飢え死にしてしまいます。少なくなればお腹が減りイライラして体調まで悪くなってしまいます」

結婚
2009年12月12日、東尾理子と3度目の結婚。年齢差22歳。

子供
2012年11月5日、理子の第一子となる男児が誕生。
2016年3月24日、第二子となる女児を出産。
2018年4月9日、第三子となる女児を出産。

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