琴欧州の前世と現在をオーラ診断 不思議な体験 先代親方

琴欧洲のオーラ診断

親方が育ててくれた感謝の思いがいつも心の中にありました。そんな時です。突然の他界の知らせが。ここから、幾日か経ったころです。
「あ~稽古場から聞こえてきた。あの音。まちがいなくあの音は先代の親方の音だ。」そこにいた誰しもがうなずきます。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1983年2月19日
出身地 ブルガリア ヴェリコ・タルノヴォ
本 名 安藤カロヤン
四股名 琴欧洲勝紀
身 長 202センチ
体 重 157キロ
血液型 O型
学 歴 ブルガリア国立体育大学中退
部 屋 佐渡ヶ嶽部屋

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「ケーキ屋さんか警察官です」

〇 毎日欠かさずにすることを教えてください。
「ヨーグルトを食べることです」

〇 好きな女性のタイプを教えてください。
「優しい人です」

〇 不思議な体験を教えてください。
「去年、先代の親方が亡くなったあとに、稽古場に現れました」

〇 将来の目標を教えてください。
「横綱になることです」

母親と信仰
ここで国分がスピリチュアルな事について琴欧州に尋ねます。

するとこんな事が返ってきました。
「私はスピリチュアルな世界はあまり信じていません。でも、ブルガリアの母親は信じています」

この事について美輪がこんな事を言います。
「あなたの後ろに母親と聖母マリア様がおりますよ。もの凄く深い愛情で包み込まれています。母親はとっても信仰心の深い方です」

レスリング
琴欧州が子供の頃の事をこう話し出します。

「私の生まれた時の体重は4,800グラムもある赤ん坊でした。父親の仕事は農業です。私の体格が体格でしたので10歳の頃から農業の手伝いをしていました。この手伝いが終わると、父親からレスリングの手ほどきを受けていました。」

「1998年、私が15歳の時にブルガリアのレスリング全国大会で初優勝。翌年のヨーロッパ選手権大会では準優勝をしました。」

「そして高校を卒業後、私はアテネ、北京のオリンピックを目指すためにしナショナルスポーツアカデミーを受験します。成績はトップで入校することができました。ここから本格的なレスリングのトレーニングがはじまっていきます。」

「ところが2002年の時のことです。レスリングの国際階級ルールの改正です。その結果、無差別級が廃止されてしまいます。ここで私は泣く泣くレスリングを断念しました」

さらにこうつづけます。

相撲の成績
「レスリングの練習の一環として行われていたのが日本の相撲です。この事に私は興味を示し相撲に転向することを決めました。この相撲でも私は強さを発揮することができました。」

「2001年にドイツ相撲選手権大会で優勝。ヨーロッパ相撲選手権大会では個人3位・団体で優勝。ハンガリー国際相撲大会では優勝。2002年、ドイツ オープン相撲選手権でも優勝。この成績を残すことができました。」

さらにこうつづけます。

渡ヶ嶽部屋
「私がこのドイツ大会で優勝した時のことです。渡ヶ嶽親方のドイツ在住の知人の中本氏がスカウトのため、私に声をかけてくれました。」

「私はこの時こう思いました。」

『この人は誰?変な人?それに、日本でプロの力士に。まったく興味もなく。なるつもりもまったくありません。」

「次の大会の時も彼は声を掛けてきました。この時は、こう思います。」

『この人は本気だ。本当に自分をプロの力士として育てようとしている。自分もこの事を本気で考えてみよう。』

「そして、日本で相撲力士になってみたい。こんな思いが日に日に高まっていきます。この事を両親に話すとこう言われました。

『自分で決めなさい』

「そして、母親がとっても心配する中、2002年、19歳の時に渡ヶ嶽部屋に入門しました」

ここで美輪がこのようなことを言います。
「親は子供がいくつになっても、小さい時にヨチヨチ歩いている頃をずっと引きずっているもの。子供はいくつになっても子供は子供なのです」

父親の事故
「一人で日本に来た時は、毎日のようにブルガリアの事を考え、家族のことも考え。ホームシックにも何度もかかりました。でも私は、頑張る気持ちの方が勝っていました。」

「それは父親の交通事故です。朝から晩まで毎日、毎日、働いていた父親が突然の事故にあってしまい仕事のできない体になってしまったのです。働けるのは自分しかおりません。」

「ここで自分が頑張らなければならない。この事もあり日本に行くことを決意したのです。大好きな相撲を取りお金が貰うことができると。そう考えました」

優しさ
この事に美輪がこんな事を言いだします。

「親孝行ですね。まずは優しさ。両親も琴欧州さんも優しい方です。これは自分が強いから。だから人に優しくできるのです。」

「これとは逆に、自分を守ることに精一杯。この方は弱い人です。人に優しくする事ができません。みんなが優しいことは、みんなが強いことです。お互いに優しさの分け合いをしているのです。」

「それに、ふっと何かの拍子に恥じらいをみせるのは素敵なことです。昔の日本人の方々はこの恥じらいを持っていました。でも、今はこの恥じらいは無く、厚かましく、ずうずうしくなっている方が多くなりました」

生活の壁
ここで琴欧州が日本の生活での事についてこう語り出します。

「私は日本に来た時に一番困ったことにぶつかりました。それは言葉の壁です。何を言っているのかまったく分かりません。もちろん、自分は言葉をしゃべる事ができません。」

「本当に時間は掛かりました。毎日が勉強です。この壁を破るには日本人の方々の話を聞きながら行動に移していく。そのようにして自然に身につけていきました。」

「それに日本の食事も苦手でした。だけど、ちゃんこ鍋は本当に美味しかったです。それに、ご飯に味が無いのには驚かされました」

史上最速の新大関誕生
2005年9月場所、新関脇昇進。12連勝の新記録を樹立。13勝2敗。翌場所、横綱朝青龍と大関千代大海を破り11勝4敗の成績を挙げ、殊勲賞と敢闘賞を受賞。

場所後の2006年1月に大関昇進。外国人力士では史上5人目。入門からわずか19場所での大関昇進は年6場所が定着した1958年以降では幕下付出を除き史上最速の記録をだす。

この時のことを琴欧州はこう言います。
「佐渡ヶ嶽部屋は1981年の琴風以来の大関はなく、先代の親方の夢でもありましたので、とっても嬉しかったですね」

不思議な体験「先代親方」
この事について琴欧州がこう話し出します。

「2007年8月14日、先代の佐渡ヶ嶽親方が多臓器不全のため逝去しました。親方は義足をしていましたので歩くと独特な音がしていました。」

「逝去後のことです。その音が不思議と稽古場から聞こえてくるのです。そして、稽古場に行ってみると誰もいません。この事は何度かありました。これは間違いなく親方です。他の力士もこの音を聞き同じ事を言っています」

自分の才能
この事を聞いた江原がこう話し出します。

「先代の親方がそこにいらっしゃいますよ。そして親方がこうおっしゃっていますよ。」
『負けず嫌いで頑固な性格なため、普通の常識から離れ過ぎてはいけない。親方の言葉を常に思い出しているのはいいけれど、ここから一歩離れないといけない。』

『もう少し柔軟に考えること。あまり考え過ぎてもいけない。緻密でいつも計算するよりも、自分の才能を活かすことも大切なことです』

この事を聞いた琴欧州がこう言います。
「今の親方も同じことを言っています」

前世
日本の侍です。

この影響もあり現代の日本人が持っていない武士道の精神をもっています。日本に来たのは偶然ではないのです。性格がデリケート過ぎますので上手に対応する事がとっても苦手ですが、霊媒体質でもあるため、自己暗示をかけるのが上手です。

ただ、考え過ぎてしまうところがあります。ここでマイナスの自己暗示を掛けてしまっています。技術力と体力では十分に横綱と言ってもいい。でも、自分でブレーキをかけてしまっています。ここの部分を自分で改善すれは横綱も見えてきます。

オーラの色
強い赤色
(頑固で情熱的、理想家、短気。生命力があるうえ、活動的で積極性があります。周りに与える影響が大きいためリーダーシップ的な存在といえます。また、自分自身が持っているエネルギーが確立していて、自分の人生は自ら切り開いていくことができます。)

深い青色
(冷静、現実主義。愛情があり周囲の人々を助けます。理論より感情や直感に基づき概念を築いていきます。なので、理論的な議論はいたしません。)

紫色
(情愛が深く洞察力に優れたエネルギーを持ち、広い視野で物事を捉えることができますので、芸術面にも優れています。人を引き付ける魅力を持つ一方で、個性を追い求めてしまうために冷静になれないような一面も兼ね備えています。)

結婚
ここで国分が琴欧州に結婚の事を尋ねるとこう返ってきます。
「結婚はまだ決めていません」

すると江原がこんな事を言います。

「横綱昇進と結婚が重なるかも知れませんよ。こう言う時と言うのは重なる場合が多くあります。琴欧州さんは日本的な部分が強くありますので、亭主関白になるでしょうね。でも純情な部分も兼ね備えていますので女性には騙させないようにしてください」

2010年2月14日、元航空会社CAの安藤麻子さんと結婚。

帰化
2014年1月7日に日本国籍を取得。
本名は安藤カロヤン、日本への帰化は欧州出身力士としては初となる。

引退
2014年10月4日、引退相撲、断髪式。

襲名
2015年2月12日、年寄・鳴戸を襲名。

師匠
2017年4月1日、佐渡ヶ嶽部屋から独立し鳴戸部屋の師匠となる。
ヨーロッパ出身力士としては初の師匠誕生。
2018年6月現在、部屋持ちの年寄としては最年少で1980年代生まれでは第1号。

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