小林幸子のオーラ診断
ヒット曲から見放され15年の歳月が流れていき。私はついに”歌の神様が私を捨てた”そう思った時でした。なんとB面に火がついたのです。これには周りも慌てふてます。その曲名は、あなたもご存じのあの歌。
どうぞ、ごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1953年12月5日
出生地 新潟県新潟市中央区
本 名 林幸子(旧姓 小林)
身 長 165センチ
血液型 A型
学 歴 麹町女子学園高校卒
事務所 幸子プロモーション
スピリチュアルチェック
〇 小さい頃はどんな子供でしたか?
「世話好きでした」
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「臆病で怖がりです」
〇 毎日欠かさずにする事を教えてください。
「天国に行った両親にお参りする事です」
〇 仕事で一番辛かった事を教えてください。
「デビューして15年間、ヒット曲に巡り会えなかった事です」
〇 一つだけ願いが叶うとしたら何ですか?
「来世、違う国で違う国の歌を歌っている歌手になりたいです」
願いは「歌手」
小林がこの事についてこう話し出します。
「私は1964年、新潟から家族と共に上京して古賀事務所の所属となりました。
そして1964年6月20日、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューします。」
「ここから44年目に入りました。もっと歌を歌わなきゃならない。時間が足りない。と焦っていました。これほど歌う事が大好きです。だからこそ来世でも歌いたい。そのような思いをもっております」
歌手は前世の続き
ここで江原がこのような話をしだします。
「小林さんは前世でも歌っていました。今世は前世の続きでもあるのです。歌だったら何でも歌える人です。演歌以外もコブシを入れないで歌える方です。紅白歌合戦の演出では、パリのレビューのスタイルをしました。これは前世に関係しています」
この事に小林がこう話し出します。
「今は歌手でも魅せる事が出来なければなりません。これが条件ですので、これを成立させなければいけません。紅白の衣装の事で賛否両論はありました。そこで自分自身に問い掛けたところ、素直な気持ちで『やりたい』との思いが返ってきました。」
「だから魅せることをしたのです。私としてはやって本当によかったと、そう思っております」
スカウト
ここで小林が歌手になった切っ掛けをこう語りだします。
「私が1963年、小学4年生の時のことです。父親が突然、東京見物に連れていってくれると言うのです。東京に行く事はいったのですが。見物どころか、行ったところは、素人ものまね番組、”歌まね読本”ではありませんか。父は家族に内緒でこの番組に私を応募していたのです。」
「私は歌うことが好きでしたので、特に抵抗もなくステージで歌うことができました。この結果発表で、見事にグラウンドチャンピオンに輝きました。」
「そして、ここで審査委員長を務めていた古賀政男先生にスカウトされたのです。私も歌手になりたいとは思っていましたが、半ばあきらめていたところでしたので、もの凄く嬉しかったのを覚えています」
さらにこうつづけます。
歌手になりたい
「私らは新潟に戻り、素人ものまね番組でのグランドチャンピオンなった事と古賀先生からのスカウトのことを母親に伝えたところ、猛反対でした。」
「これを仕掛けた父親はもちろん大賛成です。このような状態ですので、すぐに結論が出る訳がありません。そこで両親が私にこう聞いてきたのです。」
『やりたいのか。やりたくないのか?』
もちろん、私はこう伝えます。
『歌手になりたい』
こう言った以上は前に進むしかありません。
10歳でレコードデビューが決まり、四谷三丁目で一人暮らしを始めました。その後、すぐに両親も東京へ引っ越してきました。
ヒットの後の奈落
「1964年6月5日、小林幸子10歳「ウソツキ鴎」でデビュー。20万枚のヒットを記録し「第2の美空ひばり」と呼ばれるようにたのですが、同年9月発売の「母恋おけさ」が全くというほど売上が伸びません。次の曲もそうでした。その次もです。」
「ここでこんな理由が聞こえてきます。美空ひばりの母親がレコード会社の社長に冗談でこう言います「第二の美空ひばりが出て来たらしいじゃないの、だったら、第一の美空ひばりはいらないってことよね」
ここからです。急に小林の仕事が無くなっていったのは。
夜のステージ
「ここからスケジュール表が黒くなる事はありませんでした。小林幸子は歌手としての仕事は無くなりました。でも、子役として映画に出演できるチャンスが与えられていたのです。」
「小林が15歳の時です。ある人から夜のステージに立つと日給がもらえると聞き、このステージに立ち歌いつづけました。但し、年齢は18歳としてです。両親は辛かったようですが、私としては普通のステージでした。」
これまでの経緯を美空ひばりが知っていたのか、どうなのか。この辺は定かではないのですが、これ以降、美空ひばりは小林幸子を可愛がっていくのです。
歌の神様
ここで小林がこう言います。
「15歳は15歳です。化粧でこの15歳をカバーしようとしましたが、やはり15歳でした。歌もそうです。大人の女性っぽい歌を歌おうとしても無理でした。」
「そして、5年が過ぎ20歳のときです。やっと大人の魅力ある歌をと思った時でした。アイドル時代が来ていたのです。」
「そして、この時私はこう思いました。」
『歌の神様が私を捨てた』
「私は歌う事が大好きでしたので、その店にあったジャンルを選び歌を練習していました。しかし、ヒットに巡り会えない15年間、この時期はとっても辛かったです。」
「そして、1979年1月25日、ドラマの主題歌『六時、七時、八時あなたは…』を発表するもB面の『おもいで酒』の方が有線で注目されるようになっていきました。そのため、ジャケットを変更し『おもいで酒』をA面として販売するようになりました。これが爆発的なヒットにつながったのです」
前世
一番手前にいる前世はフランスの歌手になります。
さらに古い前世にはカストラート(近代以前のヨーロッパに普及した去勢された男性歌手)イタリアで18世紀に成立した歌唱法のベルカント唱法の時はコブシを使っていましたので小林さんはすぐにできました。」
「見える前世はすべて歌っている人生になります。それに、前世では、親元を離れて寄宿舎で生活をしていました。だから、苦労に耐える力を持っているのです。」
歌だけが好き
ここで江原がこのような事を言います。
「小林さんはどこか少年っぽいところがあります。真っすぐで無邪気で魂の気質は男の子みたいなことろがあります」
これに小林がこのような事をこう言います。
「私は、物欲がありません。普通の女性が欲しがるような物は欲しいとは思いません。欲しい物と言えば、仕事に関わる物ばかりです。」
「仕事にはお金はかけますが、自分でお店を経営しようとは思いません。それに苦労ばかり多いイメージがありますから。なんか嫌なのです。」
この事に江原がこのような事こう言います。
「前世のフランスの歌手の時は、経営に失敗しています。だから、余計な事は気にせず、歌だけを歌っていたい。という気持ちが強いのです」
土地の神様に愛される
つづけて江原がこう言います。
「小林さんは非常に土地の神様に愛される人です。行く場所、住む場所のそれぞれの神様にお参りしているため、土地の自然霊や氏神様に可愛がられています。その結果、土地に守られているのです」
この事に小林がこのような事を言います。
「事務所を移転する度に、何故か大きな仕事が入ってきていました」
毎日欠かさずする事
小林が毎日の両親への供養についてこう話し出します。
「今朝でした。いつものように線香をあげ、数珠を持ったところ数珠が割れてしまいました。なんの知らせなのでしょうか」
この事に江原がこう答えます。
「この現象は、縁起が悪い事ではありません。様々な煩悩から解き放れたという事になります」
新たなるジャンルへの挑戦
そして美輪がこんな事を言いだします。
「今までは前菜、これからはメインディシュですよ。これからは、自分自身のアイデアを出したり、新しい自分のスタイルの歌を開発して歌うこと。それは、これからの時代、どのジャンルにも属さない歌の時代がやってきます。これに対応しなければなりません」
つづけて江原が両親の伝言をこう伝えます。
「背負い過ぎてはいけません。もっと自分が生きやすいように。みんなのことを考え過ぎていたら、歌への力が分散してしまいます。そうすれば、歯がゆくなり苦しんでしまいます」
さらに美輪がこうつづけます。
「演歌のお客様を大事にする責任感を持ち過ぎています。演歌は生活のためにやり、他のところで新しいジャンルを開発すればいいのです。解放されれば精神的にも楽になります。新しいファンの層も広がっていきます。ここのバランスが本当に重要になります」
結婚
2011年11月15日、再生医療などを手掛ける株式会社TESホールディングス代表取締役社長の林明男と電撃結婚をする。
プロレス
2015年4月25日、千葉県幕張メッセ開催のイベント「ニコニコ超会議2015」でプロレスデビュー。対戦相手のボブサップと男色ディーノのタッグ組から、必殺技「ラスボス旋風」でフォール勝ちをおさめる。これは、ニコニコ動画で生放送された。
シングル
2016年8月18日、「ヨーコソ・アークス」作詞作曲:ビートまりお
小林がオンラインゲーム「ファンタシースターオンライン2」の中の地球親善大使に任命されたため、このゲームの中に登場して、このオリジナル楽曲を歌っている。
2017年12月6日、「存在証明」作詞作曲:志倉千代丸
アルバム
2018年7月4日、「PINSPOT~Sachiko’s Night Club~」
ジャズを中心としている。
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