安藤和津の旦那と現在をオーラ診断 理想的な出会い

安藤和津のオーラ診断

何故、このような出会いをしてしまったのでしょうか。これが不思議でなりません。そして、あの母親の一言で運命を共にすることになるのですが。結婚式での旦那のあの言葉。これは、今でも絶対に忘れることはありません。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1948年3月6日
出身地 東京都台東区
本 名 安藤和子(あんどうかずこ)
血液型 A型
学 歴 上智大学文学部独文科中退
事務所 プロダクションパオ

旦那・奥田瑛二
安藤が旦那の事についてこう話し出していきます。

「私は、上智大学文学部独文科を中退したあと、英国に2年間留学していました。その後、帰国した時でした。公園で出会ったのが現在の旦那・奥田瑛二です。その当時は芽が出ない俳優でしたね。」

結婚
「そして、昭和54年(1979年)兼ねてから同棲をしていた奥田瑛二と結婚しました。この旦那との結婚を決めたのは私の母親のこんな一言でした。」

『あんたたち、結婚したら』

「そして、結婚式の席上では旦那にこう言われました。」

『君は僕の踏み台だよ』

「もうかれこれ30年以上も経つのですが、この事を忘れる事ができません。それに、旦那との生活はまるでジェットコースターのようなものです。少しでも楽になりたいし自由になりたいですね」

この事を聞いた江原が無情にもこのような事を言い出します。

「これからも、ずっと続くんじゃないですかね。今の安藤さんは旦那様を支えるのが生きがいになっています。この事があるからこそ今のように若くいられるのです。親がいつまでも子供の事を心配するようなものです」

同じ魂の持ち主
すると、これを聞いた安藤がこう言いだします。
「夫はいつも事後承諾です。自分一人で何でも決めます。映画を撮る時も、映画館を経営する時もです。お金を取られた家族の被害はかなり大きいです」

この事について美輪がこう言いだします。
「この夫は一生涯に渡り駄目です。安藤さんと夫は同じ魂の持ち主です。お互い同士がいつも切磋琢磨しているからです」

理想的な出会い
これに安藤が夫である奥田との出会いの事についてこう言いだします。

「1976年の事です。家賃が払えず代々木公園のベンチで寝ていた奥田を見付けました。そして、声を掛け引き取る事にしたのです。本当に運命的な出会いでした」
この時、奥田26歳、安藤28歳。

この事に美輪がこう言います。

「安藤さんがその道を選んだのだから仕方がありませんね。でも今は夫も娘も安藤さんの事をもの凄く感謝していますよ。それに安藤さんは手のかからない人には興味が沸かないじゃありませんか。あなたにとって旦那様は理想的な方なのです」

この事に安藤がこう言います。
「私は家族みんなが幸せでないと、どうも自分も落ち着きません。だから、家族みんなが幸せになるために頑張っています。幸せの笑顔が好きだし嬉しいです」

ここで美輪がこんな事を言い出します。
「愛情深い父親を持つと、出会った男性と父親をどうしても比較してしまいます。娘には良い恋愛をして欲しいため、比較してはいけないことに気付かせることがだいじです」


1982年3月19日、長女、桃子が誕生。2010年安藤モモ子名義で「カケラ」映画監督デビューを果たす。
2014年3月14日、一般男性(僧侶)と結婚。
2018年5月下旬、離婚。

1986年2月18日、次女、サクラが誕生。
2007年、父、奥田瑛二が監督を務める映画『風の外側』降板した主演女優の代役として出演し女優デビューを果たす。この映画には母親も出演し姉は助監督を務める。
2008年、あきた十文字映画祭で出会った俳優の柄本佑と3年間の交際期間を経て
2012年3月14日に結婚。
2017年6月27日、第一子となる女児を出産。

書籍
「オムツをはいたママ―母との愛と格闘の日々」2004年8月
内容
私を産み育ててくれた母が老い病んだ。人が生きていくうえで必ず通る道。親子・家族とはいったい何なの。母との介護に接した体験を今ここに記することにする。これはずっと心の中に抱えていとこと。それを私は振り返ってみたかった。

「長い散歩」2006年12月
内容
5歳さっちゃんという女の子とおじいちゃんの長~いお散歩。さっちゃんは親から虐待されていました。おじいちゃんは家族を壊してしまいました。その償いに亡き妻の位牌を胸に抱え旅へでます。そして、この二人が出会った。

おじいちゃんはさっちゃんを見かねて旅に同行させたのです。この子をどうしても救ってあげたい。そんな思いからですが、世間一般的には誘拐と判断されかねない行為です。でも、救ってあげたかった。

さっちゃんは話すことも笑うこともなく。ただ一言『置いていかないで』。旅の途中で家出したワタル青年にも出会った。

「”介護後”うつ『透明な箱』脱出までの13年間」2018年10月18日
内容
高齢の母の介護がはじまった。それはとっても長~いトンネルだった。日々の認知症との戦い。ようやく、このトンネルから抜け出すことができた。今まで”透明な箱”が私の感情をしまいこんでいた。ここから、ようやく抜け出すことができると思っていたのだが、「介護後うつ」が襲い掛かってきた。今、介護と戦っているあなたに一読願いたい。

現在
母親の荻野昌子を長らく在宅介護をし看取った後にうつ病を発症する。13年の闘病を経て完治。この体験を元にした書籍を著述する。講演活動も積極的に行っている。

奥田瑛二のオーラ診断
旦那様の前世を妻・和津が変えてしまいます。どう変えたのか。また、あのスキャンダルにもまったく動じません。前編・後編どうぞ、ご覧くださいませ。

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