奥田瑛二の前世と現在をオーラ診断(前編)全く動じない妻

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奥田瑛二のオーラ診断(前編)

この妻のことになりますが、女性の問題などを含め何が起ころうとも全く動じません。これが幸いしたのか。とあることが、これまた不思議と解決してしまうのです。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1950年3月18日
出生地 愛知県春日井市
本 名 安藤豊明
身 長 175センチ
体 重 60キロ
血液型 AB型
学 歴 明治学院大学中退

デビュー作品「もっとしなやかに もっとしたたかに」、
1986年「海と毒薬」でベルリン映画祭銀熊賞。
1989年「本覺坊遺文・千利休」でヴェネチア映画祭銀獅子賞。
1990年「式部物語」でモントリオール映画祭最優秀芸術貢献賞受賞。
2001年「少女~an andolescent~」で監督デビュー。
その他、世界多数の映画祭で映画賞を受賞。

スピリチュアル・チェック
〇 好きな言葉を教えてください。
「愛です」

〇 苦手なものは何ですか?
「かみさんですね」

〇 人生で一番辛かったことは?
「役者で一番売れなかった日々です」

〇 あなたの天職を教えてください。
「紛れも無く映画監督です」

前世
ここで江原が奥田の前世の霊視をはじめます。

「前世はヨーロッパの画家であり、その前は冤罪で処刑された日本の政治犯。人をたぶらかした罪をきせられたのですが権力にこびるのが嫌で、誰も信じてくれないなら、もういいやと居直ってしまいました。ここから、世の中の全てを疑ってかかるようになってしまいます。」

もっとも、そういう前世の経験があるためか奥田は常に物事を奥深く見る習性があります。

学生時代
この頃、このような事がありました。
奥田の父親は春日井市で市議会議員を務めていました。どうしても息子の瑛二を政治家にさせたいとの思いがあったからです。しかし、当の本人は政治家どころか役者になりたいとの夢を抱えており父親にこの夢を打ち明けるも反対。

となればと作戦を変更し”将来の政治の勉強のため大学に入学したい”と打ち明け、明治学院大学法学部に入学。そして演劇部に入部します。ところが、父親は政治の勉強をしたいのあればと、愛知県出身の代議士・丹羽兵助の秘書として採用させてもいたのです。

そして、大学の宿舎に入るのかと思いきや、なんと、これが代議士の自宅への住み込みではありませんか。最初は奥田も慣れない生活に戸惑いもありましたが、そこは奥田です。大分呑み込みが早い。この事が、後々、俳優としての仕事に生かされるようになっていくのです。

前世を変える妻
但し、世の中を全て疑ってかかる前世があるゆえ、結婚しても初めのうちは妻からの愛情をまったくというほど疑っていました。奥田の妻は色々な問題を起こしても、女性との浮気スキャンダルが発覚しても、全く動じない妻でした。この妻に徹底的に尽くされるようになっていくうちに、

奥田の心中にある愛情を疑う部分が徐々に
「こういう人間がこの世の中に居るのだ。」
に変わっていきます。

この妻の大きな愛情に日々包まれるうちに、奥田の心の奥底にある前世のトラウマが解消され、反抗心がなくなり、安心が生まれていきます。最近では妻との仲がもの凄く良くなり、その反面では、非難のしようがないので、煙たく思えるような一面もあると言います。

浮気スキャンダル
もし、奥田瑛二の女性との浮気のスキャンダルがなければ、一生涯、妻の深い愛情を知ることは無かったと今、振り返ります。この事件は奥田にとって起こるべくして起こったのではないでしょうか。さて、この気になる浮気のスキャンダル。

その内容をご覧くださいませ。

喜多嶋舞との交際。大沢樹生が喜多嶋との間に授かった子供のDNAの鑑定結果、自分の子供じゃないことが判明しました。そして、交際の経緯があった奥田に疑いがかけられました。
さらに、美人歌手Sとの浮気や一般女性との合コン浮気。
これだけ、浮気の噂がつづけば、当然、妻は怒り心頭になるのが当たり前です。
しかし、奥田の妻はここが違った。

つづいて、
奥田瑛二の若い頃と妻をオーラ診断(後編)

後編は奥田瑛二の変人なお坊さん、
こんな変なお坊さんもいたんですね。

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