小島よしおの前世と現在をオーラ診断 一発屋の代名詞

小島よしおのオーラ診断

世間の目はすべて”一発屋”と見る傾向があります。今までどれだけの芸人がこの一発だけで沈んでいったのか。あの大物シンガー兼俳優も駆け出しのころはそう言われておりました。現在は不動のあの方。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1980年11月16日
出生地 沖縄県島尻郡久米島町
本 名 小島義雄(こじまよしお)
身 長 178センチ
血液型 O型
学 歴 早稲田大学卒
事務所 サンミュージックプロダクション

スピリチュアルチェック

〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「プロ野球選手です」

〇 とても充実しています、何をしていますか?
「ベンチプレスでギリギリまで大胸筋を追い込んでいます」

〇 芸能界に入って一番印象に残っている出来事を教えてください。
「某大物有名占い師に怒られたことです」

〇 将来の夢を教えてください。
「幸せな家庭を築くことです」

なりたかった職業
この事について小島が経緯をこう語りだします。

「千葉市立都賀小学校の頃に野球に出会いました。グローブでボールをキャッチした瞬間。バットでボールを打った瞬間。これがとっても面白く将来はプロ野球選手になりたいと自然に思うようになっていました。」

「中学時代にも野球部に所属し3年の時はキャプテンを任されます。卒業後、千葉市立稲毛高校に進学。野球部に所属しました。」

「ポジションはエースで4番。聞こえはいいのですが、球速はそこそこでもコントロールがめちゃくちゃ、まさしく名ばかりのエースです。4番でもチャンスには打てず。ここで自分の実力を知ってしまいました。そしてここで、目指していたプロ野球選手はあきらめました。」

沖縄へ
「この影響もあったのでしょうね。早稲田大学の受験は不合格になってしまいました。来年こそは大学へ入学したいとの思いは強く、環境を変えるため、母親の実家のある沖縄へ移りました。」

憧れの女優
「沖縄でアルバイトをしながら浪人生活をしている時です。テレビで広末涼子さんが早稲田大学の教育学部国語国文学科に入学した事をニュースで知りました。だったら自分も早稲田に絶対に入学するとの思いが強くなり、ここから猛烈に勉強を始めました。」

「そして2000年、早稲田大学教育学部国語国文学科に見事に合格します。もちろん、同じ学部ですので、広末さんの隣に座りこう問いかけました。」

『君、名前、何て言うの?』

「もちろん”広末涼子”と答えてくれました。そして私は、お笑い芸人を夢見ていましたので、大学のお笑いサークル仲間とグループWAGEを結成しました。その後、WAGEが解散。」

「ピン芸人を目指しオーディションを受けて歩きましたが、これがいつも不評です」

さらにこうつづけます。

大ブレイク
「2007年5月、第5回お笑いホープ大賞の決勝へ進出。ここで激励賞を受賞します。同月25日の「ぐるぐるナインティナイン」に出演。さらに「笑いの金メダル」にも出演。この番組内で『そんなの関係ねぇ!』『おっぱっぴ~』を連発しました。」

「これがまた、受けに受けて予想以上の反響を呼びます。これが契機となり大ブレイクします」

この時の事を小島はこう言います。
「とっても忙しくて、何が何だか訳も分からずに只々、仕事ばかりしていました」

時代の要求と戦術
ここで美輪がこの大ブレイクの事をこう言います。

「小島さんのこの人気の理由はですね。あなたに邪気が全くありません。そして、伸び伸びとしていましたしたから。そして、今のこの時代が要求しました。まさしく、自分たちがそうなりたいからです。」

「今のこの時代、文句を言う事と怒る事を捜している方々ばかりです。この逆、相手が満足する事を捜すべきなのです。ほんのちょっとの気持ちの切り替えと発想の転換を変えるだけです。この世の中には感謝することが山ほどあります。」

「それに小島さんは戦術が下手です。洋服の着方も下手です。いきなりスーツではなく、徐々にスーツにしていくのも良い戦術ですよ」

一発屋の風潮
ここで小島がこう言います。
「心配事は、一発屋の代名詞として言われていることです」

つづけて美輪がこのような事を話し出します。

「今だけじゃありませんよ。昔からブレイクしたタレントは一発屋を期待されていました。私もその一人でしたから。この世の中、本当に意地の良くない方が多くいます。一発屋で終わる事を期待する風潮があります。人の不幸蜜より甘い。だから、この事に絶対、勝たなければなりません」

オーラの色
強い青色(冷静、現実主義。愛情があり周囲の人々を助けます。理論より感情や直感に基づき概念を築いていきます。なので、理論的な議論はいたしません。)

仕事の失敗を引きずる癖があり、行き過ぎてしまうと態度が煮え切らない状態になることもあります。

前世
インドで修行をしていた行者です。

この行者は頭を土の中に入れたり何日も逆立ちをしてみたりと意味不明な行動をとっていたようです。小島さんにこの影響が出ています。

正義の眼で見る
ここで江原がこんな事を言いだします。

「小島さんは良い部分も悪い部分もすべて含めて世の中波長を引き寄せている鏡です。大ブレイクした『そんなの関係ね』は世の中のマイナスの部分を反映していました。それにステージでの海水パンツ姿に一発屋と野次られ事もしばしば。」

「なのでいじめの対象に見える時もあります。今の日本は1億層評論家時代に入っています。いつも自分の事を棚に上げては、他人を攻撃したがる時代の傾向があります。ひと昔前の人はこう言っていました。」

『人の振り見て我が振り直せ』

「もうこれはないと言ってもいいでしょう。小島さんのこのギャグに今の日本が映し出されています。浮いている故に許されますので、辛辣なことを言っても問題はなく、社会の風刺を語ると共感を得られます」

つづけて美輪がこう言います。
「正義の眼で見ること。自分の中に正義があったうえで、面白おかしく皮肉るのです。理知的な人なので風刺のお笑いを作るといいかも知れません」

親孝行も修行
そして江原がこう言います。

「小島さんは一つの事を貫く才能と強い集中力。そして繊細で神経質。これがあったからこそ、大学受験を頑張る事ができました。それに親孝行もしていました。母親は父親で苦労していましたからね。それに、ここの家庭に意味があります」

この事に小島はこう言います。
「父親は早稲田の政治経済学部を卒業して政治家を目指していました。そして、国政選挙に民主党等々で6度出馬するも、すべて落選してしまいます。さらに千葉県議選にも出馬するも、これまた落選。」

「このことで大分、母親は苦労していました。だから、母親に楽をさせてあげたいという思いをいつももっていました」

つづけて江原がこう言います。

「小島さんの前世は行者のため常にマイペースで生きています。だからこそ、今世では、自分だけで生きているわけではないのです。この事を学ぶためにこの家庭に生まれてきました。」

「周りからはいつも奔放に見えていても、常に家族の事を心配しながら過ごしています。スピリチュアルチェックで将来の夢の事を『幸せな家族を築くこと』と言っていました。これも修行なのです」

学歴よりも人間力
ここで江原が小島に対してこう助言を送ります。

「小島さんは人間力を身に付けていますし、一つの事を突き詰めて行動するタイプのため、芸能界をいつ辞めても生きて行くことができます。こうなれと言うのではありません。」

「こういう人だから安心してください。学歴よりも、人間力。これがあれば何をやっても生きていけるという事です」


つづけて美輪がこう言います。

「取り越し苦労は杞憂に過ぎません。誰の人生にもカリキュラムがあります。人生には無駄なことは一つもありません。」

「一番難しいのは、エゴイストで全く愛が無い人たちです。この人たちが愛を学ぶのは至難。今、このような人が増えています。ところがこれとは逆で、愛を持っている人は相手の事を思いやる気持ちがあり、愛の勉強も容易にできます」

女性
ここで江原が女性の事についてこう言います。

「小島さんは女性にのめり込み過ぎるところがあります。最初は用心深くていいのですが、情にもろい。貢いで全てを失う場合も無いともかぎりません。身を滅ぼさないないよう注意が必要です。」

結婚
2016年7月18日、モデルの小松愛唯と結婚。
合コンで小島が一目惚れ、この日、連絡先を交換するも、次の日には小島が積極的にプッシュしお付き合いの承諾をもらい結婚へと発展する。

レギュラー番組
2018年4月8日 – 2019年3月17日「小島よしお&狩野英孝のチャリお遍路」

劇場アニメ
2019年4月19日「クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン 〜失われたひろし〜」本人役

CM
2018年、バンダイ『エアロノヴァ』

芸能人のオーラ診断メニュー

次は「いしだ壱成のオーラ診断

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする