山本譲二の妻・娘と現在をオーラ診断 不思議な体験 父の声

山本譲二のオーラ診断

元気の源となっているのはギャンブルです。本当に好きです。特に競艇が。そんなある日のことでした。友人の自宅の一室で電話投票をしていた時のことです。耳元で父親の声で。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1950年2月1日
出生地 山口県下関市
本 名 山本譲二(やまもとじょうじ)
身 長 174センチ
血液型 A型
学 歴 早鞆高校卒
事務所 ジョージ・プロモーション

スピリチュアルチェック

〇 性格を一言で言うと何ですか?
「頼まれるとNOと言えません」

〇 怖いものを教えてください。
「蛇、ゴキブリ、北島のオヤジです」

〇 元気の源は何ですか?
「ギャンブルです」

〇 不思議な体験を教えてください。
「父親が亡くなる前に競艇をやっていたら「3-4-5を買え」と父親の声が聞こえてきました。そして、それを購入すると見事に的中しました」

〇 人生の転機を教えてください。
「30歳の時に歌『みちのくひとり旅』に出会えたことです」

〇 将来の目標を教えてください。
「もう一度大きな勝負をしてみたいです」

妻との出会い
この事について山本がこう話し出します。

「私は1968年、演歌歌手になりたくて下関市から上京し、ギター片手に弾き語りしていた時期がありました。「この時、ナイトクラブで他のアーティストのイメージガールとして加わっていたモデルの悦子(現在の妻)さんとの出会いがありました。」

「この事についてはこうです。私が出版社で電話番の仕事をしている時のことです。この事務所に突然、悦子さんが入って来ましたので、挨拶とばかりにこの女性を見ると。それはもう美しさを超えもの凄く眩しく光輝いて見えたのです。」

「この時点で、もう一目惚れしてしまいました」

さらにこうつづけます。

励ましの言葉
「その後、ディレクターが自分が弾き語りで働いている店に悦子さんを連れて来てくれました。そして、何度かお付き合いしていくうちに、お互いが惹かれ合い、現 妻のマンションに住み込むかたちで同棲生活が始まっていきます。」

「収入は圧倒的に妻の方が勝っていましたので、10年以上もヒモの様な状態でいました。こんな状態の自分でしたが、妻がいつもこう言ってくれていました。」
『時間はかかるけど絶対に売れるから大丈夫』

「これほどの応援はありません。」

妻がいたからこそ
「私たちが同棲時代の時です。妻は一度も”結婚”と言う言葉を口に出した事はありませんでした。もし、この売れていないこの時期に結婚をしていたら、”山本は間違いなく歌手を断念していた”そう思っていたようです。」

「この妻がいたからこそ、大好きな演歌歌手の道を歩む事ができたのです」

この事を聞いた江原がここでこう言います。
「妻の姿勢が全く変わらないのは素晴らしいです。普通、売れていたら妻も変わってしまうケースが多いのに立派な方です」

妻・娘の不思議な力
そして江原がこのような事を話し出します。

「山本さんの妻が生きているのが不思議です。子供の頃、命を落としそうな事がありました。子供を授かり出産する時もそうでした。娘が無事に産まれてきたのが不思議なくらいです。」

「妻も娘も命を頂いています。二人とも不思議な力を授かっています。人間であって人間でない部分があります。表面だけでは絶対にものを見る事はありません。人の評判を気にすることなく、この世に囚われがありません」

娘の誕生
ここで山本が娘が産まれた時の事をこう言いだします。

「妻は破水し点滴で15日間も頑張りつづけました。この間、血管が傷つき、もう針を刺す場所も無くなってしまっていました。そして、最後の点滴を終えると陣痛がはじまりました。」

「この時、担当医から、この子は目と脳の障害を持っています。産まれたとき娘は726グラムしかありませんでした。」

「その時、自分はこう言ってしまったのです。」
『この子は要らない!』

「この後、心臓の鼓動を聞き、なんて俺は、馬鹿な事を言ってしまったんだと反省をしました」

「1987年3月23日誕生。命名:琴乃 現在、山本琴乃の名前で歌手として活動中。2016年に一般男性と結婚。2017年3月、第一子の女児を出産」

与えられた命
ここで江原がこう話し出します。

「妻にも娘にも与えられた命という思いがあります。みんな一緒に幸せでいようよ。そして、笑顔でもいようよ。不平不満、悪口を言うのはよそうよ。という気持ちがあり、生きているだけで凄いこと。この事を一番知っています。寛大でいつも優しい母と娘です」

感情を使う
さらに美輪がこう続けます。

「母娘は感情に押し流されない人です。一番洗練された人間というのは、感情をコントロールできる人間です。人は気付かないうちに、ついつい感情で動いてしまいます。」

「嬉しい時や楽しい時だけに感情を使うようになるまでは、大変な知性と技術が必要になるのです。妻と娘にはそれがあります。」

「もし、この二人がいなければ、現在の山本譲二はありませんでした。今までは ”なんとかなる”という気持ちでいましたが、娘が産まれ。背負っていくという気持ちが生まれ、それが強くなったのです」

俺には見えない
ここで山本がこんな事を言います。
「妻と娘には見えないものが見えます。時々、こんな事を言います。」

『あそこには何々が立ってる。あそこには何々があるけど見ない方がいいよ』
「自分にはまったく見えません」

不思議な体験
山本がこの体験の事をこう話し出します。

「自分はギャンブルが好きでよく友達と楽しんでいるのですが、この日は友達の部屋で競艇の電話投票をしていました。この時です。」

「父親の声で『3-4-5を買え』と聞こえてきたのです。そして、その通りに購入すると。これがまた的中です。」

「それから3時間経った頃でした。姉から連絡があり父親の危篤の知らせが届きます。」

「高校の頃からの父親の口癖はこうです。
『嘘をつくな、約束はちゃんと守れ、ちゃんとした立派な男になれ』

「この頃はあんまり父親の事は好きじゃありませんでした。『みちのく一人旅』が大ヒットを飛ばすようになってから、何故か父親の事が好きになっていきました」

自慢の息子
この事に美輪がこう言います。

「素敵な父親ですこと。歌を通じて、これが本当の人の道と分かってきたからです。それに、色々な事をしてくれたので、親孝行な息子であり自慢の息子でした。父の教えの通り、約束を守っているとも言っていますよ」

つづけて江原がこう話し出します。

「父親は山本さんの体を助けています。腰や関節の痛みは、仕事に支障がないように治っていきます。それは、父親が自分の体に気を遣わなかった人でした。」

「その事を反省しているので、息子に繰り返させたくない。と言う思いからきています。さらに『長時間のマージャンには注意し控えること』と父親が言っていますよ」

この事に山本がこう言い出します。
「3日前から腰を痛めていますが仕事は十分にできる程度になりました」

妻の察知
さらに江原がこうつづけます。

「妻は山本さんの事を好きなようにさせています。自分で責任を取れる人ですが、困った時だけ相談にくるのは止めてほしい。だからこそギャンブルの借金を事前に察知し全部返済しています」

亡き父親からのメッセージ
ここで山本がこんな事を話し出します。

「これは9年前の事になりますが父親が亡くなった後、この家に一度来ているのです。この事を妻と娘が見ていて私にこう言います。」

『パパ。そこに、おじいちゃん来ているよ』

「その時のその姿のことを聞くとこう言います。」

『素晴らしいほどの金を施した服を着ていました。その他の方々もいて、その方々は白い裃(かみしも)を着ていて顔を伏せていました』

「そして、おじいちゃんのメッセージを妻にこう言います。」

『譲二がわしのメガネを持っているから探して欲しい』

「これを聞いて、すぐメガネを捜しましたら見付かりました」

この事について江原こう言います。
「そこにメッセージがあります。それは娘の目のことで今、視力が弱くても大丈夫で気後れする必要はありません」という意味が込められています。

独立宣言
2007年のことです。山本が30年間勤めた北島音楽事務所からの独立宣言をします。ジョージ・プロモーションを設立する旨の話を北島三郎先生に話をしに行ったところこう言われます。

「これは良いことだ。独立して頑張れなかったら独立はさせないが、お前だったら出来ると思ったからさせるんだ」

この独立の宣言の了解を聞いた時はこう思いました。
「常に前向きで明るく、歌える喜びに感謝していこう」

ここで美輪がこう言います。
「独立前は、親方日の丸です。でも、独立したら一国一城の主ですよ。部下や家族の責任が生じていきます。無駄遣いは絶対に許されません。この番組に出演したのは、これが結論だからです」

耳の病気
2009年7月、右耳内部に良性腫瘍ができていることが明らかになる。
2017年6月30日、某番組内で右耳の聴力を失ってから8年が経過し左耳も聞こえなくなっていることも明かす。

シングル
2017年11月15日「ふたりでよかった」
2018年9月19日「残花」

テレビ番組
2019年2月22日「約束のステージ 〜時を駆けるふたりの歌〜」特別出演。
2019年3月24日「山本浩二&譲二のドレミファスタジアム」野球✕音楽のオリジナルバラエティ特番。

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