東国原英夫の過去と現在をオーラ診断 不思議な体験 高千穂

東国原英夫のオーラ診断

早稲田大学の政治学部に在学中のことでした。いったいどっちを選択すればいいんだ。地方か国政か。そんな思い悩んでいた時のことです。何故か。今まで行ったことのない高千穂に行ってみたくなり。そして、ここでこんな事が起こります。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1957年9月16日
出生地 宮崎県都城市
本 名 東国原英夫(ひがしこくばるひでお)
身 長 174センチ
血液型 B型
学 歴 専修大学卒
事務所 オフィス北野

スピリチュアルチェック

〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「笑い芸人と政治家です」

〇 ストレス解消法を教えてください。
「ただひたすら走ることです」

〇 人生の転機を教えてください。
「1986年のフライデー事件、1998年の不祥事、2007年の宮崎県知事就任」

〇 好きな女性のタイプを教えてください。
「過去を見てみると結果的には気の強い女性です」

〇 不思議な体験を教えてください。
「宮崎県高千穂で選挙前に神の声を聞いたような気がします」

〇 余命1日と宣告されました何をしますか?
「子供に会いに行きます」

霊的な「縁」
ここで東国原が霊感の事についてこう話し出します。
「神秘的や霊的なことは自分自身は苦手で感じたこともありません」

これに美輪がこう言います。

「今まで啓示がありました。けど、論理的で理性的なので見ていません。東国原さんは、いつも論理で片付けてしまっています。幼少期からの事を思い出すとかなりたくさんあります」

すると、この事に東国原がこう返します。

「元の奥さんと恋愛時代の時です。何回も偶然に出会った事があります。お互い別々に移動しているのに、信号待ちで偶然、彼女の乗っている車が隣に並んだこともあります。」

「ジョギングしている時にも偶然であったりしました。また、離婚後も、ばったり出会ったりしていました。」

この事に江原がこう言います。
「これは、まさしく縁です」

人生の転機「フライデー事件」
東国原がこの時の事件についてこう話し出します。

「1986年12月9日の夜中の事でした武さんから突然、電話がかかってきてこう言うのです。『付き合ってる女が講談社の奴に写真を撮られてしまった。これから抗議にいくぞ!』

「これには正直、反対をしたのですが、押し切られてしまい仕方なく付いていっていきました。本当は逃げたかったですね。なんか不吉な予感を感じながらついていきました。」

「そして、その現場で逮捕です。ここから芸能活動の自粛3ヶ月間が始まりました。丁度、いい具合に時間ができましたので推理小説『ビートたけし殺人事件』を書いていました。その後、この本が大ヒットしドラマ化も決まったのです。このフライデー事件があればこそです」

1998年の不祥事
東国原はこの時の不祥事をこう言います。

「この不祥事が起きたのは1998年10月13日。とある日、渋谷のイメージクラブ『年中夢中』に遊びにいきました。その時、相手をしてくれた女子が18歳未満だったようなのです。」

「その後、警察から連絡が入り摘発の協力を求められました。この協力はマスコミには漏れる事はない。と言う事でしたので協力をしたところ、次の日、新聞の一面に掲載されたのです。そして、芸能活動の5か月間自主謹慎がはじまりました。」

「自分が出演していた番組を観ていたところ、自分の代わりがすでにいて番組は進行していたのです。この時、ふっと思ったのが、番組から何からすべてがそのまま動いていました。」

「この時、自分の存在価値は一体何だったんだろうかな。と思いました。ここで自分の今までの価値観を反省し2000年4月、早稲田大学第二文学部社会人間系専修入学。2004年4月、社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部政治学科に入学しました」

ここで美輪がこう言います。
「東国原さんは悟りを開かされたのですよ」

不思議な体験「高千穂」
東国原が宮崎県高千穂の事についてこう語りだしていきます。

「大学で政治を勉強をしていた時のことです。国政に出ようか地方にしようか、正直、色々と迷っていました。そんな時です。なぜか急に、”宮崎に帰りたいなぁ~”このような思いになっていました、そのうえ一度も行った事もない高千穂に行きたくなったのです。」

「そして、ここでこう思いました。宮崎に帰りたいという事は地方自治をやらなきゃならない。だから高千穂に行きたくなったのかもしれない。」

「そこで、友と二人で天安河原の洞窟の中へと入っていくと、驚くほど不気味なところで途中で引き返そうと思い振り返ると、こんな声が聞こえてきたのです。」

『帰ってきなさい。あなたがやりなさい』

「声が聞こえてきた方向を見ると黒い霧がかかってきていました。もしや、この聞こえたのは自分だけ?とそう思い側にいた友に聞くとこう言います。」

『俺にも聞こえた』

その声というのは美輪さんのような男でもなければ女でもない。
そんな声でした。

高千穂からの預かられ人
この事を聞いた美輪がここでこう話し出します。
「高千穂で聞いた声は神の声、天の声です。東国原さんの全ての始まりは高千穂から来ています。あなたは神話の神の導きが強い方なのです」

つづけて江原もこう言います。

「私が奉職していた神社の近くに東国原さんがお住みになっていました。いつも、あなたを見かけていて、ゆくゆくは政治の世界に入る方だと思っておりました。この神社は参拝した人々の中から、総理や大臣を何人も出しているところになります。」

「そう東国原さんは高千穂から、ここに預けられた方なのです。その為に、この神社のある土地に下宿していたのです。」

ここで美輪がこうつづけて言います。

「タレントが選挙で当選したとしても、大騒ぎしても3ヶ月ぐらいのもの。もう1年以上、大騒ぎがつづいているのは、人知の及ぶ所ではありません。東国原さんも人が集まってくれるのが不思議でしょうがないはずです」

全てが道を開く
そして江原がこつづけます。
「芸能と神事は元々一つ。高千穂の御神楽などの神事は政治への始まりです。なので、東国原さんは政治への世界へ行っても不思議ではない方です」

さらに、美輪がこう言い出します。

「東国原さんは白に対して特別な感覚をお持ちの方。これは前世で白装束を着ていたからになります。それに猿田彦(天孫降臨の時、先頭に立って道案内をした神)のゆかりが強く残っています。」

「現在、知事となってやっていること、宮崎に人を呼び込むのも道路を作ったりするのも、すべて道開きなのです。」

そして江原がこのような話をしだします。

「芸能界に東国原さんを入れ知名度をあげさせて、政治家にしたのには大きな意味があります。今、やっている事は前例がありません。」

「この事は宮崎県だけのためだけじゃなく、日本の国そのもののために行っている事なのです。この事すべてが高千穂の命令から来ています。」

さらに美輪がこの事についてこう言います。
「日本の起源となる神話の高千穂が今、寂れています。現在、他の神社が賑わっています。このこと自体が逆なことなのです。」

〇 宮崎県は神話のふるさと
江田神社は、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)と伊邪那美尊 (イザナミノミコト)を祀っています。

御神木1
ここの、ご神木にはパワーがみなぎってあるので触るとご利益がいただけます。

江田神社には二つのご神木がございます。社殿に向かい左側に植えられている招霊木(おがたまのき)これが一本目の神木になります。
春になりますと馥郁とした香の強い花が咲き開き、秋になれば赤い実をお付けになります。この木の言い伝えはこうです。

天照大神が天の岩戸に隠れた際に天鈿女命(あめのうずめ:日本書紀ではこう言われ。古事記では天宇受賣命と書かれてあります。呼び名は同じです。)が実のついた枝を手に持ち舞い踊ったことで知られております。神社で巫女が持ち鳴らしている神楽鈴はここからきたといわれております。

秋に訪れると綺麗に赤い実が実っております。この光景を見ながら天鈿女命が舞い踊ったのを想像してみてはいかがなものでしょうか。きっと楽しい時間を過ごせるかと存じます

御神木2
社殿を目標に参道を歩いていくと白い紙垂がついたしめ縄が巻かれた大きな楠木が右側に見えてきます。この楠木にはとってもパワーがみなぎっているとされています。木の下にある大きなコブを撫でるとご利益があるとされ、参拝に訪れた方々は撫でて帰るのが習慣となっておりますので、そのコブの箇所はピカピカに光輝いております。

あなたも是非、ご利益をいただいてみてはいかがでしょうか。

静の時間の過ごし方
江原が静の時間の使い方についてこう話し出します。

「静の時間とは、人生の中で物事が上手くいかない時期の事を言います。東国原さんは芸能界の謹慎中に勉強をして、将来に向けての知識を蓄えていました。」

「精力的な方はみんな、この静の時間を持っています。この時間の時には嘆かずに、未来を見過ごして有効に時間を使う必要があります。この時、どん底にいると言う考え方をせずに、未来に向け有効に使う必要があります」

晴れ男
ここで東国原がこんな事を言います。

「私はマラソン大会に参加して今まで雨が降った事がありません。それも14年間も。昨年のマラソン大会の時は、雨が降っていました。しかし、現地に到着した時には雨が止んでいて、この大会が終了したのと同時に雨が降り出してきたのです。同じようなことが幾度もありました」

この事に美輪がこう言います。
「後ろの方たちが全てしてくれているのですよ」

結婚
2014年9月、一般女性と再再婚する。

子供
2017年10月、男児が誕生。

議員辞職
2013年12月17日、衆議院議員辞職後は政治家を辞職。その後は報道番組やコメンテーターとして出演したり、タレントとしてバラエティ番組にも数多く出演したりしている。

現在
政治家転身前の芸名「そのまんま東」はビートたけしに返上しているため本名「東国原英夫」の名義で活動中。今後の政界復帰に関して本人は否定し続けている。

芸能人のオーラ診断メニュー

次は「松居一代のオーラ診断

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする