松居一代のオーラ診断
お会いした瞬間でした。言葉にならないほどの電流が体の中に走りめぐりました。これほど強烈な衝撃を受けたのははじめてです。息子の父親になれるのはこの方しかいない。そして、紹介する日がやってきました。すると息子がここで強烈的なことを言いだしたのです。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1957年6月25日
出生地 滋賀県近江八幡市
本 名 松居一代(まつい かずよ)
身 長 161センチ
血液型 B型
学 歴 梅花女子短期大学中退
事務所 松居一代事務所
スピリチュアルチェック
〇 どんな子供だったんですか?
「負けず嫌いです」
〇 趣味を教えてください。
「お掃除です」
〇 一番うれしかった事は何ですか?
「息子が誕生した時です」
〇 一番辛かったことを教えてください。
「船越の赤ちゃんを流産した時です」
〇 好きな言葉を教えてください。
「陽は昇り、陽は沈み、必ずまた陽は昇る」
息子のアトピー
松居が息子の重度のアトピー性皮膚炎との戦いをこう語りだします。
「子供の肌の状態が凄い。とにかく凄いのです。地肌が血だらけまみれでした。この子供が最初に覚えた言葉。それは「かゆい」でした。」
「食事をさせるのも立った状態でなければ食べさせる事ができなかったくらい酷かったです。この様な状態ですので、子供中心の生活になっていきました。そして、この状態が4年間も続いたのです。」
漢方の先生
「この間、色々な事を試してみました。時には漢方薬を求め中国まで渡航もいたしました。この時、漢方薬の先生がどこにいるのかも分からず足を運んでいました。そのような時です。」
「それも偶然です。道端で、この先生にお会いする事できたのです。きっと、私の子供を治してやりたいという思いが強く引き寄せたのでしょうね」
連帯保証人の借金
今度は松居がこんな事を話し出します。
「突然のことでした。なにか顔に違和感のようなものを覚えましたので、鏡を覗くと。そこには顔が崩れた私が。そしてここから数時間後のことです。今度は言葉が言葉にならず、ろれつが回らない状態になりました。」
「病院の医者の診断によると原因はストレスからの顔面麻痺でした。さらに先生はこうも付け加えてきました。」
『後遺症が残りますよ』
「これでは芸能界への復帰はもう難しいと思いました。このストレスの原因となったのはこうです。」
「それは1986年、DCブランドを経営する男性と結婚した事からはじまります。この旦那の浮気が発覚しました。そうしている時に、今度は会社の経営が思わしくなくなり倒産です。」
「そして、連帯保証をしていた私に1億7500万円の借金がのしかかってきたのです。これに私は毎日生きた心地がしませんでした」
心の変化
「この顔では、もう芸能界には復帰できませんでしたので、入院中は掃除する事が好きでしたので家政婦の仕事ばかり見付けていました。」
「ここのところ、ずっと試練の連続ばかりつづいていましたが、徐々に精神的にも強くなっているのも確認することができました。」
「そして、今度はこの試練を楽しもうと思えるようになり、ゲーム感覚で楽しみながらこう思っていたのです。」
『今度は何が来るのかしら。楽しみだわ』
「このような思いに変化していました。」
この事に美輪がこう言います。
「松居さんこそ女の中の女です。これは息子の存在が大きいです。もし、この子供がいなかったら今頃は挫折していました。子供のために生きようと思った、この思いが自然に自分のためにもなっていったのです」
物欲からの切り替え
松居がつづいて新居の欠陥マンションについてこう話し出します。
「1996年に旦那と離婚。この直後の事でした。上の階の住人が水漏れを起こしてしまい。これが原因となって天井が水と共に落下してきたのです。」
「この事により、大切にしていた着物と洋服が400点以上が汚水で水浸し状態です。これでは、もう着ることができません。その翌朝は、被害にならなかった服を捜して着ていました。バッグも靴もありました。」
「そしてこの瞬間のことです。”洋服などどうでもいい”と思えたのです。生きていくのに服と靴とカバンが1つずつあれば十分。」
「それよりも、自分らの上に天井が落ちてこなくて助かったと思いました。そして、ここから清水建設との闘いがはじまっていきます」
この事に対して美輪がこう言います。
「物欲の人には物やお金が神様です。物は無くても、命や精神、愛の方が価値があるのです」
運命の出会い
ここで松居がこの出会いについてこう話し出します。
「船越との出会いはドラマで共演でした。出会った瞬間。それはもう、もの凄いほどの衝撃が走りました。そして私は、直感的にこう思えたのです。」
『この人が夫となる人。絶対そう。』
「本当にこの出会いは強烈でしたね。そして、帰宅してから息子にこう言いました。」
『とうとうお父さんになる人を見付けたよ!』
「すると、この知らせを聞いた息子は船越が出演しているドラマを見ては、その台詞を覚えていました。この時、私はこの人は絶対。この子のお父さんにしなければならないと強く思いました。」
「船越自身の気持ちもありましたが、ありとあらゆる手を使い。ついに船越の住むマンションに行くことができたのです。」
「そして、私は掃除をするふりをしながら、家具らに念力を入れ味方につけていきました。『この椅子に女が座りませんように、このベッドに女が寝ませんように』
「今度は、手づくりお弁当作戦です。このお弁当にも念力を込め込めました。」
婚姻届けと養子縁組
「この状態が5年間つづいていました。この間、何度か私の方から結婚の話を切り出したのですが、その都度、船越はこう言います。」
『考えさせてください』
「そして、私は次の出会いの時です。今日、駄目ならもう二度と会う事ができない。との思いを込め、思いのたけを語り結婚への決断を迫ったのです。」
「船越はここから2時間以上も悩みに悩み抜き、ついに私にこのような答えをくれたのです」
『僕と一緒に生きていこう』
「そして、この事を息子に伝えこう言いました。」
『お父さんと呼んでみて』
「すると息子がこのような事を言います。」
『お父さんと呼んで欲しかったら証拠(婚姻届け)を持って来い』
「それではという事で、婚姻届けと養子縁組を同じ日に行いました。この手続きを終え、マンションに戻ってくると息子がこう呼ぶではありませんか。」
『パパ』
「このことに感動したのか船越は泣いていました」
前世も親子
ここで美輪がこのような事をこう言います。
「今世限りの次元で物事を考えると本当にドラマチックです。でも、次元を超越すると、何百年ぶりにやっと会えた二人だからです。振り返るとなるほど、と思うことが出てきます。」
「息子と船越は前世で本当の親子だったのです。今までの辛さが苦しいほど、幸せになった時のありがたみの感じ方が何百倍にもなるのです」
辛かったこと「流産」
松居がこの事についてこう言いだします。
「船越の子供が授かったのですが、検診に行ってみると医者がこう言うのです。
『心臓が動いていません』
この一言にもう立ち上がる事ができませんでした。この時です。
船越がこう言います。
『自分の子供が欲しいなら、他の女性と結婚をしていた。僕は君と生きて行きたい。僕らの子が一人いるじゃないか』
この事を聞いた美輪がこう話だします。
「皆が相手のためを思った事なのです。赤ちゃんも自分が産まれ出ていたら『生さぬ仲(血のつながりのない親子関係)』で色々なことがあると感じ、この世に出ないほうがいいと皆のためを思ってくれたのです。今もそこにいらっしゃいますよ」
いずれ一緒に
つづけて江原がこういうことを言います。
「この世に生まれ出なかっただけで、二人の間に子供を授かったのは事実です。今は永遠に生き続けていますので、いずれは一緒に暮らす事ができます。先の楽しみが出来ました」
趣味「お掃除」
このお掃除について江原がこう言います。
「松居さんの生き方は、スピリチュアルな法則にのっとっています。掃除一つとて侮ってはいけません。この家を守りたいとそう思ったら掃除をする事です。掃除とはオーラマーキングなのです。」
「洗濯した後も、その洗濯物をちゃんと畳む。そこに愛情という思いがこもるのです。そうすれば、ここに家族を裏切れない気持ちが生まれるのです。」
「食事も家族と一緒に食べる事が大事です。家族に嫌いな人がいて、その人が作ったものは何故か食べられなくなります。」
つづけて美輪がこう話し出します。
「食堂もこれと一緒です。どんな一流の店でも、適当な思いで作られた料理は同じ味付けをしても、まずくて食べることができません。米を研ぐ時から愛情を込められます。」
「どんな苦労もその思いの力(念の力)で乗り越えてきています。この思いの力は目には見えませんが、努力し続ければ必ず良い結果として戻ってきます。」
子供を信じる親
ここで江原がこんな事を話し出します。
「自分の子供を信じる親と信じる事ができない親がおります。子供を信じている親は、育てている段階で自分の身を削いでいます。この思いが子供に宿っていますので信じる事ができるのです。」
「それに子供を褒めています。人前でもちゃんと褒めているのです。日本は言霊の国と言われ、この事を上手に使っています。子供を信じる事ができない親はここができておりません。かつての日本はそうでした。今後の日本のために生活の生き方、仕方を教えて広める必要があります」
現在
松居が動画投稿サイトなどを使い、夫の船越の不倫疑惑訴えつづける。2017年12月、二人は調停離婚。2018年5月24日、船越から名誉棄損で刑事告訴され警察庁北沢署に出頭。同年6月22日、書類送検され容疑をみとめたが9月19日不起訴処分となった。
次は「榎木孝明のオーラ診断」