出門英のオーラ診断
妻・ロザンナの子供の頃の習慣はいつも空想のような絵を描くことでした。周りの大人たちが見ても何を描いているのか。知る由もありません。今まで一度も見たことのない。そのようなものを描き続ける日々を過ごしていました。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1942年12月15日
出身地 東京都
本 名 加藤秀男
血液型 A型
死 没 1990年6月17日(47歳)
学 歴 中央大学中退後、ポニー音楽スクール卒業
ヒデとロザンナ
1968年、イタリア出身の18歳のロザンナ・ザンボンと「ヒデとロザンナ」を結成する。デビュー曲は当初は「何にも言えないの」がA面で、「愛の奇跡」がB面でした。ところが、有線放送にB面「愛の奇跡」のリクエストが殺到し一躍ブレイク。その後2ヵ月近くもトップ10内をキープし売れっ子歌手の仲間入りを果たします。
日本への誘い
ここでロザンナがこの事についてこう語りだします。
「1967年、この年に私は17歳を迎えていました。私の叔父さんはちょうどこの時期、日本において音楽活動をしていました。その活動場所は東京都港区赤坂のナイトクラブ「月世界」です。ここのステージ上で演奏をしていたのです。」
「ここの音楽グループで女性ボーカリストを採用しようとの提案があがります。その時、叔父さんが私をその候補にあげたのです。それは、何故かと言いますと。」
「私のイタリアの実家では喫茶店を経営していました。ここのホールで私はいつもイタリアの大衆歌謡曲『カンツォーネ』を歌っていたからです。この事もあるのですが、私自身、それ以外に何かに誘われているような、そんな感じを覚えていました。」
「ですので、私はこの誘いを素直に受け入れることができたのです。そして、私はイタリアの音楽学院を卒業するとたった一人で日本へきました。」
さらにこう続きます。
不思議な習慣
「それと、私は子供の頃から不思議なことに、まだ一度も見たことも聞いたこともない日本の五重塔や着物の絵を頻繁に描いていました。描いている私は”これは何だろう”との疑問さえありません。この絵を描くことが習慣になっていたのです。」
「この当時から日本へと導かれていたのです。」
ヒデとの出会い
「私は叔父さんからの紹介で土門英と出会います。この方と出会った瞬間のことです。私はこう思いました。」
『この人は絶対、私の旦那様になる人です』
結婚
1975年2月、二人は結婚。
子供
その後、二男一女に恵まれます。長男は音楽家・画家の士門(しもん)、次男はミュージシャンの来門(らいもん)、長女はモデルの万梨音(まりおん)
娘の万梨音
ここで江原が長女がモデルの時に対談したことをこう話し出します。
「万梨音さん、お父さんはキッチンの椅子のところにいつもいますよ」
この事に驚きながらこう話し出す万梨音。
「闘病中の父親と手紙のやりとりをしていた時です。最後の手紙にこう書かれていました」
『こっちから応援しているよ』
「もう遠いあの世に行くことが分かっていたのですね。そして、1990年6月17日、結腸がんにより47歳で他界いたしました」
万梨音は2004年6月に結婚。2005年に出産。
さらにこう続けます。
「子供はお爺さんの存在は写真でしか知らないのですが、誰もいない所に向かって”ヒデじいじ”と言って、笑いながら手を振っているのです。間違いなくいるなと思っていました」
すると江原こんな事を言います。
「今、ヒデさんがこのスタジオに突然、来ちゃいました。奥様のロザンナさんにたくさん話をしたいと言っています。これまでの思いがたくさん溜まっていて、生きていた時よりも家族への関心が強い思いがあるようです」
娘へのメッセージ
ここでヒデからのメッセージをこう話しだします。
「ロザンナさん家族がこのオーラの泉の番組に出演したのは、ヒデさんが娘の万梨音のことを心配していたからです。自分があまりにも早い死を遂げてしまったから守ってあげることが出来ませんでした。けど、今は天上界からいつも見ているし見守っている」
と言っています。
家族一人一人は素っ気ないように見えるようですが、気持ちが団結していて思っている以上に熱いです。
土門英の前世
イタリア人で神父をしていました。
聖職者でしたので結婚はできませんでした。今世でのヒデさんは冷静に見えていましたが、とっても感情豊かな方でした。その前の前世は日本人で、この時ロザンナさんは日本にいました。この前世もあり幼い頃から日本に対しての違和感が無く、その当時の絵を描くことができたのです。
ここでロザンナがこんな事を言いだします。
「ヒデの元にロザリオを持っていくとヒデがこう言うのです。」
『お願い。そのロザリオを枕の下に入れて。そのロザリオがあると落ち着きよく眠ることができるのです』
ロザンナ・ザンボンのプロフィール
生年月日 1950年7月3日
出生地 イタリア・ベネット州スキオ
本 名 加藤絽山奈(かとうろざんな)
血液型 O型
所属事務所 クリームカンパニー
ロザンナは60歳を過ぎたころから終活について考えるようになっていました。
そして、”ヒデと同じ墓に入りたい”と呟いています。
帰化
さらに「遺産相続問題で子供たちに迷惑をかけたくない」イタリア人のままでロザンナが死亡した場合、日本とイタリア間での複雑な相続手続きや手間を子供たちにかけたくないとの思いから、日本への帰化を決意する。
2016年1月に帰化申請。
2017年3月30日付けで日本への帰化が正式に認められる。
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