松岡修造の前世と現在をオーラ診断 人生の転機 父親

松岡修造のオーラ診断

どうしても、テニスをしたかった。この時に黙って高校の転校を承諾してくれたのが父親でした。そしてその結果。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1967年11月6日
出生地 東京都
本 名 松岡修造(まつおかしゅうぞう)
身 長 188センチ
体 重 85キロ
血液型 AB型
職 業 タレント、スポーツキャスター
妻 田口恵美子 元アナウンサー

松岡修造の教えはこうです。

「人は、ほめられればうれしくなり、成長する力がわいてくる! ならば、僕が日本の皆さんを、本気の言葉でほめまくります。」
『(日めくり)ほめくり、修造!』

「日本人の毎日を全力で応援するべく発刊され、発行部数100万部に到達しました。」

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「板前です」

〇 毎日欠かさずにすること何ですか?
「妻とのコミュニケーションです」

〇 休みの日は何をしていますか?
「家族と遊びに行きます」

〇 人生最大の転機は何ですか?
「高校の時、京王から柳川高校に移った」

〇 性格を一言で言うと何ですか?
「カメレオン、三言で言うと、意地悪、冷静、ひょうきん、オーラの色は、黄と青のような気がします」

「家族と一緒」
この事について松岡はこう話し出します。
「修造は、休みの時はいつも家族と一緒に東京ディズニーランドに行っています。ここがとっても好きなんですよ。いつも家族の中心の中にいて、はしゃいでいます。」

さらに松岡こんな事を言います。
「常に何かしていたい。この気持ちがありますので、子供や妻の事をあまり考えたことがありませんね」

娘(長女)・敏子が結婚し、娘が育つに従って娘に育てられている部分が多く、結婚も松岡にとって人生においての転機といえるのかもしれません。

妻が好きじゃない否定言葉
松岡がこの事についてこう言います。
「妻に対し、正しい事をいつも素直に説いているのですが、聞く側の妻はストレート過ぎると言います。結婚してからの2年間は、喧嘩ばかりしてきましたので、妻の本音も聞いていました。」

「そして、自分の本心も妻に対して全部出すことができました。これは、お互い成長すためでお互いが良くなってきています」

ここで江原がこう言います。
「相手の呼吸に合わせて話をすると、相手の気持ちがよく分かるようになりますよ。」

ままならない事が結婚
さらに松岡がこう言います。
「家族に対しては、いつも愛情が深く接しているのですが、家族側にとっては時に重苦しく感じているようです。」

何故なら、松岡の接し方すべてが、計算されたように接っしてくるからのようです。

この事を聞いた江原がこう言います
「計算されたように接するのではなく、時には違う愛情に切り替える事も必要です。結婚は幸せという概念よりも、ままならない事を学んで愛を育んでいくこと。これが結婚の勉強になります」

気が抜けない妻
ここでこのような内容の話が松岡からでます。
「私は家の配置から何から自分が中心となって決めています。時には妻に対し不満をぶつけることもあります。優しさの空回りをしているな。と、自身で感じる時もあります。」

「そして、妻は、夫の松岡が人から嫌われて欲しくないため。妻は妻なりに気が抜けないと言います」

人生最大の転機
松岡がこの事についてこう言いだします。
「当初、私はテニスのプロになろうとする気持ちをもっておりませんでした。でも、テニスの名門として知られる柳川高校へ転校してみたいという思いはありました。遠回りしてでも柳川高校でテニスの挑戦をしてみたい。こんな思いがあったからです。」

「この事を黙って理解してくれたのが父親でした。」

そして松岡は、高校2年の時に転校します。
1984年、16歳の時のインターハイでシングルス、ダブルス、団体戦で優勝。そして、ついに念願であったウィンブルドン・ジュニアへの出場権利を手にするのです。

自分へのご褒美
1986年、世界的有名なコーチのボブブレッドに支持され渡米しプロに転向します。

ここで松岡はこう言います。
「常に自分がやりたいと思う事を選考してきました。そして、ウィンブルドンでベスト8になりました。今の自分への人生のご褒美だと思っています」

前世
前世は幼い頃から武芸を修めた日本の殿様です。

いつも、戦に出向く事はありませんでした。なので、いつも「泣き殿様」と呼ばれていたのです。出て行けない役割のため、思いがつのっていたのですが、自分が直接活躍することがありませんでした。

このため、自分は卑怯者ではないかといつも悩み苦しんでいたのです。

今世で戦える嬉しさ
今世に生まれてきて、自分個人で戦えることが本当に幸せだったのです。人に庇護されるのは好きではないし、人にサービスすることや、仕切るのは大好きなのですが、人にしてもらうのは億劫で、褒められるのはうれしいのですが、とっても苦手でした。

前世では、周りにちやほやされていて、イエスマンばかりだったため、素直に意見してくれる人がもの凄く欲しかったのです。今世でもそれを引きずっている部分があります。

その前の前世
中国の殿様で、苦労すること不自由な事がたくさんあり過ぎていました。生涯のスケジュールはすべて人に決められて過ごしていたのです。

これに美輪がこう言います。
「紫の牢獄、金の鳥かごに入っています。だから、今世の松岡修造さんは無計画な生き方ができないのです。」

前世では、亡くなる人を多く見ていたので、精一杯生きなければ、といつも思いながら自分が中心に動いているためか、人には冷たいと思われてしまっていました。松岡も過去世があるため、自虐的に考えてしまうところがあるのはこの訳からです。

守護霊
努力をたくさん積んでいる修験道の行者です。今世の松岡にとってはテニスが修行となっています。自然霊の龍神も憑いていて、神仏の恩恵の念を受けています。

ここで江原がこんな事を言います。
「お札参りを忘れていますよ。」

以前、松岡はありとあらゆる所のお札参りをしていました。

これに松岡がこう返します。
「数日前、妻とお墓参りに行き、先祖にお札のお礼を言いに行って参りました」

オーラの色
一番強いオーラの色はシルバー(古風、頑固)マイペースでこつこつやって行くタイプです。赤(情熱的)もありますが、黄のオーラはほとんどありません。感情のオーラにブルー(冷静と悲しみ)があります。

先祖のおじいさん
ここで江原が、先祖のおじいちゃんからの助言をこう言い出します。
「里の行をしなさい。今まで学んだ事を暮らしの中で活かしていきなさい。人生の大きな節目、新たなる役目への出発のためです。」

「貢献、後進の育成も大事です。でも、家系、家族の育成も大切な仕事です。しっかりと地固め、足固めをしていきなさい」

ここで松岡がこのような事を言います。
「家族を思っていると言っていながら、やりたいことがたくさんあって、何もしていませんでした。」

父親と兄
つづけて、松岡がこう言います。
「今まで父親が大切な部分をサポートしてくれていました。なので、兄にほとんど頼り切ってきたため、兄が結婚する時に私は父親にこう言ってしまいました。」
『俺、これからどうすればいいんだ!』

これに江原がこう言います。
「いつまでも子供でいたい。大人になりたくないからです」

そして松岡こう言います。
「妻からは”今変わらなきゃだめだよ”と言われました」

守護霊とのずれ
いつも子供でいるのは楽しくて楽、でも、周りの人はかなり苦労をしています。それは松岡自身に作為がなく無邪気すぎるから。だから周りが愛してくれるのです。

これだと守護霊があなたに対するお願いと、ずれが発生してしまいます。これでは守護霊が困ってしまいます。

この事に美輪がこう言います。
「あと1年経ったら、もう遅いです。今月から入れ替えなさい。そうすれば良い事が次から次と起こりだしますよ」

就任
2012年3月、日本テニス協会強化本部長に就任する。

報道番組
2018年4月1日、「サンデーLIVE」応援ナビゲーターで出演。

ドラマ
2017年12月、テレビドラマ「陸王」御園丈治 役で出演。

著書
2018年4月、「弱さをさらけだす勇気」を出版。
「修造はこう言います。『自分自身が弱いから嫌い』このような思いで立ち上がろうとしない若者がたくさんいる。でも、この弱いことこそが素晴らしいこと。何故なら、あなた自身が挑戦したい。もっと成長したい。と思っているから。」

「弱さを感じる。挑戦し、本気にならなければ、感じることなんかないんだ」

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