小椋久美子と潮田玲子の前世と現在をオーラ診断 二人の出会い

小椋久美子と潮田玲子のオーラ診断

小学生の大会のときでした。二人は同じコートの上に立ちプレーをおこなっていました。突然のアクシデントが起こります、しかし、この時のことは丸っきり記憶から消されていました。そして、月日が経った今、二人は再会します。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

小椋のプロフィール
生年月日 1983年7月5日
出身地 三重県三重郡川越町
身 長 171センチ
体 重 64キロ
血液型 A型
学 歴 四天王寺高校卒

潮田のプロフィール
生年月日 1983年9月30日
出身地 福岡県京都郡苅田町
身 長 166センチ
体 重 60キロ
血液型 A型
学 歴 九州国際大付属高校卒

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業
「小椋:保母さんです」
「潮田:バドミントン選手になっていなかったら美容師です」

〇 潮田さんに直して欲しい所はどこですか?
「遅刻です」

〇 小椋さんに直して欲しい所はどこですか?
「頑固で自分を追い込んでしまう所です」

〇 不思議な体験を教えてください。
「小椋:お爺ちゃんを近くに感じる時があります」

〇 人生の転機を教えてください。
「潮田:今です」

二人の出会い
小椋は川越町立川越南小学校に通っていた8歳のときよりバドミントンを知り始めることに。潮田のほうは小学1年生の時に親の勧めで名門「京都(みやこ)クラブ」でバドミントンを始めることになります。

この二人の初めての対戦になりますが。それは小学6年の全国小学生バトミントン大会の準々決勝でした。この試合中のことです。突然、停電というアクシデントが発生し試合が中断。

この時、小椋は体の冷えを防ぐためのフットワークを開始していました。一方の潮田は軽めのストレッチをおこなっていました。停電が解消され試合が再開されます。そして、二人のこの対決は潮田が勝利し3位入賞を手に入れます。

その後、潮田にこの試合の事を尋ねると。こう話し出します。
『この大会のことは覚えています。あの突然の停電がありましたからね。でも、小椋との一戦は失礼ですけど覚えていませんね』

中学での対戦
その後、2人は中学に進学してもバトミントンをつづけ、中学2年の時に潮田は小椋との2度目の対戦も制することに。そして、全日本ジュニアバトミントンの新人の部では準優勝という成績を残します。つづく中学3年の全国中学バトミントン選手権大会では潮田が優勝し、小椋は3位となります。

ダブルス
その後、小椋は地元、三重郡の中学を卒業し大阪市の四天王寺高校へ進学。一方の潮田も地元、福岡県京都郡の中学を卒業後、福岡県北九州市にある九州国際大付属高校へ進学。

高校入学後、二人はアジアジュニアバトミントン選手権の強化選手に選ばれ、その合宿で再び出会うことになります。ここでダブルスのペアを組んでいると、たまたま余ったのが小椋と潮田の二人でした。

この時のことを小椋がこう話し出します。
「お互い友達として仲がとっても良かったですね。コートに入ったら、入ったでダブルスの相性も良く感触もすごく合いました。ここからです。ダブルスにも興味が湧いてきたのが」

潮田も同様にこう話し出します。

「私は一緒にコートに入った瞬間から意気投合できるような、そんな感じがしていました。たまたま残った二人ではなく、残るべくして残った二人です。これからのダブルスが面白くなるなと思いました」

この二人の意気投合は本物でした。海外遠征する先輩たちの練習試合では、素晴らしいほどのコンビプレーを発揮してペア初で初勝利をものにします。

オーラの大きさ
この事について江原がこう話し出します。

「あなた方お二人は、お互い宿命的に縁があります。それは、前世では夫婦でしたから。いつの出会いも、深い縁があるのです。残り物には福があるといいます。」

「ダブルスでは、オーラの大きさが影響してきます。相手がどこにいるかをいちいち確認する暇がありません。なので、後ろに目があるように気配(オーラ)を感じ取っているのです。」

「以心伝心で心も伝わります。良い時は相乗効果で良くなっていきますが、悪い時は引っ張られてしまいます」

三洋電機に入社
潮田は高校卒業を前に、地元の実業団入りか大学進学かで悩んでいました。小椋は小椋で潮田とこの先もずっとバトミントンを一緒につづけていきたい。このような思いがありました。

そして、小椋が潮田を口説き落としにいきます。2002年、2人は揃って三洋電機に入社することを決めます。バドミントン部に所属後は、二人だったら絶対頑張れるとお互い誓いをたて2004年のアテネ・オリンピック出場に目標を置きます。

さらにこうつづけます。

アクシデント
ところが2003年4月のことです。潮田が虫垂炎にかかってしまい。この事につづくかのように翌月の5月には、小椋が左足小指を骨折。潮田は小椋以上のペアは考えられず2008年の北京オリンピックに目標を切り替えます。

国内大会では同年の全日本総合女子ダブルスで準優勝。2004年には同年五輪代表選手であったペアを破り初優勝を飾る。2006年、世界選手権で銅メダル、世界ランク6位となる。

気付き
2008年、北京オリンピック出場。ところが小椋の腰椎捻挫が再発します。でも、目標であったオリンピックのコートにどうしても立ちたい。この思いから、この状態で北京五輪に出場します。

1回戦はデンマークペアにファイナルセットの接戦を制して勝利するも、続く準々決勝では優勝した中国ペアにストレートで敗れてしまい5位入賞を果たします。

この時のことを二人はこう言います。
「メダルを獲得できずに本当に悔しかったです。でも、色々な人から”ありがとう”と”感動したよ”との感謝の言葉をいただきました。この時、4年間頑張ったことは、間違っていなかったと気付かされました」

揺れ動く気持ち
ここで潮田がこう言います。

「北京オリンピックが終わり、引退するか現役を続けるかの整理がつかない状態にありました。これまでの4年間はもの凄く辛く苦しいものでした。この事を思うと、何故か、中々やる気が湧いて来ないのです。」

「やりきった感があるのでしょうね。気持ちが疲れてしまっていました。自分がここでどうしたらいいのか。分かりませんでした」

お互いの性格
小椋もこうつづけます。
「私の挑戦したいが気持ちは現在、揺れています」

ここで美輪がこの事についてこう言います。

「年齢的なもの、結婚や生活の問題も色々あります。今までと同じにする訳にはいきません。潮田さんの方が慎重派です。常に冷静に考えてはいるのですが、無駄遣いが好き。それに負けず嫌いで天邪鬼。」

「どうして自分が頑張れてきたのだろう、と不思議に思うことがあるはずです。これは、負けず嫌いと天邪鬼な性格がバネになっていて知らず知らずのうちに成長していっているからです」

つづけて江原がこう言います。

「潮田さんは、自分で何でも決めたい方。人に先に言われるのは嫌いで人一倍神経を使うため、胃のオーラが良くありません。」

「これに比べ小椋さんは受け入れ上手です。人の意見を素直に受け入れて、すぐに従う方。これを潮田さんはそれが気に入らない時があります。小椋さんは父親を最も尊敬していて、本当は甘えたい。潮田さんよりも小椋さんの方が性格的に強いところがあります」

ご神徳と父性愛
江原がここでこう言いだします。
「小椋さんの側にお爺さんいつも付いています」

この事に小椋がこう答えます。

「いつも近くにいるように感じる事があります。それに、いつも試合に出掛ける前に仏壇に向かいお爺ちゃんに話しかけています。それにお墓参りも欠かしたこともありません。」

「それに、お爺ちゃんが病気で入院した時は毎日お見舞いに行っていて、亡くなってからはもの凄く大切に思うようになりました」

つづけて江原がこう言います。

「小椋さん自身が引き寄せている部分もあります。それにお墓参りや神社へのお参りを必ずしていて、支援お願いているためご神徳を頂いている部分もあります。それに、父性愛が欲しいという思いが強いため、お爺さんが付いてくれているのです」

さらにこうつづけます。

前世
「二人は親子だった時期があります。二人は出会った時から運命を感じていたと言い。この時は、小椋さんがお母さんで潮田さんが息子(長男)で子だくさんの家庭でした。」

「そして、息子が働きながら母親をサポートしていました。この影響もあり、お互いが本心を言える相手でお互い同士が心配し助けてあげなくては。と言う気持ちが常にあります。」

一度きりの人生
つづけて江原がこんな事を言います。

「潮田さんは、女性としての人生が気になっています。人生は一度きりで後悔したくないという思いがあります。この後悔というのは、今まで女性としての人生をやってこなかっため、女性の道を選ぼうかどうしようかを悩んでいるところです。」

「小椋さんは潮田さんの気持ちを感じ取っていて、どこかで前世の母親の気持ちがあるため、好きなことをやらせたい。という思いもあるのですが期待に応えて頑張りたいという気持ちも半分持っています。」

「現在、双頭の鷲(頭を2つ持つ鷲、2人で1人)になっているため、難しい状況の中で肉体的にも限界を感じているところです。このままでは体が壊れてしまいます。スポーツをやっている人は必ずこの事がやってきます」

守護霊と現在
潮田さんの守護霊は日本の武家の子供です。

その子は今、後ろにいます。その為か、無邪気で少年のようなところを持っています。
この少年がこのようなメッセージを潮田さんに送ります。
「好きにしていいよ(女性の気持ちになっていいよ)」

2012年7月19日、この日、潮田はこう宣言します。
「私は、9月開催の「ヨネックスオープンジャパン」の出場を最後に現役からの引退を表明します。

2012年9月30日、ベガルタ仙台所属の増嶋竜也との結婚を発表。
2015年9月28日、第一子となる男児を出産。
2017年8月7日、第二子となる女児を出産。

小椋久美子の現在
父親に気持ちのずれがあるため、この事をよく考え分析してから、お墓参りに行くこと。この事で気持ちが整理されていきます。お爺さんからの助言もあるかもしれません。

2010年1月12日、現役引退を発表。
2011年3月、ラグビー選手の山本大介と結婚。
2012年9月、離婚。

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