泉ピン子のオーラ診断
某番組内でMCから将来の結婚について問われました。「でも私はもう40歳を超えていますから」と結婚相手の出会いを否定いたしました。ところが、意外な場所で意外な方との出会いが待ち受けていたのです。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1947年9月11日
出生地 東京都中央区銀座
本 名 武本小夜(たけもと さよ)
身 長 154センチ
血液型 B型
学 歴 日本音楽高校中退
事務所 pi企画
スピリチュアルチェック
○ 性格を一言で言うと何ですか?
「真直ぐ、嘘嫌い、曲がったことが嫌い。陰口を言うならその人の前で言う」
○ 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「美容師です」
○ 将来の夢を教えてください。
「生涯現役です」
○ 人生の転機を教えてください。
「ウィークエンダー、結婚です」
○ 座右の銘を教えてください。
「春の来ない冬は無い、冬の来ない春は無い。杉村春子の”女の一生”の中から誰が選んだ道じゃない、間違いだと思ったら間違いじゃないようにしなくちゃ」
なりたい職業「美容師」
ここでピン子がこの職業についてこう話しだします。
「父親から買ってもらった人形の髪の毛を毎日のように結うのが大好きでしたので、将来は髪結いの仕事に就きたい。とこの事を父に話しましたら反対されました。」
「その原因はこうです。私が3歳の頃、離婚した母親が髪結いだったからです。ここからでした。再婚の母親の事をお母さんと呼べなくなったのは。そして、この再婚の母親をどうしても好きになれず、小学高学年頃には、家を出て自立したいと思うようになっていました」
大好きな父親
ここで江原がこのような事を言います。
「再婚のお母さんは、ピン子さんの実のお母さんと性格や雰囲気はそっくりです。この産みのお母さんが、ピン子さんが人生を終えた時に、話したいことが一杯あると言っています。父への恨みや罪の意識などです」
ここでピン子がこのような話をしだします。
「私は、父親の事がとっても好きでした。映画やミュージカルに連れて行ってくれました。その度に、日本だけじゃなく、世界も見るようにしなさい。と言われていました。確かに男らしくない部分もありましたが、私にとっては、恨みきれない素敵な父親でした」
父の愛情
この事に江原がこのような話をしだします。
「お母さんも一緒と言っています。父の事を憎んではいました、でも、その裏にはたくさんの愛情があったからです。それ相当のドラマもありました。それに、産みの母親はピン子さんに生き写しのようにそっくりな方です。あまりにも同じなので、お父さんは後妻には遠慮していたのです」
感謝
そして美輪がここでこう話し出します。
「育ての母とは、確かに仲が悪かったです。でも、病気の世話をすべて行い、助けようとしました。この事に育ての母は感謝しています。普通だったらそこまでしません」
これにピン子はこのような事を言い出します。
「育ての母は嫌だったようですが、死んだら仲良くして欲しいとの思いで、前の母と同じお墓の中に入れてあげました」
女同士
つづけて美輪がこのような話をしだします。
「育ての母は、ピン子さんのために自分の子供は産みませんでした。それは、自分の子供が可愛くなってしまうためです。育ての母と仲良くなれたのは、病気になってから。根底にあったのは女同士だから。」
「二人のお母さんともお父さんを大好きでした。それに、お父さんを立てないといけなかったためです」
この事にピン子がこのような話をしだします。
「この事は、ある年齢になってから理解できるようになりました。若い頃はただの憎しみだけです。でも、自分が結婚してから少しずつ変わっていくのが分かりました」
人生の転機 結婚
ピン子が人生の転機となった結婚についてこう話し出します。
「私が41歳の時です。『徹子の部屋』に出演した際、黒柳さんに向かい”結婚なんてとんでもない”と、こんな事を話したのです。」
「そして翌週、病院に検査入院をした際のことです。担当の先生にお会いした瞬間、タイプではなかったのですが、”この人と結婚する”と閃きめいたものがありました」
求婚
「その後、食事などを重ね、3カ月後、結婚の話をされ7月29日結婚をしました。結婚をしたら主役の仕事はもう来ないな、と思っていましたが、仕事が結婚前より、何故か増えていきました」
ここで江原がこのような事を話し出します。
「結婚は産みのお母さんの引き合せです。杉村春子さんなどもお母さんの引き合せ、自分が果たせなかったことをすべて与えています」
女優・杉村春子
この事にピン子はこう言います。
「私は杉村さんには、とても可愛がられていました。休みの日にも稽古をお願いしに行っていたほどです」
ここで美輪がこう言います。
「ピン子さんは芸に対しては貪欲な方です。杉村さんは好き嫌いが激しい人でしたので、ピン子さんのこの貪欲さが好きで、徹底的に良く接してくれていたのですよ」
応援
ここで江原がこうつづけます。
「今、杉村春子さんがいらっしゃっていますよ。後継者として期待していた女優の太地喜和子さんのことが精神的な澱になっていたようですが、向こうで会えてそれが溶けたため、もう心配しないでと言っています」
太地さんは、杉村さんよりも先に不慮の事故で亡くなっています。
つづけて江原がこう言います。
「ピン子さんは杉村さんが亡くなってから、女優として骨が太くなりました。後を継いでやろうという思いが決まったからです。杉村さんも応援しています。もっと舞台をやらせたい。そんな思いもあるようです」
前世
フランスのシャンソン歌手で、たくさんの苦労を重ね歌い続けていた人です。
ピン子自身もシャンソンが大好きで漫談家の頃は、全国を巡業していました。ごく一般的に和のイメージが強いのですが、本来、洋が強いです。モダンなことが好きで、アールヌーボーを取り入れたヨーロピアンな自宅を建築しています。これも前世の影響からきています。
旦那
ピン子さんの旦那は前世ですべてを投げ出して支えてくれたパトロンです。今世は逆に旦那に尽くさないといけない立場にたっていかなければなりません。
和の動き
ここで美輪がこのような事を言い出します。
「今度は日本的なものを磨いて第一人者を目指した方がいいです。日本舞踊のような和の動き取り入れるようにした方が良いです。杉村さんは、人間国宝の吉村雄輝さんから指導を受けていました」
オーラの色
以前、テレビ越しに見た時は赤(情熱的で頑固)でした。でも、今は紫(情愛)が強いです。
泉ピン子の将来
ここで江原がこんな事を言います。
「杉村さんがこうおしゃっていますよ。今後の人生の流れのため、この3年間は色々な葛藤がありました。そして、自分磨きという苦労が散々ありました」
これにピン子がこう答えます。
「舞台が苦手でプレッシャーでしたが一生懸命頑張りました」
そして美輪がこうつづけます。
「舞台は楽しめばいい。芝居は信用であり、自分も楽しみ、お客さんも楽しみ、人生の短い時間を共有すればいいのです。丁寧に仕事をしていけば信用が積み重なり、どん底に落ちるという強迫観念は必然的になくなります」
腰痛
ここで江原が杉村春子の助言をこう伝えます。
「あなたは怖がりだから」
泉ピン子は声帯が弱く、精神的なものでいつも声が出なくなっていました。
さらにこうつづけます。
「腰だけは大事にしてくださいね」
実はピン子は、ギックリ腰で椅子に座ることができず、2ヶ月間大変な思いをしていたのです。
この腰の問題改善に美輪がこうアドバイスを送ります。
「冷えを克服し歩くのが一番の効果ですよ」
病気
バラエティ番組などでも場を盛り上げたり、元気が強い印象でしたが、最近、病気の疑いが出ています。
2016年、ドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」の久保東子役で出演した時に首の震えがあったそうです。医療ジャーナリストによると「本態性振戦」これは、原因が不明という意味で、緊張したりストレスがあると表れる場合が多いようです。この辺りから番組等の出演は休止しているとの事です。精神的な病の積み重ねなのでしょうか。
と、ここまではファンの皆さんに大分心配をかけさせてしまいました。
でも、ご覧くださいませ。
このようにテレビドラマ出演なさっています。現在72歳。
まだまだ、生涯現役で頑張りつづけるといっています。
2017年8月21日、「オバチャン保険調査員 赤宮楓のマル秘事件簿」主演・赤宮楓。
2018年2月23日、「天才を育てた女房」阪田ユウコ 役。
2018年7月14日、「極道めし」荒木ふじ 役(特別出演)。
2019年1月9日、「家売るオンナの逆襲」神子巴 役。
2019年3月28日、「松本清張 砂の器」岡本多恵 役。
次は「西城秀樹のオーラ診断」