中村江里子の前世と昔をオーラ診断 運命の3度の出会い

中村江里子のオーラ診断

エレベーターに一人乗っていると次の階で、一人の男性が乗ってきました。そして目と目が。そんな、どこにでもあるひょっとした日常の出会い。ところが、次の出会いも。その次の出会いも。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
本 名 エリコ・バルト(Eriko BARTHES)
生年月日 1969年3月11日
出身地 東京都
身 長 169センチ
血液型 O型

学 歴 立教大学経済学部経済学科 卒業

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「自分の好きな物だけを集めた小さなお店をやりたかったです」

〇 毎日欠かさずにすることは何ですか?
「お茶やカフェを入れて一人で飲むことです」

〇 パリで生活し大変な事を教えてください。
「言葉の問題です」

〇 運命を感じたことを教えてください。
「主人と結婚前に偶然の出会いが3回あり、今一緒にいることが運命だと思います」

〇 不思議な体験を教えてください。
「以前、江原さんと対談した時のことです。『赤ちゃんが見える』と言われそのあと妊娠しました」

苦労の巴里
美輪が中村江里子にこんな事を言います。

「フランスに嫁ぐというのは、わざわざ、自ら苦労しに行くようなものですよ。パリの華やかなイメージはメディアが作ったもの。この事を知らない方が本当に多いです。ここで生活している人たちは質素で堅実でシビアそのものです。」

「この町でのほほんとしていたら、生きていけないところです」

この事について江里子はこう言います。

「私は、この町に8年間ほど生活してきました。色々と分かってくると疑問に思う事がとってもたくさんあります。それに私には、友達もおりませんので孤独を感じることもしばしばありました。」

「ですがその反面、パリは古い建物がとっても多く、これがまた美しいのです。この風景を楽しみながら、この歴史をいつも感じていました。」

「それに建物の高さが制限されているために、空もまた広く美しいところなんです。東京に比べると時間がゆったりと流れていますね。」

「しかし不便なことは、ここフランスはサービスが後進国、そのものです。荷物は希望の時間に届くことはまずなく、コンビニも24時間体制ではありません。サービスの部分では日本の方が暮らしやすいです」

父親
江里子の実家は創業130年を越す老舗楽器店の「銀座十字屋」(楽器の販売、音楽教室、コンサート等々)で父の中村清郎が社長を務めていた。江里子は三姉妹の長女。父の死後に母の千恵子が社長に就いている。

2005年3月末日、父親が病気で他界。

この時の事を江里子はこう言いだします。

「これが不思議なんです。父が亡くなる事を知っていたかのように、この時は、家族が全員揃っていたのです。普通であれば、家族全員が揃うことはないと思いますけど。この時期、父が亡くなった事は私の中では納得していませんが、家族が全員揃っていました。」

「この事に関してはもの凄く私は感謝しています」

最期のわがまま
この事について江原がこう話し出します。

「これは父親の望みだったのです。家族が後悔しないようにとの思いなのです。偶然ではなく必然です。今、こうして穏やかでいられるのはそのためです。」

「おおらかな方で、決してわがままを言わない方でしたが、最期、家族全員が揃ってもらったのが唯一のわがままなのです」

運命の3度の出会い
1度目の出会い。
「現在の夫であるバルトがフランスから日本に初めて来日した時のことです。宿泊したホテルのエレベーターに乗ると。そこに私が乗り合わせていました。お互い初めてでしたので話を交わさずに別れました。」

2度目の出会い。
「エレベーターの出会いから6カ月後。私は単身パリに遊びに行った時のことです。友と一緒にブティックに行きましたら、ここで偶然バトルと出会いました。何故かお互いがエレベーターでの出会いを知っていて、社交辞令的に話を交わし別れました。」

3度目の出会い。
「パリの出会いから8カ月後、友から東京でのパーティーに誘われ、そこに行くと、また偶然、バルトがいたのです。お互い挨拶を交わした後、名前と電話番号を聞かれました。」

「すぐに連絡があり誘われますが何度も断りました。この私の、この行為にバルトの心に火がついたのが分かりました。そして3カ月後、私たちは、某ホテルでディナーを楽しんでいました。」

ここで美輪が江里子のこの事についてこう言います。
「自分を決して安売りをしない。これが価値です」

結婚
その後、バルトは猛烈なほど求愛を求めてきました。

この時の江里子の気持ちをこう語りだします。

「最初は結婚しないでいて二人でフランスに暮らしながら、その時期がきたら結婚しよう。と私はそう思っていました。とこがバルトは、きちんと結婚して家庭を作る思いがとっても強くありました。」

「そして私たちは、色々と話し合いをしました。その結果、2001年9月、28歳の時に、フランス人の実業家シャルル・エドゥアール・バルトとフランスで私は結婚をします」

この結婚のことについて江原がこう言います。
「バルトさんだけは特別で最初から空気のような自然な感覚でした。ずっと、あなたと一緒にいられるという自信と安心感がありました」

日本で暮らす
ここで江里子がパリで暮らす子供の事をこう話しだします。

「4歳の長女は日本語がだいぶ上達してきています。1歳の長男のほうは日本語もフランス語も理解し初めているところです。将来的に私たち家族で日本に暮らすかどうか検討しているところです。」

「私は今、色々と考え過ぎてしまっていて、何も手が付かない状態ですが、本当の日本の文化を子供たちに理解させるために、早めに日本に住ませたいと思っています。」

「それは、私が日本にいるとは嫌なことが色々と気になっていたのですが、いざ一歩、日本を出るとその美しさや尊さを理解することができたのです」

日本の文化
この事について美輪がこう話し出します。

「最終的に日本に住むかどうかは子供たちが決めること。中村さん自身はフランスがすごく好きですが、日本を離れてから日本が好きになりました。それは、日本には世界に誇れる文化があることを気付いたからです。」

「服飾デザイナーのピエール・カルダンは、日本の着物や文化は手がつけられないほど洗練されている、と言っていました。江里子さんには世界に向けて日本の美を表現する仕事が残されていますよ」

思いのまま
江原が続けてこう話し出します。

「江里子さんはとっても生真面目な方です。あなたは、迷っている訳ではありません。ただ、背中を押してもらいたいだけなのです。」

「世の中には貴女一人だけなのです。瓜二つの方はどこにもおりません。自分のやりたいと思うやり方でいいのです。今、あなたは不安になっている状態にありますので、大丈夫と言う言葉が欲しいだけなのです。」

「日本でもフランスでも子供をどこで勉強させても、それはその人の自由です。そこには経験と感動が生まれます。その都度、その思いに任せればいいのです」

このことに美輪がこう続けます。

「中村江里子さんはまだ自分を十分に理解していません。何でもきちんと整理したいきっちり居士ですが、後天的な性格の方です。これは全て家の教育からきています。これに持って生まれた性格がプラスされた妄想族なのです」

前世
スイスかドイツの女の子で病弱で若くして亡くなっています。

そのため、妄想・想像力がいつも友達でした。いつも美しい景色ばかりをずっと見ていたためか、現世では騒々しい所にいたいという思いが強くあります。

大自然のような時間が止まっているような所には恐怖を覚えます。江里子さんがせっかちな理由は、長くない人生に後悔をしたくない。そんな思いから来ています。そのためか、取り越し苦労がとっても多いです。

夫のバルトさんは前世では弟でした。姉が先立たれたことが今世の記憶の中にあり、その事がが今でも気になっています。だから、いつも側にいることが多く影が見えないだけでもすぐに呼ばれています。

さらにこうつづけます。

社会貢献
それにテレパシーがありますので会いたいと願う人にいつも会うことができます。この番組「オーラの泉」に出演できたのは、誰かに背中を押してもらいたいという気持ちがあったからです。

それに、これから芸術交流で社会貢献等を考えているようですが、まだ子供が小さいので慌てる必要はありません。

それに子供の教育だけではなく、日本で暮らす母親のことも面倒みたいと考えているようです。

メッセージ
この事に亡き父親からのメッセージがこう届きます。
「フランスの家族との暮らしを大事にしなさい」

この事に江原がさらにこう付け加えます。
「江里子さんが現実的に今考えていることを叶えるのは難しいです。でも、自分が望んで引き寄せれば、悔いの無い時間を過ごせる事はできます」

著書

「セゾン・ド・エリコ 中村江里子のデイリー・スタイル. Vol.01」2014年3月発売から「セゾン・ド・エリコ 中村江里子のデイリー・スタイル. Vol.10」現在、2019年3月発売中。
内容
〇 あこがれの50歳になりました。
〇 大好きなパリのカフェ、東京&京都の大人が楽しめるカフェをご紹介します。
〇 母と娘の小さな日本旅は「信州の温泉宿」です。

2020年、現在も家族でパリに暮らしています。

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