白鵬の前世と現在をオーラ診断 運命の出会い

白鵬のオーラ診断

こんな小兵が。そんな思いで日本を訪れます。相撲研修はそれなりの考え方で望んでいました。ところが、それ以外のところは祖国の父母へのお土産です。思いの通り小兵はスカウトからもれてしまいました。ところが。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1985年3月11日
出身地 モンゴル国ウランバートル市
本 名 ムンフバト・ダヴァジャルガル
身 長 192センチ
体 重 155キロ
血液型 A型
部 屋 宮城野部屋

スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「山みたいです」

〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「お医者さんです」

〇 好きな歌手を教えてください。
「夏川りみさんとコブクロさんです」

〇 好きな言葉は何ですか?
「相撲です」

〇 宝物を教えてください。
「両親です」

〇 マイブームを教えてください。
「ゴルフです」

〇 怖いものは何ですか?
「家族に何かあったら怖いです」

〇 将来の目標を教えてください。
「相撲道に恩返しがしたいです」

モンゴルの家族
白鵬がこのことについてこう語りだします。

「私の父親はジグジドゥ・ムンフバトと言い。モンゴル相撲の全国大会で6回も優勝しモンゴル相撲の最高位アヴァルガ(横綱)になっています。メキシコオリンピックのレスリング(87キロ級)では銀メダルを獲得しました。これはモンゴルで初になります。」

「母親はウルジーウタス・タミルといい。職業は元外科医をしていました。兄弟は5人いて自分は末っ子でしたのでベッドがなかった為、15歳頃まで両親と一緒に寝ていました。」

この事に美輪がこう言います。
「あなたには、根底に強い精神に裏打ちされた優しさがあります。白鵬関の相撲は優しさからの強さが出ています、この原点となっているのが両親の存在になります」

大相撲の出会い
日本の相撲との出会いについて白鵬がこう話し出します。

「私が6歳頃でした。父親の愛読書の中に日本の大相撲の雑誌がありました。これで知ることになります。10歳の頃はバスケットボールが大分流行っていましたので、私も参加し夢中になって練習に励んでいました。その結果、モンゴルの全国大会で3位に入賞です。」

「この時、私は本気でプロのバスケットボール選手になりたいとの思いもありました。また、このバスケ意外にモンゴル相撲も好きでしたが、父親からの助言もあり遊び程度で楽しんでいました。」

「そんな時です。衛星放送で日本の大相撲を見て自分もあの土俵の上で戦ってみたい。という思いになっていました。数いる力士の中で特に若貴兄弟に憧れていました。この時の自分の年齢は18歳です。」

運命の出会い
この事について白鵬がこう話し出します。

「モンゴル出身の旭鷲山のつてで日本においての相撲研修のために自分を含めた7人が来日しました。この時の自分の気持ちは半分は軽い気持ちでこう思っていました。」

『やってみるかなぁ~』

「それもそうです。この当時の自分は相撲研修生の中で、もっとも体が小さく軽量で細かったからです。他の6人はそれなりの体格をしておりましたので、6人ともスカウトされていきました。自分にはどこからも声が掛かりませんでした。」

「自分はモンゴルの両親へのお土産を買い。帰国の準備をしていました。そんな、帰国する前日のことです。宮城野部屋の親方から電話が入り入門が決まったのです。もし、親方が大阪に来ている自分を見ていなかったら入門は決まっていませんでした」

さらにこうつづけます。

親方との出会い
「宮城野部屋の親方は私の大きな手足と腰、柔らかい筋肉などを知ってか。入門してから2か月間はまったく稽古をさせませんでした。ただただ、体を作るために、とにかく食事をさせ牛乳は毎日3リットル飲ませていました。」

「その後の稽古は本当に厳しかったですね。この時私は、もうこんなに辛く厳しい相撲を辞めたい。そう思っていました。でも、ここまで頑張れたのは父親の存在です。」

「もし、相撲を辞めてモンゴルに帰国したら父親が恥をかいてしまう。自分の辛さよりも父親の立場を優先させました。また、母親からはいつもこう言われていました。」

『その国の水を飲んだら、その国のルールを守りなさい』

奥さんとの出会い
このことについて白鵬はこう語りだします。

「私が十両に昇進しパーティーを開催しました。私の隣に座っていたのが現在の奥さんでした。直感的に日本人女性との結婚には悩みがありませんでした。」

「でも、両親とモンゴルの国民は考える部分はあったと思います。国民的英雄の遺伝子を故郷に残したいとか。現在、私には子供が2人いて娘と息子になります。息子にも力士になってほしいと思っています」

集中力と育つ環境
この事について江原がこう話し出します。

「白鵬関は恋愛では思い込むとまっしぐらで迷いは無かったはずです。稽古の時は稽古まっしぐら、恋愛の時は恋愛まっしぐらという集中力がありました。」

「遺伝子を残すにあたっても環境は大事です。白鵬関はモンゴルの大草原の環境で足腰を鍛えることができました。横綱の遺伝子を受け継いでいても育つ環境や努力で変わります。日本の環境で育って、横綱になることは本当に難しいです」

ここで白鵬が将来の夢をこう語ります。
「将来の夢は相撲界に恩返しをすることと、弟子と息子を横綱にすることです」

前世
日本の関取です。

江戸時代の力士で横綱までいった人ですが極めても極め足りないところがあって、まだ相撲を取りたいと思っています。あなたは日本人力士以上の力士と言えます。

モンゴル人という誇りも持っていますが、日本人以上に日本人的なところもあります。本気になって日本相撲界に恩返しをするなら、お金に無頓着なところを改善しなければいけません。

親方になって部屋を運営するなら、経済観念も必要になります。奥さんは経済観念をお持ちの方です。それに素晴らしいと思うのは、絶対に表にあらわさないこと。

日頃から双葉山や大鵬のビデオをよく見て勉強しているためスランプを感じたとしても表には決して出していませんでした。

様式美
つづけて美輪がこう言います。

「努力と運があれば横綱にはなれます。しかし、維持するのが大変。強ければ良い訳ではなく、精神的に立派で自分に恥をかかせないように維持するのが大変になります。相撲には儀式のような様式美があります。それは、華やかで美しくて厳粛で真面目なのです」

さらに江原がこう続けます。

「白鵬関は自分の意志でモンゴルに生まれました。前世の魂が、どこに生まれたら一番自分が理想的になれるかを計算しました。まず、日本には、あまり大自然がありませんでした。今世、生まれて来た目的は再び相撲を取りたいからです。」

「それに犬も最初から付いて来ています。山に登るのも好きでした」

この事に対し白鵬がこう続けます。

「犬は本当に大好きです。犬以外にも動物は好きで子供の頃からいつも一緒に遊んでいました。それに、山に登って景色を見て深呼吸するとストレスが発散され気持ちを切り替えることができます」

オーラの色
金(英知・最も崇高な色)

哲学することが常に好きで、考えながら相撲を取っています。稽古する時もそうです。スポーツ理論をこしらえ本番に活かしています。横綱相撲というものはどういうものなのかも掴んでいます。これからは、それに従って横綱らしく善後策を講じてやっていけばいいのです。

記録
2016年11月15日、魁聖戦で勝利して通算1000勝を達成。2017年11月場所、優勝40回達成。
2018年3月場所、番付発表の時点では横綱在位64場所を記録しこれにより単独史上1位の在位記録を達成する。

帰化
2019年9月3日、横綱・白鵬関(34)(本名ムンフバト・ダバジャルガル、宮城野部屋)が日本国籍を取得する。2019年6月に、モンゴル国籍の離脱が同国政府に認められた。

日本名は、しこ名と同じ「白鵬翔」となった。
そして、こうコメントを残す。
「18年間、相撲一筋でやってきたことが今日につながった。相撲の発展のために頑張りたい」

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