義家弘介のオーラ診断
大学生のときです。友人から借りたバイクで大事故を起こしてしまいます。病院のベッドで意識もうろうとする状態で横たわっている時でした。担任の先生のあの言葉がはっきりと。これが私にとって生きる力となりました。
どうぞ、ごゆっくりとこのつづきをご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1971年3月31日
出生地 長野県長野市
本 名 義家弘介(よしいえひろゆき)
通 称 ヤンキー先生
身 長 169センチ
血液型 O型
学 歴 明治学院大学法学部法律学科卒
職 業 政治家(衆議院議員)
スピリチュアルチェック
〇 性格をを一言で言うと何ですか?
「短気ですがデリケートです」
〇 好きな景色を教えてください。
「何故か、お盆や正月の交通渋滞をテレビで見ると安心します。父親が休みの日に頑張って家族サービスをしています。この家族らが故郷に帰っていっています」
〇 人生の転機を教えてください。
「大学4年生の頃にオートバイの交通事故で意識不明の重体になりました。この時から、新たな、自分の今の人生が始まったと思っています」
〇 最近気になることは何ですか?
「想像力がどこに行ってしまったように思い。当たり前の想像力が消えてしまったのかなと思っています。
人生の転機「バイク事故」
義家がこの転機の事についてこう話し出します。
「私が1993年の大学3年生の時のことです。友人から借りたバイクで事故を起こしてしまい意識不明の重体となってしまいました。この時、内臓が破裂する重症を負ったのです。」
「そして、生死をさまよっていました。この入院中の時のことです。北星学園余市高校の担任の先生が見舞いに来てくれて枕元でこう言います。」
『お願いだから死なないで、あなたは私の夢だから』
「この内容はしっかりと聞こえていました。ここからです。自分の教育に対する情熱が湧き出してきたのは。」
そして私は、
『よーし、絶対に天下を獲ってやる』
が口癖となり絶対、教師になろうと思いました。
私の夢
「退院後、私は一人でその事故現場に行ってみたのですが、ゆるやかなカーブ道でした。何故、このようなところで自損事故を起こしたのか。と不思議に思いました。」
「でも、この事故を機に全く考え方が変わりました。特に担任の先生が言ったあの言葉『あなたは私の夢だから』という言葉です。この『夢』にはもの凄く衝撃を受けました。」
「それに、自分には母親がいませんでしたので、先生に母を感じ、そしてこの時、心の底から『生きたい』と思いました」
さらにこうつづけます。
許せる心
「それにこの時です。自分がどんなに望んだとしても先生の子供じゃない。だったら、担任の先生が歩んできた教育の道を続けて歩んでいこうと思ったのです。」
「今はひどい世の中です。心を傷つけられ悩み苦しみどん底に落とされた人が、たくさん存在します。だったら、その人たちと寄り添いながら一緒に生きていこうと考えました。」
「学生時代にはこんな事は考えたことはなく、何かを失敗すると人のせいにする自己主張だけの愚かな自分がいました」
この事について江原がこう話し出します。
「事故です。この時の事故が義家さんを生まれ変わらせたのです。事故前の人生の生き方に終わりを付けさせられたのです。」
「事故後の人生を新たに生まれ変わらせてくれる事により、自分を認めない心が消えたのです。人のせいにしていたのではなく、自分で自分を許せることが出来なかったのです」
実は魂の優等生
ここで義家がこう言いだします。
「その通りです。自分は自分をずっーと責め続けていました。両親は自分が産まれてすぐに離婚しましたので、自分は両親から望まれないで産まれてきた存在だと思い自分を責め続けることで、自分の存在を確かめていました」
この事について美輪がこう言います。
「自分の弱さを見るのが怖かっただけ。これだけ人生の無駄が無い人は珍しいです。天から愛されている証拠。こういう人は波乱万丈な人生を与えられます。義家さんの人生は課題に生きています。魂の優等生と言ってもいいです」
教育現場の感情
ここで義家がこの事についてこう話はじめます。
「私は子供を教育するにあたって子供と直接、向き合い接しますが99%は思うようにいきません。でも、ここから逃げない。これが教育だと思っています。」
「そうすることにより、思いもつかないほどの感動が手に入るのです。これを味わったら、もう教師を辞められなくなってしまいます」
この事について江原がこう話し出します。
「先生が大変なのに続けられたのは、そこに自分がいるからです。生徒一人ひとりと一体だから、放っておけないのです。蛇の道は蛇。説教したり話しているうちに、そこには昔の自分がいます。」
「だから、手に取るように子供の気持ちが理解できます。先生方も子供の頃、同じ道を実際に通ってきましたから。だから、教育ための言葉があり、その言葉を選びながら教育しています」
さらにこうつづけます。
想像力
「今のこの時代だからこそ、もっとも必要です。今の世の中は、みんな他人事だからといって放っておきます。相手のことを自分の事として捉えることができなくなっています。」
「相手に対しての思いやりが必要。これは想像力でこれを養う必要もあります」
この事を聞いて義家がこう言います。
「大学で教えているのですが一人一人と話している”想像力は本当に大丈夫かな”と思うことがよくあります。まったく、想像力が育っていないのに、現在は情報がもの凄い勢いで押し寄せてきています。」
「そう言う時代になっていますので、自分の心そのものが出来上がっていないのに、誇大妄想が変わってしまっています。このような時代だからこそ、現実的な痛みが必要になります」
そして江原がこう付け加えます。
「子供を転ばそうとさせない。何でもおぜん立てをして上げて喉が渇きそうにまる前に水を与えてしまう親が多すぎです。こっちの方が楽ですから。どうしても、この事を理解させなければならないと思います。」
いじめは犯罪
ここで義家さんがいじめについてこう話し出します。
「自分の可愛さが原因でいじめが起こるのは、自分がいじめられないためには、いじめる側に付こうとします。この意識がいじめを広げていっています。この対策としては一人一人が認められることです」
この事について江原がこう話し出します。
「いじめは犯罪そのもの。いじめと言うこの言葉だけでごまかされています。まずは誇りと恥じを教えなければいけません。いじめる側の人間は心も頭も悪いと触れ回っているようなもの。誇り高き立派な人はこんな事をしません」
さらに義家さんがこの事にこう付け加えます。
「子供たちは恥。この事について異常に反応します。それだけプライドが高い証拠です。だから本気になって反抗をしてきます。これは心に響いている証拠で突破口の一つでもあるのです。」
「特に不良を更正させようとした場合、上から目線でものを言ったり、良い人ぶるのはいけません。この不良の上をいくようでなければなりません。すると相手がびっくりします。これでいいのです」
参議院議員当選
「2007年7月29日、第21回参議院議員通常選挙の自民党の比例区で義家が初当選します。」
「そして、初めて本会議場に行った時の事をこう言います。
「野次が飛び交い、立ち上がっている人がいたり、あちこちで携帯電話が鳴っていたりと、まるで学級崩壊している時と同じでした」
この事に美輪がこう言ったのです。
「烏合の衆(規律も統一もなくただ寄り集まった集団)です。先進国のやることではありません。こんなに政治家が尊敬されない国はありません」
子供の声を届ける
そして義家はこの選挙での戦いをこう言いだします。
「選挙戦は命掛けでした。街頭演説では罵声を浴びさせられたり、唾をかけられたりと酷かったです。自分に何事が起きたのは分かりませんでした。この選挙に立候補する前は学校の教壇に立っていましたので、大人の世界には正直、本当に驚きました。」
「現在、ゆとり教育の指導要領の改定作業が大詰めを迎えている所です。問題なのは、霞ヶ関・永田町に子どもたちの声が聞こえていないことです。ここに、子どもたちの声を届けることができるのは、自分にしかできません」
地獄を知れ
さらに美輪がこうつづけます。
「霞ヶ関・永田町には情報が届きません。現代ではなく、あそこは江戸時代のままストップしている異次元な世界です。」
「天国しか知らない坊っちゃん代議士らは、地獄をまったく知らないからこうなります。地獄を知らない人に地獄にいる人を救うことはできません。」
「地獄を見なければ、天国の事が理解できる訳がありません。義家さんのような人ばかりが代議士になれば、世の中は本当に良くなります」
無条件の愛
ここで江原がこのような事を話し出します。
「義家さんの優しさの原点となっているのは祖父母からの無条件の愛に他なりません。子供の頃からこの愛があり心の中の支えになっていました。」
「今、あなたの祖父母はこう言っています。」
『お願い。この私たちの愛情を思い出してください』
ここで義家がこのような事を言います。
「高校を退学になった翌日でした。私は祖父母からこう言われたのです。」
『お前が大学に行くまで生きているからね』
「そして大学に合格した時は、仏壇の前で2人は泣いていました」
この事に美輪がこう言います
「やっぱり人間は愛そのもの。誰からも愛されたことのない子もいます。この子らが愛されると必ず戸惑ってしまいます。ここから救うまでが大変な仕事になります。」
「他人から、どんなに『うざい』と言われても、そばに寄り添っていけば、そこには愛情が生まれていきます。子を持って知る親の恩も忘れてはいけません」
義家も子供が生まれてから、子供に対する親の愛が理解できたと言っています。
流す涙の意味
江原がここでこう言う事を話しだします。
「愛し方が下手な家系ですね。素直な表現ができない親子で、表現力が乏しかったですね。自分の本音で父親に向き合った事もなく父親の本音を聞くこともありませんでした。」
「父親は義家さんと似ていて弱みを見せる人ではありませんでした。父親が勘当してくれたおかげで義家さんの今があります。同じ資質を持ちながらも全く違う人生を歩む事ができました。」
「父親が倒れた時、義家さんは初めて涙を流しました。憎んでいるのではなく本当は心から愛していたのです」
傷付く心
江原が義家の教育現場のことについてこう言います。
「義家さんは心が傷付きやすく、特に周りからのサポートがなければ駄目な方です。教師ですから常に子供たちが頼ってきます。ところが、子供らの荷は重く心を共有すると心がひどく痛み付けられてしまうのです。頭が冴え目が冴え、時には眠れないこともあります」
政治の世界への決断
ここで義家がこんな事を言います。
「自分が政治の世界に入ったのは傷付くためではなく、成し遂げるためです。教育そのもののシステムを変えなければいけません。法律を作るのは国会です。ここでしかできないためです」
「2007年6月、安倍総理からの要請もありましたので第21回参議院議員通常選挙の比例区に出馬することを決意いたしました」
この事に江原がこう助言いたします。
「焦り過ぎは禁物です。今は現実をリサーチする時になります。あらゆる分野の勉強をして情報収集を心がけてください。これが済んだら、次は具体的に戦略を組み立てていってください。ここが大事です。」
数段上の地獄
つづけて美輪がこのような事を話し出します。
「とんでもないような事がこれからいっぱい出てきます。義家さんのその純粋な心がかなり傷付きます。この時です。ヤンキー時代の反抗心を思い出すこと。効果てきめんです。」
「抵抗力がないと、相手は手強いのでやられてしまいます。今までの地獄よりも一段階も二段階も上の地獄がそこにはあります。これだけは十分に心しておかなければなりません。」
「それに注意するべき時は必ず腰が痛くなります。これは守護霊からのメッセージです、この時は本当に注意してください」
心を育てる
ここで江原がこう付け加えます。
「これらのメッセージをくれているのは観音様になります。この観音様を信仰していたのは祖父母です。義家さんの心が純粋だけにこのご加護を受けています。」
「この力を受ける事ができるのは、人のために生きている人だけです。神様のご加護を受けたければ自分の心をピュアに育てあげなければなりません」
選挙
2017年3月10日、学校教育法の一部を改正する法案などの成立に尽力した。2017年10月22日、第48回衆議院議員総選挙に出馬し3選。
主な著書
「私の夢 俺の希望」2005年3月出版。瀬戸内寂聴/義家弘介。
内容:
まったく違う時代に二人は産まれ育った。お互いが生きてきた人生の中で培ってきた生き方と教育論を語り合っていく。この中で二人は打ち合わせしていたかのように不思議なくらいシンクロしていく。二人が放つエネルギーが読む人の心を癒してくれる。
「ヤンキー先生の教育改革」2005年6月出版。
内容:
義家が教育界に宣戦布告する。俺が変えてやるこの教育の未来を。権威を振りかざす制度改革はもう必要ない。本気で迫っていくヤンキー先生。
「人生の黒板」2007年8月出版。松岡修造/義家弘介。
内容:
共に指導者でもあり、子供の親でもある。この二人が子供たちとの関わりについて語りだしていく。その話の内容は、どう教育していくのかにあり。親と子の心の在り方についてなどが含まれている。
次は「宮藤官九郎のオーラ診断」