宮崎大輔のオーラ診断
何のスポーツの世界もそうですが挫折しそうになったりジンクスだったり、誰にでも壁にぶつかることがあります。でも、使命を授かっている事によって不思議なことが起きることもあります。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1981年6月6日
出身地 大分県大分市
本 名 宮崎大輔(みやざきだいすけ)
身 長 174センチ
体 重 75キロ
学 歴 日本体育大学中退
事務所 ベンヌ
ハンドボールと運命
宮崎がハンドボールとの出会いの事をこう話し出します。
「私が明野北小学3年生の時の事です。元自衛官の姉がハンドボールを練習しているのを初めて見ました。そして、姉が私に”やってみる”と問いかけてきましたので、面白そうだったので教えてもらうことにしました。ここが始まりになります。」
高校~大学時代
「明野中学校を卒業しハンドボールの名門校と言われる大分電波高校に進みました。そして、2年生の時の全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)で得点王に輝くことができました。翌年の3年の時はインターハイと全国高等学校ハンドボール選抜大会で得点王になりました。」
「高校を卒業後は日本体育大学に進み、大学2年の時には全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)で2年連続16回目の優勝に貢献することができました。そして私はこの時、最優秀選手に選ばれました。」
ハンドボール留学
「そして、2001年から約2年間大学を休学し日本ハンドボール協会からの派遣という形で、スペイン・リーガASOBALのグラノジェルスに練習生として留学しました。ポルトガルで開催された世界学生選手権では、ベストセブンと得点ランキング2位に輝くことができました。」「その後、大学に復学するも、4年の時に中退します」
運命
「ここまでが自分の大学までのハンドボールの経歴となります。実は、節目節目で辞めようと思ったことが何度かあります。でも何故か必ず引き戻されてしまうのです。これには、いつも、運命的なものを感じていました」
この事について江原がこう話し出します。
「使命は二つあります。一つは日本で人々の心を集める役割になります。(気持ちを一つにするという役目)もう一つはかつてハンドボールを支えた人々の誉れです。(過去の選手たちの思いを背負っている)」
前世
宮崎さんの前世は舞踊をしていた人になります。
ここで宮崎がこのような事を話し出します。
「私はいつもリズム感のある音楽が好きで聞いています。それに常にハンドボールの試合でもリズムやテンポを考え試合運びをしています。舞踊の流れのような、そんな感じもあります」
そして、ここで江原がこのような事を言います。
「スポーツ競技と言うのは念と念の戦いでもあるのです。まずは、応援する側の念を吸収する力が必要になります。これが一番の才能といえます。」
「何故、地元開催の試合が勝利を勝ち取るのか、それは応援する側の念です。この念が強ければ強いほど勝率が高くなります」
この事に宮崎がこう言います。
「応援があるといつもより高くジャンプすることができていました」
体のケアが大切
そして江原がこんな事を言い出します。
「うたた寝に注意をしてくださいね。宮崎さんは元々、体が弱い体質で鼻や喉が弱く風邪をひきやすい方です。だから寝る時はしっかり布団の中に入って眠るようにしてください。宮崎さんの道具である体のケアを怠ってはいけません。いつも大切に扱うようにしてください」
つづけて美輪がこう付け加えます。
「宮崎さんは一難去ってまた一難の運命にある方です。この事は、ある程度の年齢まで続いていきます。その時はこう考えてください。『自分は壁に当たる度に鍛えられているんだ』この事があなたの成長につながっていきます」
歴史
日本体育大学中退後、2003年アテネオリンピックの日本代表に選ばれアジア予選に参加するも敗退する。アジア代表は韓国(オリンピック成績8位)
同年12月末、日本ハンドボールリーグの大崎電機へ加入する。翌年のシーズン終了時(2004年~2005年)には新人王、最優秀選手賞、最優秀殊勲賞、ベストセブン賞を獲得する。
さらに2004年9月8日~12日に行われた第45回全日本実業団選手権では新人賞を獲得した。
結婚
2005年、3歳年上の一般女性と結婚。2009年7月、ハワイで挙式。
子供
2005年9月、第一子の女児を出産する。命名:優里(ゆうり)
2013年10月12日、第二子となる女児を出産する。命名:珠里(じゅり)
受賞
2009年6月2日、第28回ベスト・ファーザー賞(スポーツ部門)を受賞する。
2006年、2008年、2009年「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」に出場し3度優勝する。
復帰
2017年7月29日、駒沢公園体育館に行われた日韓ハンドボール定期戦において、2年ぶりに代表に復帰し左サイドで先発出場し2得点を挙げるも28対28で引き分ける。
記録
2017年11月26日の琉球コラソン戦で通算915得点(フィールドゴール)を記録し、岩本真典(912得点)を抜いて歴代単独一位となる。
再入学
2019年3月12日、2018-19年シーズン限りで大崎電気を退団することを発表。その後、日本体育大学に再入学する。
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