片岡鶴太郎のオーラ診断
多忙な日々の仕事に追われる毎日がつづいていました。一日が終わるのは真夜中です。そんな一人になった時に、ふっと思うのが己の人生への満足感でした。本当にこのままでいいのだろうか。そんな時、思いついたスポーツがありました。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1954年12月21日
出生地 東京都荒川区西日暮里
本 名 荻野 繁雄
身 長 163センチ
体 重 43キロ
学 歴 東京都立竹台高校卒
事務所 太田プロダクション
スピリチュアルチェック
○ 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「プロボクサーか喜劇役者です」
○ 画家として描いてみたいものを教えてください。
「奈良の大和路などの日本の原風景」
○ リラックスするときに必要なものは何ですか?
「最近はクラシック音楽ですね」
○ 強く印象に残っている夢は何ですか?
「寅さん(渥美清)がしつこく飲みに誘いに来るのが嫌で、一番奥の部屋で居留守をしていると、一つ一つ部屋を開けて来るのが怖い。という夢です」
○ 人生の転機を教えてください。
「32歳のときにボクシングをやったことです」
冒頭で片岡がこう言います。
「今日のこの番組収録日12月21日は、自分の52歳の誕生日になります。何か不思議な縁を感じますね。不思議な体験や霊を見た事はありませんが、スピリチュアルな世界には興味があります。今日はどのような診断がなされるのか楽しみです」
ボクシング
片岡がこの事についてこう話しだします。
「私が32歳でボクシングを始めようとした経緯はこうです。20代半ばの頃、”オレたちひょうきん族”に出演の際、近藤真彦のモノマネをしたところ、これがまた、一躍脚光を浴びたのです。ここから一気にレギュラー番組を8本ほど持つようになりました。」
「そして、毎日のように多忙の日が続いてはいたのですが、ところが自分の中でどこか満足しきれていないものを見つけていました。そこで思いついたのがボクシングです。そうなのであれば、1年かけてライセンスを取ろうと決意したのです。」
「それに、当時は不規則な生活を続けていましたので、体重が65キロもあり、体も精神もリセットしてそぎ落としたい。という、そんな思いもありました」
ここで江原がこの事についてこう話しだします。
「バラエティ番組では陽の部分を表現していました。なので、陰の部分も表現したいと思っていたのです。ところが、それが中々表現できずにいた。ここにあります。」
「モノマネをして必ず誰かに扮していたため、素の状態でいると真面目になってしまいます。これが、上手く表現をすることができずにいました。ここの解決がボクシングだったのです」
世界チャンピオン目指す少年
ここで片岡がこの事についてこう話しだします。
「私はその後、協栄ボクシングジムに入りました。ここで、後に世界チャンピオンとなる鬼塚勝也選手との出会いが待っていました。この当時、鬼塚はまだ高校生でしたが、将来、世界チャンピオンになることだけしか考えていませんでした。」
「この彼と練習を一緒することになります。私自身はこの素晴らしい出会いに、ボクシングをやることは間違っていなかった。と確信をしました。その後、私は鬼塚選手のセコンドを務めるように働き掛けをいたします」
この事について江原がこう言います。
「守護霊の学びです。鬼塚選手は自分自身の投影であり、自分と一体だったのです」
絵画との出会い
ここで片岡がこの事についてこう話しだします。
「私は日々、ボクシングとお笑い芸人を両立していることに充実していました。しかし、この環境も一区切りします。それは鬼塚が目標でもあった世界チャンピオンのベルトを腰に巻いたからでした。」
「この事は私の目標でもありました。それに年齢も40歳を迎えていましたので。これから何をしていったらいいのか、途方にくれている時の2月の事です。」
「道端に咲いていた椿の花にであいます。これがとっても綺麗。今まで抱いていた感情が一瞬にして消え去っていくのが分かりました。そしてこれを表現してみたい。と思ったときです」
『そうだ。絵だ!絵を描いてみよう。』
「と脳裏に走ります。絵を描くのは学生時代の授業中の時だけで、これまで絵筆を持った事はありません。」
もう一人の自分
「何故、私が絵を描いてみたいと思ったのか。この事について、もう一人の自分に問いかけてみました。すると、もう一人の自分がこう答えてくれました。
『やってみなよ』
この事に美輪がこう言います。
「因縁は堆積しています。因縁は地層のように堆積していて、一番軽いものから出て、一番重くて肝心なものは最後に出てきます」
つづけて江原がこのような事を言います。
「片岡さんはサイキック(超能力)や霊的な能力を持っています。もう一人の自分の声が聞こえるのは、空気振動が鼓膜に伝わるのではなく、自分の内なる声を聞いているのです」
椿の精霊
さらに美輪がこうつづけます。
「この現象は、椿が呼んだのです。椿にも命があり精霊のため、片岡さんの気魂と交信したのです。その時、あなたの感度が研ぎ澄まされていたため、精霊と結びついたのです。それ以前でしたら椿に呼ばれても分かりませんでした。」
「片岡さんは一つのものを脱却し、アンテナが研ぎ澄まされていたのです。この時、椿の精霊と結びついたのです」
空港を作る
そして江原がこんな例を出し話してくれます。
「自分自身の中に空港を作ります。そうすれば、その空港に導きや才能が降りて来ます。これすべて自分の人格が空港となるのです。日々の人格の整備。これをしないと何も降りてくる事はありません。いつも、この人格を意識し行動する必要があります」
植物の愛
ここで国分がこんな話をしだします。
「家で植物を育てているのですが、何故か枯れてしまいます。愛情を込めて育てても枯れてしまいます」
この事に江原がこう答えます。
「植物があなたに対して命のエネルギーを分けてくれているからです。植物も動物も、ものすごく献身的で、愛すれば愛してくれます。花にはマイナスの悪い雑念や情念がありません。」
「献身的で与えっぱなしのため、美しい形をしているのです。花を可愛がってあげると、花がどこからか近寄ってきます」
前世
前世はヨーロッパの役者であり画家であり詩人です。
やはり前世も今世と同じような事をしていました。芸人の世界にいましたが、やはり、どこかで違和感を感じ哲学を学んでいきます。
守護霊
守護霊は自分自身です。
魂の故郷であるグループソウルの前世の1人が守護霊として見守っています。試練として時に転ばすこともあります。
もう一人はお坊さん。
絵や書を書いています。片岡さんは前世と守護霊の技法が混ざって現れているため、墨と筆で墨彩画を描いています。
ここで江原が守護霊からのメッセージをこう片岡に伝えます。
「ここ最近はどこかで喜びを感じ取っています。でも道しるべを感じなくなっている部分があります。芸術の世界は意外と手ごたえが無いため絵の個展などは舞台と違い、お客からの拍手喝采がありません。」
「そのため、自分の軌跡を見つめることができるきっかけが与えられると、その先の新しい方向を目指すことができます。その目盛りはちゃんと用意されています」
オーラの色
肉体のオーラは、足と腰の色が悪いです。足の怪我や腰痛には注意してください。
ここで片岡がこう言います。
「現在、足と腰に自覚症状がでています」
亡き男の子
ここで江原がこんな事を言い出します。
「片岡さんの兄弟か、もしくは身内に小さい頃に亡くなっている男の子がいます。その子が片岡さんに寄り添っていて、その影響を時々受け、片岡さんが子供っぽくなる時があります」
すると片岡がこのような事を言います。
「ついこの前、何故か、急に遊園地に行きたくなって行ってきました」
学校での教え
美輪がここで片岡にこう問いかけます。
「学校などで何か教えていらっしゃる?」
これに片岡がこう返します。
「学校の墨彩画クラブに行って教えています」
これに江原がこう言います。
「学校で教えるのはこれからの事です。守護霊の言う目盛りには、今後、学校で教えたり、賞を獲ったりする目盛りはあります。しかし、それはあくまでも目盛りにすぎません。もっと、その先を極めなさい。と言うことです。」
離婚
ボクシングに熱中した30歳代の辺りから嫁と別居していました。
そして、2017年に嫁と離婚。
この原因となるのは、これは片岡の極度の熱中ぐせにあるようです。
ヨガ
2012年からはたヨガに熱中となり、ここからストイックな生活に没頭していきます。このことも原因のひとつかもしれません。
と言う事は、20代で授かった3人の子供を育てあげたのは嫁が一人で。
大したものです。
次は「假屋崎省吾のオーラ診断」