西川きよしの前世と現在をオーラ診断 人生の転機 出会い

西川きよしのオーラ診断

恋心を抱いたのは雲の上にいる存在でした。その舞台の芸はいつも光り輝きあふれていました。多少のつまずきもありましたが、不思議なほどスムーズに進みめでたく結ばれることに。そんな二人の前世に意外な事実が。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1946年7月2日
出生地 高知県高知市生まれ
本 名 西川潔(にしかわきよし)
身 長 165センチ
血液型 O型
学 歴 大阪市立三稜中学校卒

スピリチュアルチェック

〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「喜劇役者です」

〇 人生の転機を教えてください。
「18歳の時、嫁と出会ったことです」

〇 毎日欠かさずにする事は何ですか?
「朝と夜に仏壇に手を合わせてご先祖様に感謝し横山やすしと色々な話をしています」

〇 一つだけ願いが叶うとしたら?
「何もない。これ以上は贅沢になります」

人生の転機「出会い」
西川がこの出会いの事についてこう話し出します。

「私が19歳の時のことです。吉本興業の同僚で新喜劇のスターと言われていた存在がおりました。その方は女性で父親はアイルランド系のアメリカ人で母親は日本人。そのハーフです。」

「芸も面白く。都合が悪くなると突然、”わたし外人やから日本語わからへん”と関西弁でまくしたてるのです。このギャグが受けに受けていました。この間の取り方は本当に上手でしたね。」

恋心
「そんな彼女・ヘレン杉本を見ている内に恋心が沸き始めてきていました。ですが、その当時はまったく近づく事ができず高嶺の花的な存在だったのです。自分ができる事と言えば挨拶ぐらいのものでした。」

「その当時、自分がまだ芸人として食べていけない時でもありました。そんな自分と同僚であった坂田利夫をスター・ヘレン杉本が養ってくれていました。」

「自分が芸人として現在いる立場をよーくわかっていたのですがヘレンと自分は恋愛関係に落ちていました。」

男の意地
「その当時の吉本興業は社内恋愛禁止でした。でも、どうしても一緒になりたい。この思いが日に日に増していき、私たちは結婚の承諾をもらいにいきましたらこう言われます。」

『職場結婚はあかん。どちらかが芸人辞めろ』

「自分にも男としての意地がありましたのでこう言いました。」

『ヘレンを辞めさせます』

「この当時ヘレンはスターでしたのでお偉いさんから怒鳴られました。その後、周りから格差婚と言われましたが1966年、無事に結婚する事ができました」

コンビ
西川が横山やすしとの出会いのことをこう話し出します。

「やすしさんとの最初の出会いはこうです。お笑いの勉強をするためのレッスンがありました。そこに見学に行きましたら、やすしさんが他の方とコンビを組んで漫才をしているところでした。」

「その当時、やすしさんはコンビ別れの名人と言われるほどの人物で、相方を次から次へと変えていたのです。自分と組むまで4回も壊していたのです。」

「そんな、やすしさんとコンビを組むようになったのは、やすしさんから10回ほど口説くに口説かれていました。いつも、やすしさんが来るたびに自分はこう言ってきました。」

『ツッコミをやってくれへんか?』

「自分はこの事にいつもこう言っていました。」

『ツッコミはできない!』

「でも、返ってくる言葉はこうです。」

『いや、お前にはできる!』

「この繰り返しです。」

先見の明
「そして、コンビを組むことを心に決めたのが、こんなヘレンのこの一言でした。

『やってみたら』

「そしてこの事を吉本興業の担当者に伝えると偉いほど怒られましたが、結果、承諾をしてくれました。コンビを組んでからはあちこちから、もう引っ張りだこ状態となっていきます。」

「ここから、あっという間に漫才ブームが巻き起こったのです。漫才では初の日本武道館での公演も大成功裏に終わりました。

この事を聞いた美輪がこのような事を言います。
「ヘレンさんは先見の明があります」

ここで西川がコンビを組んだ時の事をこう言いだします。

「コンビを組んだのはいいものの、やすしさんは全く稽古をしません。これにはもう大変でした。毎回、出掛ける前に捕まえて、稽古するようお願いしていました。」

「そして、コンビを結成してからの1年後の1967年、上方漫才大賞・新人賞を受賞します。ここからの勢いはすごいほど加速していきます。」

さらにこうつづけます。

相方の前世
「気が付けばレギュラー番組は週に15本を持っていました。そして、1986年、美輪さんとやっさん(横山やすし)の対談が実現します。」

この時の事を美輪はこう言います。

「横山やすしさんは礼儀も正しく服装もきちんとしている方でしたよ。神経質でお酒が入ると乱れそうな感じも見受けられ、人情味もある方でした。」

「それに対談中、不思議なものが見えました。それは村上水軍(海賊)の事です。霊視を続けていくと、横山やすしさんの前世は村上水軍の一人だったのです。競艇が好きだったのもこの影響になります」

選挙
1986年7月6日、西川きよしは義母の介護経験から福祉関連に力を入れるため、このようなキャッチフレーズで第14回参議院議員通常選挙に大阪選挙区から立候補します。

『中学校を出た人間が、高校しか出てない人間が、一生懸命やったらどのぐらいのことができるか、どれぐらいのことしかできないか、やってみたいです。』

その投票結果100万票以上を獲得しトップ当選を果たします。

他界
この時からでした。横山やすしは一人で仕事をするようになっていきます。相方がいない毎日がつづき、トラブルも絶えませんでした。

そして、1996年1月21日、アルコール性肝硬変で他界。

ヘレンの前世
ここで江原が西川ヘレンの前世の事をこう話し出します。

「ヘレンさんの前世は尼僧でした。この尼僧になる前は二人は親子関係だったのです。ヘレンさんが母親で西川さんが子供です。この子供を亡くし供養のため尼僧になりました。夫であり息子なのです。」

「だから、ヘレンさんは、この子供を育てていかなければならないという使命を持っているのです。」

「家族の中で一番の霊能者はヘレンさん。毎日、仏様を信仰しています。西川さんの人生を照らすためにやってきました。ことあるごとに仏様に向かい合掌しています。」

「ヘレンさんはハーフでしたので子供の頃からいじめにあっていました。吉本に入ってスターになってもいじめ受けていたのです。なので、内に秘めた勘や思いが強く育っていきます。」

「そして、自分が身を引いて主人を表に出す。これには大きな愛がなければできることではありません。」

自立しろ
そして江原がこんな事を言い出します。

「横山やすしさんが離れていません。1996年に亡くなってから片時も。あの世に行っていません。寂しがりで一人でいられないのです。そしてこう言っています。」

『西川さんがいないと生きていけなかったし、長生きもできた。』

「未だに甘えています。これではいけません。自立させなければなりません。現在、ヘレンさんが供養していますので、このお陰でまだいいのです」

ここで美輪がこう言います。

「成仏するのは仏の心になること。精神的に大人にならないと成仏できません。西川さん。あなた自身も『自立しろ!』と言ってあげることです。」

「今も生きている時と同じに対処しているから、いつまでも甘えているのです」

ここで西川がこんな事を言います。
「仏壇に向かい一度も言ったことがありません。今日帰ったら絶対言います」

病気
現在、2015年、定期健診の結果初期の前立腺がんと診断され手術を受け無事に退院。

審査員
「M-1グランプリ」や「THE MANZAI」の若手漫才師の日本一決定戦を決める審査員を務めている。

映画
2019年11月22日公開予定。「決算!忠臣蔵」大野九郎兵衛 役。

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