春風亭小朝の前世と現在をオーラ診断 不思議な体験 UFO 

春風亭小朝のオーラ診断

初めてUFOを見たときには、そりゃもう驚き慌てふためきましたね。そして、隣の人にも教えてやらなければと思い教えましたところ。なんと、こんな回答が返ってくるとは。

どうぞこのつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1955年3月6日
出身地 東京都北区
本 名 花岡宏行(はなおかひろゆき)
血液型 AB型
学 歴 東京電機大学高校卒

スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「甘ったれです」

〇 好きな女性のタイプを教えてください。
「具体的には深津絵里さん、抽象的には目がくりくりしていてファザコン気味の人が好きです」

〇 生活の中でのこだわりを教えてください。
「水、炭酸水、入浴剤です」

〇 人生最大の転機はいつですか?
「25歳の時に大勢の先輩を飛び越えて真打に昇進したことです」

〇 不思議な体験を教えてください。
「いっぱい体験していますが、京都でUFOを見たことです。その時はすぐ近くで見て、周りにも人がいました」

〇 最近、自分の中で変わったことを教えてください。
「いい意味でちゃらんぽらんになりました。物事が起きた時に表面だけでなく深く考えるようにもなりました」

落語との出会い
小朝が落語との出会いからの事をこう話しだします。

「私の両親というのは、大がつくぐらいの落語の大ファンで、幼い頃から私を連れてよく落語を聞きに行っていました。将来、落語家にさせる思いがあったのかもしれません。」

「その当時の私は、子供ながら不思議と飽きることなく、大人に混じりながら大人ぶって聞くことができていました。」

「このような私でしたので、中学生の頃にはラジオから流れてくる素人の落語を聞いてはこう呟くまでに成長していたのです。」

『この大人たちの落語は下手すぎるなぁ~ 自分だった絶対に勝てる』

挑戦
「そして、自分ならチャンピオンになれる自信がありましたので、自分の腕を試すためにとばかりに”しろうと寄席”に応募しました。」

「予選には200名以上の方々が参加しておりましたが、その顔触れを見て自分自身にかなりの余裕があるのが分かりました。予想通り。なんなく予選を突破。本選でも同じく余裕です。」

当たり前
「いつも、このような調子でしたので、自分には勝てることが当たり前だという。思いが育っていたのが分かりました。そして、この”しろうと寄席”も難なく5週連続で勝ち抜き『名人』を手に入れます。」

「手に入れたのはいいのですが、私の中で一つだけ納得がいかない点数がありました。確かに合格は合格です。そうなのですが、それは、点数の余裕というものがまったくありません。自分とすれば大差の勝利。といきたかったですね。」

さらに、こうつづきます。

この一言
「この頃の自分は落語に関してのプライドが本当に高かったですからね。そんな私が噺家になろうと決めたのが審査員の一言でした。桂文楽さんが自分にこう言います。」

『花岡くん。君は噺家におなんなさい。』

「この褒め言葉はとっても嬉しかったですね~」

「そして自分は、1970年4月、15歳の時に5代目、春風亭柳朝に入門の2番弟子となり、昼は高校に通い前座生活を送っていました。」

人生の転機「25歳」
小朝がこの事についてこう話し出します。

「1980年5月、25歳の真打昇進の時のことです。落語協会の会長である柳家小さん師匠が自分の事を認めてくれて。なんと、36人抜きで昇進です。これには私も驚きましたね。」

「この昇進に納得のいかない先輩方々が、もちろんおりました。この落語会は時間が厳しく高座に上がっても、わずかな時間だけしか与えられない時もありました。自分を目当てで着ているの客もおりますが、僅か数分で降りなければならない事も幾度かあったことか。」

「もし、長くやって終わると楽屋で先輩が時計に目をやるのです。これは『長すぎる』というサインなのです。この時は精神的なダメージがありましたね。でも、自分は恵まれた環境にいつもありましたので、何も無いのがおかしいと思ってもいました」

結婚
1987年、泰葉が仕事のことで悩みに悩み小朝に相談を持ち掛けます。この内容を聞いているうちに徐々に情がわいたのでしょう。気が付くとこう言っていました。

”だったら俺たち結婚しようか”

とプロポーズをしていたのです。
そして二人は1988年に結婚。

その後の高座
1990年10月、銀座博品館劇場で30日間に渡る連続公演を成功。
1996年、浅草芸能大賞を受賞。
1997年10月11日、落語家として初めて日本武道館で独演会を開催。
2003年6月、新宿コマ劇場で上演された「恋や恋 浮かれ死神」で落語家として史上初めてとなる座長公演を行う。
2002年に落語協会広報担当理事に就任。
2003年落語界の斜陽化を憂う賛同者とともに「六人会」を結成。

離婚
2007年11月、泰葉とともに金屏風の前で記者会見を開き、円満離婚を宣言。

どうでもいいや
妻との離婚に関しての騒動に小朝はこんな事を言います。

「最近は、いい意味でちゃらんぽらんになりました。自分は幼い頃から大事に育てられてきました。また、師匠からも怒られたこともありませんでした。ガールフレンドからも優しくされて、みんないい娘ばかりでした。」

「こんな状況の中にいた自分が、妻の泰葉から『金髪豚野郎』と言われたのは初めてでした。この時『どうでもいいや』と言う思いになりました。」

「ここから、物事が起きた時に表面だけでなく深く考えるようにもなりました。何か事件が起きた時、出ているのは上っ面だけでその下には何かが隠れています。恐らく、違うことが他にあるなと考えるようになりました。」

上手
ここで小朝が結婚生活の事をこう話し出します。
「妻は自分の事を罵倒しましたが、結婚生活は楽しかったですよ。良い思い出ばかりが多かったですね」

この事について美輪がこう言います。

「小朝さんは、別れ上手、恋上手、食べ上手は芸のうち。別れ上手で相手の心に良い姿で一生残してやろう。という心意気がありません。惚れて一緒になって、一緒に暮らした期間をゴミにしてしまうのはもったいない。」

「綺麗に納めてしまっておき、後で思い出して感慨にふけるという別れ方をするべきです。最近の人は何故か、自分の人生をめちゃくちゃにしてしまう傾向にあります。いかにブレーキを引いて幸せに別れられるかです」

守る人
この事に小朝はこう言いだします。

「自分は沈黙を守っていました。この理由は、自分が発言すると傷付く人が出てくるからです。守らなければいけない人間が何人かいました。」

「また、高座に上がった際に、お客さんの緊張している状態が分かるのです。お客さんが何か言うのではないか。言わなくてホッとした。という感じです。落ち込んでいる時に、人を笑わせるのは大変なことです。お客さんには何も関係ありませんからね」

この事について美輪がこう言います。
「一番良い切り替え方は、人物の中に入ること。違う次元に入れば関係がなくなります。お客にとって自分はいらないわけですから」

生活の中でのこだわり
小朝がこのことについてこう話し出します。

「何故か、水が恋しくなる時があります。とっても、たまらなく水が欲しくなる時があります。そんな時は滝を見に行ったりします。」

「それに車の洗車。車の中に入って洗車するのも大好きです。全国から水を取り寄せています。合う水、合わない水もありますが、突然、合わない水が合う時もあります」

不思議な体験「UFO」
小朝がこの体験した事についてこう語りだします。

「京都で時代劇の撮影があった時のです。その撮影は河原で行われました。リハーサルの時です。私が何気なしに、ふっと空を見るとアダムスキー型のUFOがはっきりと見えたのです。」

「そして、私のすぐ隣にいたスタッフにこのように言いました。」
『あれ。UFOじゃないですか?』

すると、その方がはまったく驚く様子もなくこう言うのです。
『そうですよ。ここにはUFOはしょっちゅう現れていますよ』

不思議な体験「雨」
小朝が不思議な体験をこう語りだします。

「私は、独演会を年間250回はやっているのですが、不思議と今まで一度も雨に当たった事はありません。九州に台風が直撃した時もそうです。」

「何故か、ツアーで回っている独演会の会場は雨が降りません。独演会のさ中に雨が降っていたとしても、終わると同時に雨が止んでしまっています」

不思議な体験「桂三木助」
小朝が大親友の事をこう話し出します。

「2歳年下でとっても気が合う桂三木助と共にオランダにいった時のことです。三木助とホテルに到着した時でした。突然、私に向かいこう言います。

『俺、そんなに長く生きられないと思うよ』

突然のことで驚いた私は、この事を何故だ尋ねるとこう返ってきました。

『父親も早死にだったので。父親を超えられればそれでいい。もし亡くなったら、葬儀委員長やってくれますか?』

自分はこの事に承諾の返事をだすと、三木助が葬儀に呼んで欲しい人、呼んで欲しくない人を具体的に名前を挙げはじめたのです。

数年後の2001年1月3日、自宅で首を吊っている姿が発見されます。

この後の事について小朝はこう言います。

「私が三木助がずっとやりたかった『芝浜』をやろうとすると、なぜか不思議と、三木助が吸っていたタバコの香りが漂ってきます。この事がしばらく続きました。」

「さらに最近のことですけど、女性マネージャーが三木助の話をしてきます。そして、最後にこう言います。」

『この内容はすべて雑談ですよ』

「このマネージャーは霊感が強いのですが、一度も三木助に会ったことはありません」

前世
修行僧で比叡山で滝行などをしていました。

この事について小朝がこう言います。
「京都がとっても大好きで『ただいま』という感覚で京都に行きます。世界遺産を回って独演会をやった時、比叡山延暦寺だけが天候が悪くて中止になったことがあります。

さらに江原がこう続けます。
「比叡山が拒んでいる訳ではありません。前世は高僧なので歴史の中に名前が残っているはずです」

この事に小朝がこのような事を言います。
「理由が分かりませんが、天海に異常に惹かれています」

天海(1536~1643)は、江戸時代の天台宗の僧で徳川家康に仕え政務にも参加します。1698年、上野に寛永寺を創建する。

風水のお水取り
ここで美輪が小朝が水に拘る理由をこう話し出します。

「水は昔、薬として扱われていたためです。体を浄化するためのもので神秘的な霊水でした。昨日飲めた水が、次の日に飲めなくなるのは、風水のお水取りなのです。」

「風水では自分の磁場に合った水が、年月日によって変わってきます。だから、小朝さんは、自分で自分に合う水を自然に取り入れていました。天海も風水をやっていました。日光東照宮や寛永寺も風水で建てたと言われています」

オーラの色
金(最も崇高な色、英知、リーダー)と赤(頑固で情熱的、理想家、短気)になります。

中でも金色が多くあります。芸術かタイプで天才的で感覚的なものが強くタイミングを掴むアンテナを持っています。赤色は強いのですが柔らかい色になっています。自分の魂の歴史を辿る時は必ず来ますが今はまだ早すぎます。今がちょうど節目の時期にいます。

自分の時間
江原が突然このような事を言い出します。

「一人の方が楽でしょう。今までは人に気を遣っていたのですが、自分では気苦労しないようにしていました。これが自身の修行だと思っていました。本当は、前世から孤高が好きでした。自分の時間を大切にして、やりたい事もたくさんやりたかった。」

「今が節目というのは、これから本当に極める事ができると言うこと。これからの時間は大切に使うこと。そういうこともあり、桂三木助さんも現れているのです。人生には限りがある。ということを伝えているのです。」

襲名
江原が襲名の事についてこう言います。

「今後の名前には注意したほうがいいです。どの名前を襲名するのか。襲名する名前によって命自体が変わってきます。夜明け前の闇はもっとも深く事故のような人間関係のトラブルが多く突然起きてきます。物事が順調になっている時に限ってそうなります」

この事に小朝がこう言います。
「公にはできませんが、非常によく分かっております」

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