黒木亮が養子と知った日 本当の父親との出会いで知る血筋

黒木亮が養子と知った日

大学入学の時のことです。必要書類の中の戸籍謄本を見た時でした。ここで自分が養子だったことを知ります。そして、本当の真実を知ることに。

”あ~ やっぱり血筋なんだなぁ~”

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1957年
出身地 北海道雨竜郡秩父別町
本 名 金山雅之(かなやままさゆき)
学 歴 早稲田大学卒

小説家
三菱商事ロンドン現地法人でプロジェクト金融部長を務めながら2000年10月に上梓した国際金融小説「トップ・レフト」で小説家として一躍脚光を浴びる。
2003年7月に同社を退社し、専業作家となる。

内容:
日系自動車メーカーのイラン工場建設のため、一億五千万ドルの巨大融資案件がもちあがった。大手邦銀ロンドン支店次長・今西は、国際協調融資の主幹事(トップ・レフト)を獲得すべく交渉を開始するが、かつての同僚で日本を捨て、米系投資銀行に身を投じた龍花が立ちはだかる。そこに世界を揺るがす敵対的買収(TOB)がいた。栄光のトップ・レフトの座を射止めるのは誰か。

駆けっこから陸上選手へ
黒木は北海道雨竜郡秩父別町に産まれるも、生後まもなく両親が離婚。その後、同町の神主夫妻に育てられることに。幼い頃から駆けっこが得意で中学校から深川西高校時代は全国でも指折りの長距離の陸上選手に数えあげられていました。

そして、早稲田大学に合格。入学手続きのために両親が上京。

真実
この時の事を黒木はこう言います。

「この時、両親が持参してくれた戸籍謄本を見ました。すると、両親の欄に別の名前が書かれてあったのです。父母の名前の上には養父と養母と書かれていました。この時初めて自分が養子に出された事を知りました。」

「この時、養父母から事実を告げられたのですが、特に慌てふためくこともなく冷静そのものでした。大学に入学するまで何の不満もなく愛情を注がれて育てられていましたので、それだけで十分でした。」

箱根駅伝
「私は早稲田大学入学後は迷わず競走部に入部しました。この部には瀬古利彦さんが所属していて2年連続で箱根駅伝を走ります。1979年の第55回大会では2区の瀬古さんからトップで襷を受け取りそのままトップで走りつづけ4区に襷をつなぐことができました」

海外赴任と手紙
「大学卒業後は三和銀行に入行しました。同行の海外派遣制度でカイロ・アメリカン大学に留学し、修士号(中東研究科)を取得します。そして、30歳の時に同校のロンドン支店赴任が決まりました。」

この時の事を黒木がこう話し出します。

「日本とは違い海外では何が起こるのかが分かりません。そこで、出発する前に本当の産みの両親に会っておきたい。このような気持ちが生まれていました。そして、手紙を出しましたら、予想に反してすぐに返事が返ってきたのには少し驚きました。でも、この時はとっても嬉しかったですね」

父親と同じ箱根
「この手紙の内容は、自分に対して詫びるその思いと父親の若き日の写真が同封されていました。それは父親が襷を掛けて走っているその姿でした。胸には明治大学の『M』のマークがありました。」

「父親も私と同じ箱根を走っていたのです。それも区間も同じ3区間だったのには驚きました。その後、父親は北海道で教員となりながら陸上競技の審判を務めていました。なので黒木亮は自分の息子なのだと気が付いていました。」

「競技場で私が箱根駅伝で走るその雄姿を見ていたのです。」

「そして、私は父親と対面します。しかし私は30年もの間、育ててくれた両親の思いが本当に強く、共通の話題と言えば陸上競技の話だけでした。それ以外はこれといった話題もなく沈黙がつづいていました。」

美輪明宏の言葉
確かに遺伝子もあります。でも、前世やソウルメイト(魂の故郷)から見た方がいいです。血の繋がりだけが家族ではありません。お互いに荒波を乗り越え繰り返しを共にした人が家族なのです。

著書(2015年以降)
〇「ザ・原発所長」2015年7月7日発売。

内容:
ミナミに近い松屋町筋の商店街で生まれ育った少年・富士祥夫。彼は大阪教育大学附属中学校の卒業文集にこう記していた。

「真の愛国心とは何か。
突きつめていえば、国家の一大事のときに、
身を挺して国を守れるか、
守ろうと努力できるかということではないだろうか」

このようなことを胸に抱き、東京工業大学に進み原子力を専攻する。心身を錬磨するためボート部に入部。政治・経済や古今東西の文学に宗教に至るまでの書物に触れていく。それ以外に麻雀、競馬、タバコを愛していた。

こんな彼に惚れ込んだ先輩に誘われ首都電力に入社する。やがて彼は独特な正義感とユーモアのセンスで奥羽第一原発所長へと出世の駒を進めていった。

そして、運命の2011年3月11日、巨大地震と大津波が東日本を襲う。その一波が奥羽第一原発めがけて襲い掛かってきた。原子炉がメルトダウンをはじめていった。東日本の壊滅の危機が迫る。富士は流れ出ようとする涙をこらえて部下にこう叱咤する。

「いいか、これから俺が一芝居打つ。だけど、海水注入は絶対に止めるな」
「限界なんていうなよ。俺たちがやらないと、誰もやる人間がいないんだぞ」

そして、富士所長は必要最少人員を残して一時退避の命令を発した。ホワイトボードに書かれていく人員。それを見ながらこう呟く。
「俺と一緒に死んでくれる仲間か」

〇 「世界をこの目で」2015年11月22日発売。

内容:
黒木亮は、国際金融マンだった時代も作家になった現在も本当の真実を求めながら、鞄を片手に世界を駆けていく経済小説家。彼の行動はサハリン、中央アジア、マダガスカル等々に広がり自らの目で確かめたその世界の姿を語る。

世界情勢の裏を読み数々の異文化の体験を元に描かれた知のエッセイ集と言える。

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