間寛平の前世と現在をオーラ診断 不思議な体験 夢

間寛平のオーラ診断

あの有名なマラソンランナーと自分がデッドヒートとなるレース展開をしている夢を見ました。普通に考えると、こんなことは絶対にありえません。それも2度も。なんで見たんだろう。ここから、あの事がはじまっていきます。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1949年7月20日
出身地 高知県宿毛市
本 名 間重美(はざま しげみ)
身 長 164センチ
血液型 AB型
学 歴 私立柏原高校卒
事務所 よしもとクリエイティブエージェンシ

スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「弱い」

〇 苦手なものを教えてください。
「人間以外の生き物です」

〇 好きな言葉を教えてください。
「若いと青春」

〇 不思議な体験を教えてください。
「夢で見たマラソンです」

〇 アースマラソン出発前の心境を教えてください。
「不安ですが一歩踏み出したら、がむしゃらにとことんやりたいですね」

アースマラソン
「私は、2008年12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する『アースマラソン』に挑戦することを決意しました。」

この計画はこうです。
「大阪市のなんばグランド花月をランニングでスタートがはじまり、2009年1月1日には千葉県鴨川市からヨットで太平洋を横断(約60日間)、ロサンゼルスからランニングでアメリカ大陸を横断(約120日間)。」

「ニューヨークから大西洋をヨットで横断(約30日間)、ポルトガル・リスボンからヨーロッパ、中央アジア、中華人民共和国を横断(約500日間)、中国・青島からヨットで鹿児島(約10日間)ランニングで大阪(約20日間)のゴールを目指す。」

「移動距離は陸上2万キロ。自分の足と風の力だけで地球一周する壮大な旅になります」

挑戦の経緯
このアースマラソンに挑戦した事について間寛平はこう話し出します。

「年齢を重ねていくたびに体がきつくなってきているのが分かるようになってきていました。私は”もう体に限界がきているな”と思ってきていましたので。ここで”最後に何かやりたいな”と思ったのが3年前のことです。」

「そんな時、天からの啓示かのように”地球一周”と閃いたのです。そしてふっと思ったのは、陸は足で走れるけど、海はどうやって?ここが問題でした。」

「そこで、マネージャーを務めていた比企啓之さんに電話をしアースマラソンの話をしたところ、特に驚くようすもなく、ごく普通に承諾してくれました。そして、このような事をいうのです。」

『寛平さんはスパルタスロンレースというものを知っていますか?』

「私は知りませんでした。そこで彼がこう教えてくれます。」
『このマラソンは制限時間36時間以内に不眠不休で246kmを走りきるウルトラマラソンになります。』

と言いながら練習方法などを教えてくれました。そして、海に関してはこう言います」
『寛平さん。海を渡るときは、自然の風を利用したヨットで渡ることにしましょう。』

さらにこうつづけます。

ヨットの怖さ
「実は私、比企は大学時代ヨット部に所属していました。神奈川県からヨットで小笠原諸島まで挑戦しました。しかし、自然の波は想像以上に激しく途中で泣き出してしまいました。本当に怖かったです」

寛平はヨットどころか、湖のボートの経験もまったくありません。ましてや、あの冬の荒い太平洋をヨットで航海したこともありません。

ここで美輪がこんな事を言いだします。
「堀江謙一さんはヨットで単独無寄港の世界一周を成功させましたが命の危険を何度も感じたことがあると言っていました。海は時化もあれば凪もあります」

比企啓之という人物
ここで寛平がマネージャーを務めていてくれている比企の事をこう話し出します。

「私は、彼に何度も助けられました。吉本新喜劇の座長をしていた頃の1986年にはアメバッチ10万個作成し消費者金融に6000万円の借金。これ以外に他人の借金の保証人にもなっていました。お願いされるとどうしても断れないのです。」

「吉本の間では自分の事をこう言っていました『歩くはんこ屋』このような自分ですので、妻には迷惑をかける訳にいきません。自分のほうから離婚の話を切り出していました。」

「その度に妻からこう言われます。」

『あんたが緒形拳になったら別れてあげる』
これは、どうしても無理なことです。

「このような、借金地獄の中から救ってくれたのが比企マネージャーでした。比企さんは自分の返済のための返済スケジュールを組んでくれたのです。この比企さんがいなければ、今も借金が残っていたかもしれません。」

最後は人柄
ここで美輪が比企マネージャーの事についてこう言います。

「中々、こんなマネージャーはおりません。寛平さんの奥さんも助け合うという気持ちで心から愛しているからです。もし、嫌な奴でエゴイストなら、誰も助けてくれません。心根が優しい善良な人だから助けてくれるのです。世の中、最後にものをいうのは全て人柄です」

不思議な体験「マラソン」
寛平は不思議な夢の事についてこう話し出します。

「あのマラソンランナーの瀬古利彦選手が夢にでてきて自分とデッドヒートしているんです。それも同じ夢を2度もですよ。」

「この夢の事を池乃めだかに話したら、こんな一言が返ってきました。
『だったら、走ってみたら』

「そして、走ってみる事にしました。長距離は今まで走ったことがありませんでしたので、好きなタバコも止めマラソンを始めたのです。この汗がまた気持ちが良いのなんのって。こんなに気持ちがいいとは思いませんでした。」

さらにこうつづけます。

心臓疾患克服
「ところがマラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上の選手並みになったのです。ここから新たな可能性を見付けるため、ギリシャの鉄人マラソンと言われるスパルタスロンに3度挑戦しました。」

「結果。2度リタイヤ、3度目の1991年で完走しました。この3度とも明石家さんまさんがサポートしてくれました。」

「そんな時でした。吉本興業のお偉いさんが自分にこう言ってきたのです。」

『青梅マラソンで3時間切ったらギャラを倍にしてやる』

「周りからは絶対、無理だと思われていました。でも、自分は絶対にやってやる。という覚悟をもっていました。その結果、2時間26分で完走しました。」

「あの給料の話は冗談半分だと思っていたのですが、本当に給料が倍になりました。さらに、驚くことに仲間の給料も上げてくれたのです」

守護霊からのメッセージ
この事について江原がこう話し出します。

「寛平さんは何でも一生懸命にやりたい人です。一生懸命になれるものを見つけられなかったから、若い頃は破天荒な生活をしていました。そして、何でも全力疾走したい人。マラソンと出会いがあって、はじめて地に足が着くようになったのです。」

「瀬古利彦選手の夢は、実は瀬古さんじゃありません。瀬古さんの姿を借りて守護霊がメッセージを伝えていたのです。この方が分かりやすかったからです。霊的な世界では、一番刺激のある所を突っついてくるのです」

守護霊と前世
守護霊は修行僧で前世も同じく修行僧になります。

寛平さんは自分のこと以上に周りの人のために祈りを捧げていました。この守護霊のせいなのかお坊さんに出会うたびに寛平さんの心は落ち着いていました。マラソンを好む人には修行僧だった人が多くおります。

それは千日回峰行に似ているためです。寛平さんのアースマラソンの予定も約2年半(913日)で地球を舞台にした千日回峰行なのです。

ここで江原が比企さんとの関係をこう言います。
「前世では修行僧の仲間でした。比企さんは精進料理の調理を担当していました。だから今世でも料理を得意としています」

魂を巡る旅
さらに江原が間寛平の前世をこうつづけます。

「ネイティブ・アメリカンだった頃の前世もあります。寛平さんは草を見るのが好きでしたが、子供の頃は、花よりも葉っぱのほうが気になっていたはず。

それは前世では薬草を探していたからです。それにアースマラソンのコースは、魂のルーツを巡る旅なのです。それに、常に感覚的に生きていて前世から現実的な世界には生きていません。自然界の中で生かされていることを理解し感謝しています。

このことに寛平はこう言います。
「実は私は、インディアン・ジュエリーが大好きなんです。なかでも、特にズニ族が好きでその装飾品をずっと持っています」

オーラの色
紫(情愛が深く洞察力に優れたエネルギーを持ち、広い視野で物事を捉えることができますので、芸術面にも優れています。)ですが、

このオーラをくすませている原因が二つあります。一つは戦死している先祖。もう一つは若くして亡くなっている仲間です。この方のお陰で芸能界に入ったのです。中学時代の同級生で吉本興業に入って1年後ぐらいに事故で亡くなっています」

この事に寛平はこう言いだします。
「いつも思い出した時に拝んでいます。だから中途半端な生き方は申し訳ない。自分の命を最大限に生かそうと言い聞かせています」

アースマラソンへの警告
ここで江原がアースマラソンへの挑戦に対しての警告をこう言います。

「アースマラソンに挑戦するのはいいのですが、海に関しては賛成できないところがあります。海で戦死した先祖の思いが海にあります。特に太平洋横断には注意が必要です。」

「自分の正常な信念でやり遂げたい。と言う気持ちもありますが、亡くなった友のことを思うと、必要以上にがんばってしまうところがあります。それに、前世が行者だったため、水に対してはどこかで予感し察知しています。」

「この事を無事に終わらせるには『供養は別』と祈ることです。今回は自分自身の修行のため邪魔しないようにと念じるようにすること。絶対に無理しないこと。寛平さんは守られていますので、本当に危なかった場合は行けないようにされます」

ゴール
2011年1月21日午後7時43分。寛平はトルコにて前立腺がんを発症していることが判明。放射線治療を受けるために一時中断するアクシデントがあるも2010年6月18日にマラソンを再開し2年1か月のアースマラソンは大阪城音楽堂をゴールとし4万1000kmに及ぶ長い旅を終える。

劇団
2016年7月20日、若手芸人育成を目的とした「劇団間座」を立ち上げ12月24・25日、旗揚げ公演「恋の虫」を上演。現在、この育成に汗しています。

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