間下このみのオーラ診断
「胎動が・・・どうしたの?」と思わずお腹の中の赤ちゃんに声を掛けていました。昨日まであれほど元気にママやパパに呼びかけるように働いていたのに。もう少しだったのに。これが我が子との別れでした。そして寂しさの中での、あの夢です。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1978年4月27日
出生地 東京都葛飾区
本 名 間下このみ(ましたこのみ)
学 歴 東京ビジュアルアーツ(旧 東京写真専門学校)卒
事務所 アミューズメントハウス
職 業 女優、写真家
スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「意外と心配性で気が小さいです」
〇 毎日欠かさずにする事は何ですか?
「主人と夜に幸せを報告しあうことです」
〇 海外でなぜか心惹かれる国はどこですか?
「エジプトと日本の江戸時代です」
〇 怖いものを教えてください。
「注射です」
〇 不思議な体験を教えてください。
「娘を寝かせた後、誰もいない部屋でおもちゃが鳴りました」
〇 印象に残っている夢は何ですか?
「子供が死去した後、5歳くらいの男の子が頭を撫でながら『大丈夫だよ』と言ってくれる夢を見ました」
別れ
間下が新たな生命が体内に宿った子との別れについてこう話し出します。
「妊娠後の5ヶ月に入った安定期の時のことです。突然、胎動が感じなくなったのです。もしやと思いながらも、多少の気持ちを抱き、産婦人科へと向かいました。」
「そして、医師のこの一言です。」
『既に亡くなっています』
「これには”何で、赤ちゃんが?”と思った瞬間でした。」
「私の心は罪悪感でいっぱいになり”ごめんなさい、ごめんなさい”と言いながら涙が止まりませんでした。」
「この時は、自分の子供をこの世に出してあげたかった。という思いが強くありました。その後、陣痛促進剤を打ち普通の出産の時と同じように産みました」
さらにこうつづけます。
幸せ報告会
「ここから自分は落ち込みつづけていきます。人を恨んでしまう事も度々ありました。このような状況が毎日でしたので外に出る事さえできずにいましたので、家の中にばかりいる日がつづいていました。」
「そんな、ある日の事です。ネットサーフィンをしている時です。こんな内容の文書を見付けたのです。」
『毎日、お空にいる赤ちゃんはあなたのことを見ています。何とかママを喜ばせようと幸せを運んで来ています。でも、赤ちゃんは体が小さいから小さな幸せしか運べません。その幸せにあなたは気付いてあげていますか?』
「この文書を読み。自然と涙がこぼれ落ちつづけ、これまでの自分はエゴイストそのものだと思ったのです。そして、ここから”元気を出さなきゃいけない”と思えるようになり、この事を旦那に話すと。すると、このようなことを言います。」
『毎日、お互い寝る前に小さな幸せ報告会をしよう』
幸せの数
この事について美輪がこう話し出します。
「幸せを確かめるのは本当に大事なことです。自分は本当に幸せなのに、今の人は不平不満ばかり見ています。幸せを見ようともしません。」
「特に、怒る必要も無いのに只々、神経をたかぶらさせています。数えてみてください幸せの数を。どんなに多い事か。あなたが驚くほどたくさんあります」
不思議な体験 夢
間下がこの夢の事についてこう話します。
「体内児を失った時です。5歳ぐらいの男の子が夢に現れ『大丈夫だよ』と言ってくれたのです。この後、心がもの凄く温かくなりました。もしかすると、お腹の中の胎児は男の子かなと信じています。とても不思議で癒された夢でした」
原因不明の難病
2004年10月23日、再び妊娠5ヶ月である事を公表すると同時に、原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群(血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こすと言われる病気)」である事も公表します。
この病気は自覚症状はなく、流産や死産のリスクも高まると言われています。公表する3ヶ月前の事です。血液検査の結果、血小板の数が少ないと言われ、詳しい検査を受けてみると、この難病が見付かったのです。現在、この難病は原因不明で治療方法も確立されていません。
2004年5月、この時の子供の死去も同じ難病でしたので、またこの子供も死去するかもしれない。自分のこの体では例え、子供が授かっても産まれてこれないと思いました。
でも、やれることはやって前に進むしかないと、そう思い。そして、色々と病気改善の事を調べ、血液の流動性をよくする注射を自分の意志のもと、5ヶ月間毎日打ち続けました。本当に後悔はしたくありませんでしたから。
間怖いもの「注射」
間下がこの事についてこう話し出します。
「子供の頃から注射は好きじゃありませんでした。ドラマで注射が打つシーンが出ただけで、もう駄目でしたね。子供をお腹に授かり、いざとなったら不思議なくらい母というのは強くなるものです。毎日、注射を打ちつづけたのは、本当に不思議でなりません。」
この事について美輪がこう言います。
「間下さんは元々強い人です。常に保険のために最悪のことを考えている方で、最悪のことを知っていると、おのずと安心できます。これこそが強さです。だから頑張れました。」
「それに、ずるずる引きずるのは好きじゃなく、この性格があるが故に色々な苦難も困難を乗り越えてきました。それには周りにいる大人たちの意見も素直に聞いていたからです。」
旦那の存在
ここで江原がこんな事話し出します。
「本当だったら、間下さん。あなた自身も亡くなってもおかしありませんでした。命をいただいたのです」
この事に間下がこう答えます。
「自分の命のことは全く考えておりませんでした。子供の命の事だけを考え、これ一心でした。それに旦那の存在が大きいです。」
「足に血栓ができるので毎日マッサージを施してくれていました。長い時で2時間も。正直、この旦那がいなければ乗り越える事ができませんでした」
新たな生命の誕生
間下が第一子の誕生の事をこう言います。
「自分の体の事を考え、病院側が全身麻酔と帝王切開で子供を出産させてくれました。初めて子供と対面した時は、ほっとした安堵感に包まれ嬉しかったですね。」
「そして、目の前の子供に”産まれてきて、ありがとう”と伝えました。
生きていること
この事に美輪がこう言います。
「女の人の一生は大変です。男にはその思いが分かりません。旦那様は何もできない歯痒さが辛かったはずです。普通に産まれることの幸いと奇跡です。普通に産まれて当たり前だと思ってはいけません。」
「育児に疲れている人は、その子がどれだけの奇跡の積み重ねで存在しているのかを理解する必要があります。生きていることだけでも大変な確率なのです。」
「今世も、危険がたくさんあります。病気だらけの世の中で生き抜くのは大変な技術が必要になります。生きてきただけで十分に立派なこと。この事に感謝しなければなりません」
病気と向き合う
この事につづけて江原がこう言います。
「病気イコール悪、と捉えてはいけません。人間は必ず病気にかかります、この時、それをどうやって肥やしにしていくか。この事を理解する事により、病気の人を見る目も変ってきます。」
「明日は我が身です。病気を忌み嫌うのは、うつるのではないか、変な因縁を背負っているのではないかという偏見です。そうではなく、自分が病気になった場合のことを常に考えることです。」
「感情的に病気を捉えるのではなく、冷静に分析していけば、忌み嫌う必要は全くありません」
死産の子供の役割
ここで江原がこの事についてこう話し出します。
「間下さんの人生のテーマは”女の一生は大変”現在の魂の中に残っているのは”女性に対する偏見と戦いたい”です。ですので、偏見や差別に対する役目を持っています。」
「不思議な体験で、誰もいない部屋でおもちゃが鳴った、と言いました。これは、夢の中で”大丈夫”と言った子供です。」
「この子供は母胎内で死去した子供と同一人物になります。間下さんの持つ難病を伝えるため、母胎内に入りましたが、産まれない事を前提で来ているのです。この子の死産があればこそ、難病を詳しく調べたり医者も詳細に検査をしませんでした。」
「この子供は役割を果たしに来たのです」
子供からのメッセージ
そして江原がこの子供のメッセージをこう伝えます。
「あなた自身が今、抱えている、病気から目を離してはいけません。きちんと薬を飲み、検査も継続してください。自分のことを管理するのも親の役割です。これからが大変になります。子供を育てるための責任があります。この事をおろそかにしてはいけません」
奇跡の強運
ここで美輪がこう言います。
「悪運が強いです。もうダメだと思うと、どこかから助けが入ります。今産まれた子供も、医者との出会いが無ければ病気が分かりませんでした。この医者の父親が間下さんが産まれる時に立会った医者です。」
「今度は、この息子さんが間下さんの難病を発見します。今までの人生を思い出すと奇跡的な運の強さがたくさん重りあい、今、ここにに来ています」
現在
間下はこれといったテレビ出演はありませんが、今も女優であり写真家です。現在も闘病しながら専業主婦をつづけています。
2007年3月16日に誕生した。長女の、めのあちゃんも13歳になりました。この子供の事をブログ等で公開しています。いつも変わりない日常、これが幸せの証拠ですね。
次は「柳原加奈子のオーラ診断」