柳原可奈子の母親と現在をオーラ診断 人生の転機 母の他界

柳原可奈子のオーラ診断

大好きだった母が他界してしまった。思いっきり泣きじゃくった。心の中にぽっかりと空いた大きな穴。でも、この事を自分の中で認めたときでした。ある不思議な変化が。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1986年2月3日
出生地 東京都中野区
本 名 柳原可奈子(やなぎはらかなこ)
身 長 153センチ
血液型 B型
学 歴 東京アナウンス学院卒
事務所 太田プロダクション

スピリチュアルチェック

〇 性格を一言で言うと何ですか?
「マイペースです」

〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「お笑い芸人です」

〇 リラックスできる場所を教えてください。
「自宅です」

〇 好きな男性のタイプを教えてください。
「あんまり太ってない人です」

〇 座右の銘を教えてください。
「案ずるより産むが易し」

子供時代
ここで柳原が子供の頃の事を話し出します。

「マイナス思考が強く神経質な子供でした。自分のこの性格を変えようと母親が『案ずるより産むが易し(心配していても実行してみれば意外と簡単なこと)』という言葉を教えてくれました。」

「この躾けでマイナス思考が徐々に変わっていきました。気が付けば目立ちたがり屋になっていました。そして、学校に行くといつも、誰かのモノマネをしてはクラスのみんなを笑わせていたのです。」

「小学高学年の頃には、将来の夢はお笑い芸人になる事と決意していました。成績がいつもオール5を取っていましたので、母親は薬剤師にさせたかったようです」

お笑い芸人
柳原はお笑いのネタ作りについてこう言います。
「以前は色々と店回りしながらネタを捜していましたが、近ごろは喫茶店に行ったりバスや電車の中の会話を盗み聞きしこれをネタ作りにしています」

この事に美輪がこのような事を言います。

「この着眼点がいいです。それに、言語や行動がまねできないほど不愉快い連中をからかい倒す反骨精神はもの凄くいいです。それにブランド物の名前をちりばめるのは、風雅な心に欠けるものだと気付いてはいません」

リラックス「自宅」
柳原がこの事についてこう話し出します。

「本当に疲れます。外って本当に人の会話やら雑音が多すぎです。休日の日は自宅から出る事はまったくありません。心からのんびりできます」

この事について美輪がこう言います。

「産まれた時からそういう人なのです。父親とはとっても仲がよく、いつも会話を楽しんでいました。その反面、母親はいつも口うるさく『勉強、勉強』と言っていました。」

「父親が口を開くのは、ここぞ。と言う時だけです。このバランスが理想的で、昔はこれが普通の家族の役割分担だったのです」

人生の転機 母の他界
これに柳原がこう言います。

「私は、30代後半に授かった子供で一人っ子でしたので、過保護に育てられました。母親の勧めで雑誌のモデルも経験しています。実は、この母親が2005年に病気で他界しました。」

「娘・加奈子の活躍を見る事ができませんでした。この事はとっても辛かったのですが、自分の中で母親の死を認めましたら、不思議と心が強くなり、自分で何でもやらなきゃと。こんな思いも目覚めました。」

「この気持ちを切り替えられたのは、母親が他界するまでの19年間。この間、愛情をたっぷりともらうことができたからです」

最後の躾
この事に美輪がこう言います。

「子供を可愛がるのは結構なことです、でも、その子が一人になった時に大変なことが待っているのです。過保護というのは親の満足です。子供にとっては毒になる場合があります。」

「母親が亡くなったのは『一人で生きていきなさい』という最後の躾だと思った。だから、自分で変わろうと思ったのです。持ち前の頑固強さがプラスの方向に働きました」

乗り越えた悔い
柳原がここでこんな事を言います。
「今、この番組で母親のこの事を話している。このことが不思議でたまりません。私の中では、父親と母親は自分のすべてでした」

この事につづけて江原がこう言います。

「今までは、この事を乗り越えられなかったのです。だから、話すことさえできませんでした。たくさんの愛情をもらっていながら、これを返す事ができませんでしたからね。」

「この事の悔いです。これがたくさんありましたから。母親が大好きだったからこその衝突もありました。どうして、もっと良い時間を過ごせなかったんだろう、という悔いです」

さらにこうつづけます。

精神的な葛藤
「でも、その気持ちは母親は十分に汲んでいます。なので母親には悔いはありません。しかし、精神的な不安定はありました。それは、複雑な気持ちの中でのやりとりと娘だから守らなければいけない。でも、もう大人に成長しているという葛藤を抱えていたのです。」

「家族や夫婦でも全てが思うようにはいきません。それをどう受け入れて良い方へ向いていけるかが大事になります。母親はこの事を加奈子が大人になってから話そうと思っていました。これが、病気で絶たれてしまったのです」

愛情面の充実
ここで柳原がこのような事をいいます。
「あの大好きだった母親の声を思い出せません。一生懸命に思い出そうと思っても思い出せないのです。あんなに好きだったのに。二人の思い出も顔もすべてが忘れ去っていきます」

すると、美輪がこんな事を言います。

「忘れてしまうのは良いことです。柳原さん自身が充実していくと、自然とそうなっていきます。仕事や生活での充実感があり、母親はやるだけのことはやった、という充実感があります。」

「中には、愛情を注ぐ相手が誰もいなくて亡くなる人もいます。愛情面が充実していましたので、母親は何も思い残すことはありませんでした」

思い出が消えていく
この事を聞いた柳原がこんな事を言います。
「母親を思い出して泣くことが最近なくなりました」

つづけて江原がこう言います。

「寂しいことではありません。亡くなった人が思いを残したままその想念が残っていると、その想念がこっちら側へ伝わってきます。そうすると、原因不明な病を抱えてしまいます。」

「加奈子さんの幸せは母親の幸せと日々満足に過ごしていると、絶対、マイナスの波動はきません。充実に過ごすのも同様です」

喜ぶ母親
「この先々で思い出す事もあります。それは人生の節目に、その思い出が蘇る場合があります。その時の自分と母親の思いを重ね合わせ、過去の記憶に、『あ~あの時のあの言葉は、この意味だったのか』と納得する程度になります。」

「この今の状況を母親は凄く喜んでいます。これでいいのです。柳原さんが泣いている、その姿を見て、母親が喜ぶと思いますか。喜ぶはずがありません」

思い出の使い方
つづけて美輪がこう言います。

「去る者は日々に疎し(どんなに愛している人でも、時間が経つと忘れてしまいます)忘れることは罪ではありません。罪悪感を持つ必要もありません。楽しい思い出だけを思い出せばいいのです。」

「そうすれば、孤独な時に楽しいことを思い出すことができるのです。上手な思い出の使い方です」

最期の言葉
江原がこう言いだします。

「母親が最期の姿だけ誤解を解きたいと言っています。実は最期に言った言葉は全てが本当ではありません。この言葉は母親のわがままでした。この事すべてが母親だと思わないでください。この先々、父親と素晴らしい時間をたくさん作りつづけてください」

ここで美輪がこう言います。

「聡明で何でもできる人ですが、妄想癖があるのは諸刀の刃。ネタ作りにはプラスになりますが、被害妄想になるとマイナスになります。」

「そうすると、自分を傷つけることになってしまいます。妄想はプラスの方だけに使うようにすること。このままの状態で進めば、人生の達人になれるはずです」

恋愛
ここで柳原が恋愛についてこう言います。
「私は生活の中の一部での恋愛しか経験した事がありません」

この事に江原がこう言います。

「心の中から見ている自分の部屋の世界だけだからです。ここの部屋から出て初めてコミュニケーションが始まっていくのです。まずは、心の部屋を出てみる。」

「それに、熱烈な恋愛や結婚をどこか否定している部分が見え隠れしています。恋愛が見付かれば、その時は必ずのめり込んでいきます。何故なら、その免疫がありませんので、注意をしてくださいね」

そして美輪がこうつづけます。

「ファッションモデルは背が高く痩せていて洋服が似合えばいいのです。でも、男はモデル嬢よりもトランジスターグラマー(小柄だが肉体的な女性)的な女性が好きなのです。」

「マリリン・モンローが何故好かれたのか。それは、トランジスターグラマーだったから。このような女性を見たら男は黙ってはいません」

逝去
2013年3月6日、父親が61歳で死去。柳原加奈子27歳のときでした。

結婚
2019年2月4日、1歳年上の一般男性フジテレビ社員と結婚を報告。年齢33歳でした。2月3日が誕生日でしたがこの日が日曜日でしたので翌日に入籍します。

子供
2019年3月30日に第一子を妊娠中であることをブログで報告する。

テレビドラマ
2018年5月17日、「警視庁・捜査一課長」 第6話、北園晴美 役で出演。

レギュラー番組
2018年4月、「ハイスクールQ〜ニュースを学ぶクイズ〜」

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次は「山本譲二のオーラ診断

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