黒沢年雄のオーラ診断
子供の頃のことになります。いつもの道をいつもの通り歩いていました。その直後のことです。何があったのか。まったく覚えていません。私の体の支えのような感覚がまったくなくなっているのが分かりました。そして、次の瞬間のことです。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1944年2月4日
出生地 神奈川県横浜市西区
本 名 黒沢年雄(くろさわ としお)
身 長 175センチ
血液型 AB型
学 歴 日本大学高校中退
事務所 プロダクション クロ
スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「とっても楽しい人です」
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「スターです」
〇 苦手な物を教えてください。
「蜘蛛です」
〇 不思議な体験を教えてください。
「何度も死にかけています」
〇 人生の転機を教えてください。
「母親の死、東宝映画の専属契約解除、大腸ガン」
美輪との関係
黒沢がこの事についてこう話だします。
「私が美輪さんと何度かお会いした中で、こんな事を注意されました。」
「私は、歌やドラマ・CM等の超多忙な時期を過ごし収入もかなり増えてきましたので、大き目の家を建てたのです。そんな時でした。美輪さんから、こんな事を言われたのです。
『調子に乗って、もっといい家を建てると不幸になりますよ。ご注意を。』
このような注意を受けたにも拘らず、さらに大きな家を建ててしまったのです。そして、その年の1992年、大腸がんを患ってしまいました。
不思議な体験 火の玉
黒沢がこの不思議な体験についてこう話しだします。
「私が小学生の頃のことです。学校からの帰宅途中のことでした。とある家の上で、もの凄く巨大な火の玉が突然現れ、三回ほど回ってぱっと消えたのです。」
「そして、翌日でした。そこの家の人が亡くなっていました」
この事について美輪がこう言います。
「それは人魂です。臨終のお知らせで亡くなる家の上によくでます。これは、よくあること」
不思議な体験 蜘蛛(クモ)
つづいて黒沢がこのような不思議な話をします。
「私の母親が病床について時のことです。10センチもあるような大きい真っ黒い蜘蛛が夜、玄関にいたのを発見しました。現れては追い払い、現れては追い払い。そのような毎日を過ごしていました。ところが不思議なことに母親が亡くなった日から現れなくなりました」
この事に江原がこのような事を話し出します。
「昆虫は霊媒の生き物です。黒い蜘蛛が出たのは、そろそろ、亡くなる人が出るぞ。とのお知らせなのです。朝の蜘蛛は良い知らせ、夜の蜘蛛は悪い知らせになります。昆虫に魂が憑依して伝言を伝えようとする場合もあります」
不思議な自動車事故
つづけて黒沢が自身の事故の事についてこう話しだします。
「私が中学生の時のことです。遊んでいる時に自動車にはねられて5-6メートルほど飛ばされてしまいました。地面に叩きつけられ転がったのは覚えているのですが、気が付くと不思議な事に傷は一つもありませんでした」
不思議なスピン
さらに黒沢がこうつづけます。
「東宝に入社している頃のことです。私が自家用車で第三京浜を運転している時でした。車が突然スピン。何をどうしたらいいのか。訳も分からないまま、ただただハンドルを握りしめていました。その間、車は何回転も。」
「その状態まま1000メートルほどは回り続けたでしょうか。これが不思議なことに、どこにも接触することなく、事なきを得たのです。本当に助かりました」
不思議と生き返る
そして、黒沢が母親から教えてもらった奇跡と言えるような話をしだします。
「1944年2月4日この日。産婆さんがこう言います。」
『この子はもう駄目です』
「私はすでに、仮死状態のままで産まれてきていたのです。この事を聞いた母親や周りの者たちがため息をついた、その瞬間でした。突然、産声をあげ生き返ったのです。これも、本当に不思議でなりません」
不思議なラップ音
この事について黒沢がこう言います。
「私は時々、自宅等で『ピシッ、ピシッ』という音が聞こえてくる時があります。まさしく、ラップ音です」
この事に江原がこう話します。
「小さな音であれば、全く問題はありませんが、大きい音でしたら用心が必要です」
出家する先祖
ここで黒沢がこんな事を言いだします。
「我が家の先祖を辿ってみると平家だという事が分かりました」
これを聞いた江原がこう話し出します。
「さらに先祖を辿っていくと色々なお寺が出てきます。何故なら、先祖に出家している僧侶がたくさんいるからです」
このせいだろう。黒沢自身もお寺参りが好きだと言います。
人生の転機・母の死
この事について黒沢がこのような事を話し出します。
「母親が亡くなったのは、私が16歳の時でした。この時、長男の私に母親が最期の言葉をこう言い残します。」
『あとは頼むよ』
「この言葉を胸に何の仕事をしようかと。いろいろと考えました。その結果。」
『有名になって金持ちになりたい。』
「そして、私は俳優の道を志すことにしました。その前に色んな職業を体験し俳優としての道を歩みだそうとしました。その職業の数は2年半で30件。これで役者での仕事のイメージを掴むことができました。」
人生の転機・映画の専属契約解除
この事について黒沢がこう話しだします。
「私が28歳の1972年の時のことです。この時の時代背景は娯楽の映画からテレビへと移行していっていました。当然のように、映画の興行が右肩下がりが止まらない状態です。その為、東宝の専属俳優全員が解除されたのです。」
「そして、ここから2年後のことでした。黒沢の歌声に魅力を感じた一人の音楽ディレクターが歌手・黒沢をデビューさせたのです。そして、これが大ヒット。」
人生の転機・大腸がん
「私は歌手としても勢いをつけていました。この勢いのまま大豪邸を建てます。その後、土地を購入しますが、購入する前、ある占い師から『方角が良く無い!』と言われていたのですが、場所的に好きでしたので注意を無視し購入。」
「その後、この土地から遺跡が出てきて家を建てることができなくなったのです。その後、美輪さんと出会います。『調子に乗ってはいけません』これまた無視。」
「さらに大きな大豪邸を建てたのです。正負の法則の如く、大腸がんが見付かりました」
守護霊
守護霊の中心にいる人物はお坊さんです。
黒沢さんの今までの人生の事故や揉め事を、その都度支えていたのは全て先祖のお坊さんらです。もう一人は刀鍛冶職人。ですので黒沢さんが一つのものにのめり込んでいく性格はここからきています。先々の答えが見えてしまうと興味を失うのもそうです。
前世
ブルガリア周辺にいた人でいつも戦っていました。
戦いそのものが人生でした。
馬鹿になる
黒沢が仕事で比叡山に行った時の事をこう話だします。
「私は、比叡山に行き天台宗の開祖、最澄の教え『大愚のすすめ』を学んできました。
それは、人間はいかに馬鹿になれるか。です。この馬鹿になった時、その時から人生が開けていくのです。」
「これを聞いた時、高校も中退、教養も才能もない。でも、生きるために馬鹿をやりながら、ここまでやってきた。プライドを持ち始めた瞬間でした。思いっきりどん底に落とされてしまったのです。」
「ここで私は、つまらないプライドを捨てました。そして、番組で馬鹿だと言われても『はい。私は馬鹿です』と言っていたら、何故か、不思議ですが仕事が増えだしてきたのです」
ここで美輪がこのような事を話し出します。
「自然体で通る人と通らない人がいます。テレビは特に人柄が映えます。どんなに二枚目で才能があっても、人柄が悪ければまったく駄目人間なのです。ここのところですね。」
母親からのメッセージ
ここで江原が黒沢にこの事を伝えます。
「母親がこうおっしゃっていますよ。長男としての責務をよく果たしました。これには感謝しています。しかし、最近、頑固で子供の話を聞いていません。自身の体の事や家族からの忠告をよく聞くこと」
映画
2017年「君のまなざし」洋禅 役(平安時代の人物。老神職として後人を指導する師匠)
次は「大泉洋のオーラ診断」