島倉千代子の過去と現在をオーラ診断 保証人って何かしら?

島倉千代子のオーラ診断

お願いがあります。ここに保証人の署名と捺印を押していただけませんか。できれば実印もお貸しいただけたら。”はい。宜しいですよ。”ところで保証人って何かしら?と、気が付くと何十億円の借金の肩代わりになっていました。そして今度は。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1938年3月30日
出身地 東京都品川区
本 名 島倉千代子(しまくらちよこ)
血液型 A型
学 歴 日本音楽高校卒

スピリチュアルチェック

〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「お嫁さんです」

〇 最近凝ってることを教えてください。
「携帯電話のメールです」

〇 リラックスできる場所はどこですか?
「パチンコ台の前です」

〇 好きな言葉を教えてください。
「何があってもめげない」

〇 一番腹が立ったことを教えてください。
「何回かありましたが自分が愚かだったという思いが先に出てきます」

デビューから
この事について島倉がこう話し出します。

「私が15歳の時に日本音楽高等学校に入学します。ここで勉強しながら翌年の1954年にコロンビア全国歌謡コンクールに出場しました。そして審査結果は優勝です。その後、日本コロンビアと専属歌手としての契約を結びました。」

「16歳の1955年3月、本名の島倉千代子で歌手デビューを果たします。この時の曲は『この世の花』 その半年後に200万枚を達成し一躍人気歌手となりました。」

声が出ない
「ここから、多忙の毎日がつづいていきます。そんな時でした。”私の口から声がでません。何度、口をパクパクしてもまったく声が出てきません。”すぐさま病院へと向かいました。その結果。疲労が溜まった影響で声帯を壊していたのです。」

「この時、私に救いの手を差し伸べてくれたのは美輪明宏さんでした。そして、このような言葉を私にくださいました。

『周りの話をあまり信じてしまうと声の回復が遅れます”自分を信じて、自分に負けないこと”です。』

「この言葉は本当に私を支えてくれました。ここからの回復スピードには医師も驚いてしまうほどです。本当に心のありかたって大事ですね」

そして、今、島倉はこの時の事をこう言います。
「嫌な事があると、自分がいけなかった。と思うようにもなりました。美輪さんに教えられたことが今も続いております」

結婚
ここで島倉がこの事についてこう話し出します。

「1963年、私が25歳の時のことです。父親が他界しました。毎日、悲嘆に暮れる中、支えてくれたのが阪神タイガースの藤本勝巳さんでした。心身ともに疲れ切っていましたので、この方の支えには本当に有り難く助かりました。」

「そして、すでに私のお腹には子供が宿っていました。私は彼との結婚を承諾します。ところが母親は、この結婚には大反対でしたが、私はそれを無理に押し切りました。」

離婚
「その後、私は妊娠していました子供を中絶します。結婚後もニ子もうけますがニ子とも中絶します。そして、あまりにもすれ違いの多い生活に6年後、別居を経て離婚しました。1972年、私が34歳の時でした。そして、母親のナカが脳軟化症により他界します。」

保証人
つづけて島倉がこの事についてこう話し出します。

「1975年、私が37歳の時のことです。行きつけの眼科医に頼まれ実印を貸してしまったところ、数多くの保証人にされてしまっていました。」

「その当時で総額16億円もの莫大な借金を背負う事になってしまいます。1977年、私が39歳の時には信頼を寄せていた守屋義人の手形の裏書をしてしまったのです。」

「その後、彼の事業は失敗。さらに2億4千万円の借金を背負ってしまいました。私はこの事件以来、人に会う事が怖くなってしまいました。」

「私は、この莫大な借金返済のため、写真集の発売や全国各地のキャバレー周りや地方興行などをしながら10年もの歳月を掛けすべて返済しました」

実印は命
この事について江原がこう言います。

「人間は頭で思っていることと、心の方向が違う時があります。島倉さんの今世でのテーマは理性と感情の間で苦しむ事です。歌は天職そのもので、お金の問題があるまでは、歌えればいいという考えかたでした。」

「しかし、借金の問題が起きてからは、お金も大事と思えるようになりました。ここで、今、一番大事なことは実印は自分で持ち、命だと思うこと。人様に預けるという事は命を預けるのと同じことなのです。この事を忘れないようにしなければなりません」

乳がん
島倉がこの事についてこう言います。

「1993年、私が55歳の時でした。定期検査で胸にしこりが見つかります。初期の乳がんです。会見を開きこの事を発表しました。その後の手術は成功し芸能活動に復帰することができました」

再び借金
そして島倉がこの事についてこう話し出します。

「2007年、私が69歳の時のことです。信頼していた事務所のスタッフに多額の資産を持ち逃げされてしまったのです。ここで再び多額の借金を抱えるはめとなってしまいました。」

「私はデビュー当時から、母親がお金の管理や現実的なすべてのものに対して管理をしてもらっていましたので、お金そのものの存在や価値が全く分かりませんでした。」

この事について美輪がこう言います。
「この当時、スターと言われる方々は政治や経済や文学の話をしてはならないという時代だったのです」

前世
武家のお姫様です。

歌が大好きで歌姫と呼ばれるほどでした。この前世があるが故に、大変な思いをしても楽観的でいつも何とかなる。という思いが土台になっているのです。それに悲劇の女主人公を楽しんでいる所があり、感情面は前世のお姫様のままなのです。

それに前世は幸せつづきの日々を過ごしていたため、今世では色んな事を経験しようともの凄い覚悟で産まれてきていますので、何にでも挑戦しようとしていて、苦労も引き寄せているのです。

オーラの色
青(冷静)黄色(朗らか)等たくさんの色があります。無頓着なため、何かを失ってもまた得ればいいという思いと瞬時に気持ちが変わる性格もあります。

守護霊
背広を着た男性になります。

その他にも沢山の人が並んでいます。この方々は島倉さんが本当に辛い目にあった時に助けてくれた方々になります。理性と感情を近づけるには、あなたの側にいて裏切らない人もいて心配もしてくれた人達の親身な助言を時には思い出すことです。

それにきつい事も言うでしょう。その事を自分の肥やしにしなければなりません。

母親からのメッセージ
ここで江原がこのことをこう伝えます。
「結婚に反対してごめんね。この事で千代子の人生を変えてしまいました」

この事に島倉はこう答えます。

「結婚式に家族は誰もきませんでした。後で聞いた話ですが、母は配膳係の一人となり披露宴会場に来ていたようです。本当に厳しかった。泣きながら叩きながら教わった教訓が今すべて役に立っています」

この事について江原がこうつづけます。

「一つの料理ばかり食べないように。バランスよく食べるように心がけること。常に自分自身も楽器という事を忘れず、一日も長く歌いつづけるための努力をすること。この事が感謝の表れになります。食生活も含めて自分でコントロールすることが大切です」

病気
2010年、肝臓癌であることが判明し入退院を繰り返し2013年前半には肝硬変に至っていた。

記念曲
2014年のデビュー60周年に向け、復帰への意欲は衰えず2013年11月5日、記念曲「からたちの小径」を録音する。

永眠
2013年11月8日朝に容体が急変。午後、東京共済病院の病室にて所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように息を引き取る。享年75歳

同年11月14日南青山の葬儀所で葬儀が営まれ会場には「からたちの小径」の録音後に涙声で次の言葉を語る。

「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、二度と見られない風景を見せて頂きながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最期に素晴らしい時間をありがとうございました」 合掌

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