いしだ壱成の過去と現在をオーラ診断 人生の転機 引っ越し

いしだ壱成のオーラ診断

引越しって聞くと普通は仕事の関係かな。とか想像しますが。そうでもないようなんです。子供ころは何も分からずに親に一緒についていくだけです。でも、そこにはとっても大きな経験が存在していました。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1974年12月7日
出身地 東京都
本 名 星川一星
身 長 177センチ
血液型 B型

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「ロックスターです」

〇 性格を一言で言うと何ですか?
「頑固者です」

〇 苦手なものを教えてください。
「極度の高所恐怖症です」

〇 最近うれしかった事は何ですか?
「街を歩いていて ”がんばってください”と声を掛けられたことです」

〇 お父さんはどんな存在ですか?
「父であり、友達であり、子供のような存在」

〇 人生の転機を教えてください。
「子供の頃、東京から屋久島に引っ越した時です」

〇 今の心境を教えてください。
「とても緊張しています」

人生の転機「引っ越し」
いしだが屋久島へ引っ越しした時の事をこう話し出します。

「私の母親は一か所に執着できないタイプの方でした。ですので、引っ越しの回数は私が知っているだけで51回も数えます。」

「この引っ越しの中で一番強烈に思い出に残っている場所はと言いますと。それは小学生の頃のことです。今度はどこに引っ越すのかなと思っていましたら。母親と一緒にフェリーに乗りました。はじめてでしたのでとっても楽しかったです。」

「到着すると、そこは屋久島です。ここに引っ越してきたのです。東京にいた時とまったく違う経験をすることになります。それは自給自足。始めの頃はかなり戸惑いもあり、毎日が失敗と経験でした。」

「この時の体験は私にとって本当に貴重な経験と言えます。人生の転機と思える出来事でした。」

父親の代わり
いしだがここで父親の事をこう話しだします。

「子供の頃のことです。私の周りの友達には父親の存在がありました。私にはおりません。この事がとってもうらやましく、また、とっても寂しい思いで毎日を過ごしていました。」

「この事を母親に聞くのは困らせる事だなと思いためらっていました。お父さんの代わりを務めていてくれたのは、母方の祖父の武さんでした。」

「そんな、ある日のことです。クイズ番組を見ていると母親がテレビを指さしてこう言います。」

『この人がお父さん』

「最初は冗談かと思い信じられませんでした。そして、翌日のことです。あの俳優の石田純一がお父さんなのか。と実感が湧いてきました。この時は、恨むとか憎むとかそんな感情は全くありません。」

「なぜなら、いつも一緒に暮らしている叔父さんをお父さんと思うようにしていましたから」

父親との再会
いしだがここで父親の石田純一との再会の事をこう語りだします。

「私がオーストラリアの留学から帰国した16歳の時のことです。ジャズピアニストだった伯母の石田桃子のコンサートに招待されました。」

「ここにいたのが実父の石田純一でした。出会った瞬間はお互いただ見つめ合い。そして実父が抱きしめてくれました。」

「この時はお父さんとも言わず、それ以外の言葉も交わしませんでした。只々、抱擁だけです。私は、お父さんとは分かってはいましたが、今まで一度もお父さんと呼んだ事がありません。それに、こう呼ぶ事が恥ずかしいとの思いが先行していましたから」

この事に美輪がこう言います。
「それは、小さい頃から別な人間と思っているからです」

俳優の道へ
ここでいしだが実父と再会後の事をこう話し出します。

「父親との再会後は私を食事やコンサートに頻繁に誘ってくれました。そんな、ある日のことです。父親のコンサートに偶然居合わせたフジテレビのプロデューサーの目に止まり声を掛けられました。」

「そして、ザ・テレビジョン10周年記念ドラマスペシャル「悲しいほどお天気」に出演することが決定しました。1994年には美輪さんに抜擢され舞台『毛皮のマリー』にも出演しました」

この事について美輪がこう話し出します。

「この人は化けると思いましたよ。その役柄に応じて近づいていく、この事ができます。だから、全く違う人間に変われる方なのです。」

「それに、頑固で言うことを聞かないマイペースな所がありますが、愚痴を一切言いません。だから自分の意思をきちんと持っています。良く言えば意思が強い、悪く言えば頑固で強情でしょうね」

芸能活動停止
2001年8月20日、いしだは大麻、LSDの所持により逮捕される。この事により芸能活動を停止。2年間の謹慎期間を経て2003年に俳優復帰。

女優との出会い
いしだが俳優復帰後の女優との出会いの事をこう言いだします。

「私は、2007年の映画製作で女優の川合千春と共演しました。この時の縁で交際がスタートしていきました。」

「ところが、彼女と一緒にいると。言う事がいつもネガティブなんです。それに孤独を好んでいましたし、あまり人を受け付けないタイプの方でしたので病気にでもならなければいいな。と思っていた2008年中旬の事です。」

「子宮頸がんに掛かっている事が分かりました。そして同年下旬に手術を受けました」

無期限の謹慎処分
2009年1月26日、川合とは別に一般女性との交際が発覚。その女性はいしだの子供を中絶し精神的に追い詰められ自殺未遂を3度も。いしだの所属事務所もこの事実を認め、無期限の謹慎処分を発表すると共にいしだを解雇する。

カウンセリング
いしだ壱成は20歳代の時、江原のカウンセリングを受けています。

この事について江原がこう話し出します。

「いしだ壱成さんにはできる限りのメッセージをお伝えしました。でも、本人は頭では理解していても腑に落ちないところもあったのかも知れません。いくらカウンセリングを受けても、受け入れてもらえなければ意味がありません。」

「2001年の大麻取締法違反で逮捕された時は個人カウンセリングの虚しさを実感しました。この事で私の人生も大きく変わりました」

自ら招く結果
「壱成さんの魂は純粋で綺麗で、霊媒のため役者としても優れています。でも、最大の欠点は優柔不断。周りに振り回されやすく、自分の野心と結びつきやすいのです。悪い仲間に振り回されるのは、自分も同じ気持ちを持っているからです。」

「この事件を起こしたのは、自ら招いた結果です。本来大事にすべき人たちを大事にしないでここまで来ています。」

「相談された時、環境を変えないと駄目だとカウンセリングの時に伝えていたのに。壱成さんがいつも不都合と思っている人達は、本当に心からあなたを愛している人達なのです。この時は年齢的にまだ若く、この方々の助言が煙たく現実の事に無頓着でした」

感謝と謙虚
つづけて美輪がこう言います。

「母親も父親も自由人でした、同じように自由に生きるには、まず社会で生きてみて、そして、最低限の社会のルールを守ることです。壱成さんはそれを全て台無しにしています。」

「才能だけでは生きて行けません。これからは社会のルールと常識を守り、才能を開花させていくこと。」

「そして、常に感謝と謙虚さを意識し社会のルールを守れば楽しく楽に生きられます。純粋であればあるほど逆の方向に行きやすくなります。そろそろ現実を見て歩かなければなりません。」

「今、ここで言われた事を十分に理解し自分の足場を見つめること。今が人生の岐路です」

価値基準のずれ
「若くて物事が具合よく進み世の中に出た人は、みんな間違いを起こします。自分の価値基準と世の中の価値基準がどうしてもずれてしまい自分中心になります。ところが苦労した人はのぼせ上がりません。」

守護霊からのメッセージ
ここで江原がこのことををこう伝えます。

「自分で決めてほしい。今が岐路にあり。役者として輝きつづけ、地に足の着いた人生を歩み心の温もりを理解する道がある。今決断しなければ、真反対の道もある。人生を切り換えたいのであれば、メッセージが二つある。」

「一つは、本当に愛している人は愛ゆえに側でものを言うことはしない。寄り添う人が本当に愛してくれる人。側で色々という人に本当の愛があるかどうかを見極めること。過去を見れば分かるはず。本当の愛を理解して受け取ること。」

「もう一つは、相手をしっかり見抜いて、そういう人に歩み寄り言葉を聞くこと。それを常に考えていれば、切り換えられる。快楽を捨てて苦しい道に進む。勉強や知識や教養を身に付けるのは苦しいが、それを身に付ければ本当の極楽が得られる」

授かりもの
「壱成さんに耳に痛い話をする人の方が、実は幸せをもたらしてくれます。役者としての才能は授かり物です。授かり物だからこそ感謝して活かすことです。それ以外は努力で補えることができます。」

結婚・離婚
2014年7月14日、11歳年下の一般女性と再婚。
2017年10月18日、2度目の離婚。
2018年4月18日、24歳下の女優、飯村貴子と再再婚する。
2018年9月28日、飯村貴子が自身のインスタグラムを更新し第1子となる女児を出産したことを報告。

病気
いしだ壱成は現在、うつ病の治療に専念しているため仕事をほとんど行っていない。病気は快方に向かっているようだ。

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