武田鉄矢の前世と現在をオーラ診断 妻からの支えの言葉

武田鉄矢のオーラ診断

あの大ヒットの後に起こった客離れ。これはどうしても止める事ができなかった。そして、落ちて落ちて、落ちるところまで落ちた。その時、妻の口から出た、あの”支えの言葉”
これに涙が。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1949年4月11日
出生地 福岡県福岡市博多区
本 名 武田鉄矢(たけだてつや)
身 長 165センチ
血液型 O型
学 歴 福岡教育大学中退
事務所 ネクストワン

スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「臆病、不安がるタイプです」

〇 小さい頃、どんな子供でしたか?
「のどかなぼんやりした少年で空を見たままの状態で動かなくなっていました。菜の花畑に一旦入ると、やはりここから動かなくなっていました。私はこんな少年でした」

〇 怖いものは何ですか?
「減っていくお客さんです」

〇 家族の優しさ、思いやりを感じた時はどうでしたか?
「仕事が順調でないとき、女房からかけられた言葉。一番苦労しているとき『周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやらどん底らしい』という言葉が胸に響いています。」

〇 人生の目標を教えてください。
「武田鉄矢になりきることです」

母に捧げるバラード
この事について武田がこう話はじめます。

「私たちが1972年に海援隊としてデビューいたしました。ところが、これがまた、まったく売れません。ここで本当に追い詰められてしまいました。」

「そんな時、私は母親の事をネタにしようと考えました。この時、頭に浮かんだのが美輪さんの歌『ヨイトマケの歌』です。」

「そして、”今も聞こえるヨイトマケの唄” ここのフレーズを ”今も聞こえるあのおふくろの声” にパクッてしまいました。そして、このタイトルを『母に捧げるバラード』として発表すると、なんと、100万枚以上の大ヒットの記録です」

母親は世俗的
そして武田がこの事についてこう話しだしていきます。

「この歌を母親が聞いた時はかなり怒っていましたが、この歌詞の通りの人でしたので、いつもその時の状況によって対応していく母親でした。」

「目の前の人が、適当な事を言うなら、その通りに表現してあげていて。もし、ここで本当の真実の話した時、この内容が面白くなくならないように話を運んでくれていました。」

「人って面白い話、好きですよね。それと、母親の口癖は、家は貧しくも、悲惨で暗くて切なくても、どこまでおどけて表現できるかが、これが人生なのよ。と、いつも言う方でした」

ここで美輪がこのような事を話し出します。

「ヨイトマケの歌は無言で愛情を示している内容になります。しかし母に捧げるバラードは、どんなに辛い時も笑い飛ばすという先人の知恵が盛り込まれています。」

「一言、一言に真理と哲学が感じられます。これが九州の女の上品なお洒落と強さでしょうね。それに、惨めな自分を笑い飛ばす高等技術も素敵です」

怖いもの「お客」
この事についてを武田がこう話していきます。

「歌が大ヒットの時は2000人以上のお客がコンサート会場に毎回来てくれました。ところが、歌が企画物と思われたのか。毎月毎月、お客が減り続けていき、最後のコンサートでは15人のお客になっていました。まったく悲惨な状態です。」

「このような状態ですので、とうとう収入が無くなり妻と2人で皿洗いのアルバイトのした事があります」

優しさと思いやり
この時、妻からこんな言葉が発せられます。
『ね~あんた。周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやらどん底らしい、もう上るだけ、もう落ちる心配しなくていいから』

「この言葉を聞いた瞬間でした。涙がとめどなく溢れでました。
この言葉のことを”支えの言葉”というのでしょうね。」

「そして、私が一人で実家に帰りましたら、そこに母親が待っていたかのように立っていました。話をするも何も聞かず、お酒を燗にし出してくれたのです。」

「そして、燗がついたころ父親を呼び、なんと ”おめでとうございます。乾杯” と言いだしたのです。これには正直、何のことだろうと驚きました。」

さらにこうつづきます。

疫病神
「そして、母親がこう言うのです。
『鉄矢。お前に厄病神が取り憑いてる。その顔を見ればすぐ分かる』

「だから、家族3人で乾杯を言って祝って大騒ぎすればいい、そうすれば、厄病神の取り憑きがすぐにいなくなる」

ここで美輪がこのような話をしだします。

「人間を最後に救うのは、芝居っ気でね。これは素晴らしい教えです。子供に対する親の教えは、こうあるべき。見方や視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望の道が広く見えはじめていくのです」

映画監督との出会い
そして、武田は家族団らんの思いを胸に東京へと帰っていきます。それから60日ぐらいたった頃です。武田の元に映画のオファーが届きます。

その映画は高倉健 主演の「幸福の黄色いハンカチ」今まで一度も芝居もした事がない武田に何故、映画オファーが届いたのか。それは映画監督の山田洋次でした。

その理由はこうです。

母に捧げるバラードを聞いた山田監督がこう思います。
「もしや、あの武田だったら台詞が作れるかもしれない。」

それは、台本の台詞を若者の生々しい言葉で膨らませてくれる、才能を必要としていたからなのです。武田ならできるかもしれない。そう思ったのが切っ掛けでした。

武田が初めて出会う映画監督、とっても紳士的で好感を持っていたのですが、いざ、ロケ現場に入ると人が変わったように豹変。これは正直言って、とっても怖かったですね。数多くの叱責を経て映画の撮影は終了しました。

亡父親
ここで江原がこのような事を言います。

「そばに父親が来ています。母親も来てはいるのですが、父を目立つようにさせようと、後ろから押し出しています。これは父親に対する愛情の表れになります。」

「生前中から息子・鉄矢の陰的な存在でいましたが、今回の番組出演を機会に前に出そうとしているのです。愛情たっぷりの母親です」

お墓
そして、ここで江原がこのような事を武田に尋ねます。
「お墓は2つあるんですか?」

この事にこう返します。
「福岡と熊本にあります。両方のお墓とも大事にしています」

この事に武田の後ろ憑いている両親がこう話し出します。
「この事に感謝すると同時に鉄矢と家系に誇りを持っています」

前世
大和朝廷に仕えたと伝えられている伝説上の人物の武内宿禰(たけのうちのすくね)。

300歳以上生きたと言われる謎の存在で、神の言葉を解読できた霊能力を持っていたと言われていました。俗にいう審神者(さにわ、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者・人に憑依した霊を見極め、その言葉を解読する霊能力者)。

さらに江原がこのような話をしだします。

「この方が武田さんの事を人間として本物かどうかを常に観察しています。武田さんが苦労している時、この時は特に目を光らせていました。」

「だから、武田さんは本物を常に見定めようとする視点が強く備わっているのです。そして、今世のテーマは人生をはっきり分かるように明白にする事になります。」

「3年B組金八先生がその一つの例になります」

守護霊
日本の武将で義(公共のために尽くす気持)のために生きるのが大好きな人物です。
後にこのお方は出家して僧侶になっています。

そしてこの守護霊がこのようなメッセージを話し出します。
「政治の世界からより多くの誘いを受けるも、この道に進まなかったのは立派。息長くやっていくには、これが正解です」

つづけて美輪がこのような話をしだします。

「新しいことばかりを追い求めるのは止めなさい。一つのことを極めて、練り上げる仕事もあります。今も新しい作戦を考えているようですが、そればかりでは自分が消耗してしまいます。無から有を生み出そうとする強迫観念を持っていますが、それでは自分を追い込んでしまいます」

これに武田がこう言います。
「骨が軋むほど無理をしていますが、無理を強いるもう一人の自分が自分の中に存在しているのです」

この事について江原がこう返します。
「暗中模索が広すぎます。走り続けるだけの人生は、どうしても息切れを起こしてしまいます」

メッセージ
最後に守護霊がこのようなメッセージが送られます。
「今後、国のための貢献を求められます。教育に関わっていくでしょう」

これに武田がこう答えます。
「もう自分のことを考えるのがつまらない。人のために何かをしてあげたい。誰かのために何かをしていかないと、自分が支えられなくなっています」

海援隊
1994年「海援隊」は再結成され本格的に活動を再開し現在に至っている。

2011年3月11日の東日本大震災以降、被災地で度々ボランティアコンサートをおこなう。
ベストアルバム
2018年3月21日「エッセンシャル・ベスト 1200 海援隊」発表。

ドラマ
2017年10月8日、「水戸黄門」水戸光圀 役。
2019年1月13日、「グッドワイフ」第1話、日下部直哉 役。
2019年1月10日、「刑事ゼロ」生田目守雄 役。

映画
2017年12月16日、「花筐」一条医師 役

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