アグネスチャンのオーラ診断
いつもと変わらぬ感情のまま私は24時間テレビ番組のオファーを引き受けました。難民キャンプとはどういうところなのか。まったくの知識もなく訪れたエチオピア。ここで遭遇したもの。そして、あの現地スタッフのあの言葉に。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1955年8月20日
出生地 香港
中国名 陳美齡(チャン・メイリン)
日本名 金子陳美齢(かねこ チャンメイリン)
血液型 AB型
学 歴 スタンフォード大学大学院教育学博士課程を修了
スピリチュアルチェック
〇 性格を一言で言うと何ですか?
「真面目です」
〇 不思議な体験を教えてください。
「学生の頃のことですが、化学のテストの前日は必ず金縛りにあっていました」
〇 尊敬する人は誰ですか?
「マザー・テレサです」
〇 人生の転機を教えてください。
「1985年にエチオピアの難民キャンプに行った時です」
〇 幸運を感じたことを教えてください。
「早期に乳がんを自分で発見した時です」
日本への憧れ
アグネスが日本での歌手デビューについてこう話し出します。
「私が13歳の1968年の頃です。香港はまだ貧しく難民や病気の子らがたくさんいました。そして私がこの子らに接した時のことです。」
「驚くことに全く食料がありません。これには本当にびっくりしました。そこで、何かしなければとそう思い。この食料を集めるため友らと”ラブ寝具グループ”を組織します。」
「歌を歌いながらボランティア活動をおこなっていました。この活動の噂が噂を呼び、日本の芸能関係者の方の耳にも届きます。そして1969年、14歳の時にスカウトされました。」
「その翌年の事です。大阪の万博博覧会が開催された様子が連日のようにテレビで報道されていました。これを見た時です。私が今、暮らしている香港とはまったくちがうことに驚きました。そして、隣国の日本に行ってみたい。そのような希望が日に日に膨らみつづけていきます。」
「ついに私は今の思いを両親に伝え説得していました。そして、アイドルとして来日したのは17歳の頃です。」
さらにこうつづけます。
経済の違いにギャップ
「来日して最初に驚いたのが、その当時の日本と香港との経済の違い。」
「その違いはこうです。香港は貧困でしたので歌を歌うにも笑顔はできず真剣な顔でいつも歌っていました。しかし、日本はその逆で笑顔が必要だったのです。私はスタッフの方から何度も注意を受けいつもこう言われていました。」
『笑顔を作りなさい。作りなさい。』
「正直このギャップには戸惑いを覚えていました。」
「私は1972年、『ひなげしの花』で歌手デビュー。高く澄みきった歌声で日本語で歌う姿と愛くるしいルックスが受けたちまち人気アイドルです。」
「その後『草原の輝き』、『小さな恋の物語』のヒットが続いていきます。上智大学へも行けず、休みもとれない。そんな多忙の毎日が続いている時でした。」
トロント大学へ
「香港の父親がこれでは娘が駄目になっていっていまうと感じて、私にこう言い説得してきたのです。
『美麗。あなたは忙し過ぎです。それに周りがすべてやってくれます。このまま続けば、自分の価値が分からない駄目人間になってしまいます。お金や名声は流れるもの。そして最後には奪われるのです。』
『しかし、一度、頭に入った知識は奪われることは絶対にありません。だから大学で勉強に励みなさい』
この父の言葉に私は本当に納得します。そして1976年、芸能活動を休みトロント大学に編入しました。
父親の他界
アグネスがカナダに渡航してから半年が過ぎた頃です。大好きだった父親が他界します。この父の事をこう言います。
「父の頑張りもあり香港の高級住宅街の中で家族は暮らしていました。中国から追われてきた親戚をよく面倒をみていたのですが、私たち家族はいつも後回し。この事に母はいつも立腹し父に言っていましたが、いつも父は黙って聞いていました。」
「父はとっても優しく、すごく愛しい方でした。日本で働きだしてから父と話をする時間も一緒に過ごす時間もありませんでした。今、思えばたくさん話をしておけばよかった」
そして、ここで江原が父親のメッセージをこう伝えます。
「あなたは父に性格が一番似ています。心はいつも通い合っていますので、何を考えているのかが全部というほど分かっていました。私の最期を看取れなかった。この事は、二度と後悔はしないようにしなさい」
悔いはない
ここでアグネスがこう言います。
「母親から、あなたがカナダに行かなければ父は亡くならなかったと言われました。母がカナダに来ている時に父は胆石の手術をしていましたが、これが失敗。そして、亡くなりました」
これに江原がこう言います。
「全然関係がありません。父親は家族のそれぞれの生活の目鼻立ちができたから、悔いはないと言っています」
人生の転機「難民キャンプ」
「私は1978年、トロント大学を卒業いたしました。同じ年の8月に日本に戻り歌「アゲイン」で芸能活動を再開します。そして、復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては、初めてとなる日本武道館でのコンサートをおこないました。」
「1985年には芸能活動に加えボランティア活動も再開しました。そんな時です。24時間テレビ『愛は地球を救う』の総合司会を務めレポーターとして旱魃(かんばつ)による食料不足状態にあったエチオピアの難民キャンプを訪れることになります。」
「その時でした。私の目の前で、子供たちが次々に倒れていったのです。この光景は驚きを越え、もの凄く悲しい現実がありました。」
「今ここで、私ができる事。そう思い歌を歌ってあげたのです。そうしたら、今にも息絶えていくような子供たちが、立ち上がり踊り出したではありませんか。この時は驚きと嬉しさとこの子らの可愛らしさは言葉では言い表せませんでした。」
「このキャンプ地に到着する前、子供たちに触ると病気が移ると言われていましたが、子供たちに抱きつき頬擦りをしていました。」
「この瞬間です。人生が変わったのが。もう幸せ一杯でした」
子供の死
「そんなある日の事です。担当していた子供が亡くなったのです。これにはショックで食事も喉を通っていきません。本当に辛い出来事でした。」
「そんな時、難民キャンプのスタッフの女性がこう声を掛けてきたのです。」
『あなたが今ここでご飯を食べないと、今度は貴女が私たちの面倒になるのよ』
「そこで、この状況の理屈をこうスタッフに話しましたら、こう返ってきたのです。」
『理屈は誰にでも言える、少しでも子供たちに申し訳ないという気持ちがあったら、与えられた役目をしっかり果たしなさい!』
この事に美輪がこう言います。
「情緒的に泣くことは必要ありません。どうやって助けるかが第一の目的なのです。具体的に行動する事です。この事はマザーテレサも言っています」
つづけて江原がこう言いだします。
「父親の心はアグネスさんから片時も離れていません。今のこの活動は父親の願いでもあり延長線でもあるのです。アグネスの事を誇りに思っています。」
「それに、自分自身の理想が叶わないことに、自分を責めてはいけません。」
※ アグネスは、2006年に唾液腺腫瘍を摘出し今年は乳がんの手術もしているのです。この病気の理由は『自分を責める』世の中の痛みを自分の痛みとしてとらえる気持ちが余りにも強過ぎる。ここにありました。
前世
カトリックのシスターで子供のお世話をしていました。
アグネスが不思議な体験で化学の勉強をすると金縛りになってしまうと言っていました。
これは前世で自然医療を施した時に薬草などを使い、治療した子供らが具合が悪くなってしまった事があるからです。この時の前世の思いから、間違ったらどうしよう。という気持ちが強く残っているからになります。
結果より動機
それにもう一つの原因となっているのが、アグネスさんのお姉さんの存在。
ずば抜けた能力を身に付けている事へのコンプレックスからきています。この元々の動機となっているのは愛情からきていますので、まずは結果よりも動機を大切にすること。結果をだしてあげたい。この気持ちがあるようですが、それではいけません。
ここで美輪がこうつづけます。
「真面目なのは結構なことです。でも、何でも四角四面に思い込む必要はありません。泣きながら助けられるのは、とっても迷惑こと。笑顔で助けられたら、助けられた方はありがたい気持ちが強いのです」
尊敬する人「マザーテレサ」
アグネスが尊敬するこの人のことについてこう話し出します。
「1981年4月26日、マザーテレサが来日した際の講演会にも足を運びました。
この時、マーザーはこう言います。
『まず自分の屋根の下から始めましょう、お父さんお母さんの悩みを聞いていますか、愛してると言っていますか、兄弟と仲が良いですか、それができたなら学校や社会へ広がっていくのです』
ここ言葉にアグネスは胸を締め付けられたと言います。
日本は貧しい国
このことに江原がつづけてこう言います。
「世界平和を言う人に限って家の中は地獄だったりします。平和というのは同じ地続きにあるのです。マザーテレサは日本は貧しい国と言っていました。」
「この貧しいとは食べ物の事ではなく心の貧しさの事を言っているのです。食べ物の無い人にはパンを与えればいいのですが、この心の貧しさはもっと深刻です」
分かち愛
つづけて美輪がこう言います。
「個人では多勢に無勢のため、企業が手を組まないといけません。食べ物が無い国に食べ物を持っていくと、その人は自分の食べ物が十分ではないのに、他の人に分けようとして持っていきます。ここには分かち合う愛が存在します。日本は物質と引き換えに心と人間らしさを失いました」
ここでアグネスがこう言います。
「マザーテレサの最大のポイントは実践です。純粋な思いが実践につながっていきます。それとマザーテレサの本名を知ったとき驚きました。”アグネス・ゴンジャ・ボワジュ”と言いアグネスなんです。これには、何かの縁を感じましたね」
任命
2016年3月7日、ユニセフ協会大使を退任し同日にユニセフよりアジア親善大使を任命される。
書籍
2018年2月、著書「子育てで絶対やってはいけない35のこと」を発売。
受賞
2018年4月、「我が国の国際的地位及び児童福祉の向上に寄与」が認められ春の叙勲で旭日小綬章を受賞する。
現在も子供らのため日々頑張っております。
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