宮本亜門のオーラ診断
ニューヨークで起きた同時多発テロ事件。ここから逃げタイのバンコックに降り立っていました。ほっと胸をなで下ろしタクシーに乗ることは乗ったのですが、次なる惨事が私を。
どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1958年1月4日
出生地 東京都中央区銀座
本 名 宮本亮次(みやもとりょうじ)
身 長 177センチ
血液型 O型
学 歴 玉川大学中退
職 業 演出家
スピリチュアルチェック
〇小さい頃なりたかった職業何ですか?
「裏千家の家元です」
〇一番リラックスできる場所はどこですか?
「沖縄の家です」
〇苦手なものは何ですか?
「人に首を触られることです」
〇人生の転機は何ですか?
「21歳の時、出演する舞台初日の朝に母親が亡くなり、演出家になろう、という決意が固まった時です」
〇美しい、という言葉から連想するもの何ですか?
「自然、仏像です」
〇不思議な体験はありますか?
「2001年に交通事故にあい、医者には何で生きているの?と言われる状態だったこと」
不思議な体験
この事について宮本がこう話し出します。
「2001年9月11日、ニューヨークで同時多発テロ事件が起きました。私はこの日、ニューヨークに滞在していたのです。その後、このテロがどう多発していくのか怖くなり、バンコックへと飛び立ちます。」
「スワンナプーム空港に到着。その後、タクシーで中心街に移動中の時のことです。思わぬ事故に遭ってしまい、タクシーのフロントガラスを頭から突き破り100メートルほど投げ飛ばされたのです。」
「頭と顔にはガラスの破片がたくさん突き刺さっていました。この状態のまま病院へ救急搬送されました」
もの凄い生命力
「ベッドから起き上がった時は舞台の演出のことばかりを考えていました。この時です。私は舞台の演出がとっても好きなんだな~とつくづく思いました。」
「そして、『まずは自分が生きなきゃ』という考え方に転換をしたのです」
この事を聞いた江原がこう言います。
「立ち向かいなさい。魂の経験が多く逃げたいとの念があるのですが、いつも見せさせられているのです」
この事に美輪もこうつづけます。
「もの凄い生命力です。顔に傷がまったく残っていません」
人生の転機
そして、江原がこう言います
「母親があなたの側に立っていますよ。いつも一緒です。いつしか、新幹線の中で美輪さんに会わせたのも母親です」
この事に対して宮本はこう話します。
「演出家になった20歳代の頃は、亡き母親が側にいるな。とこんな思いがありました。30歳代になり、すごく悩む時期が続きました。この時は母親が自分の側からいなくなったような気がしていました」
母親の死
そして、宮本がこうつづけます。
「私の実家は喫茶店を経営していました。毎日の舞台稽古が終わると、母親にこのことを報告しに行っていましたが、その日はちょうど最終稽古の日でした。」
「そして、この報告に行くと母親は浴室で倒れていたのです。母親は肝硬変で入退院を繰り返す日々を送っていて、いつも『死ぬときは潔く死にたい』が口癖でしたので、その通りになりました」
さらにこう続けます。
マイナス思考の病気
私は舞台初日の時のことです。客席の真ん中の位置に両親の席を設け、その席に薔薇の花束を置きました。そして、この席に向かい、思いっきり歌い踊り続けました。この時のことです。「これから一人で生きて行きなさい」と言われたような気がしました」
これを聞いた美輪がこう話し出します。
「考えなくてもいいことを考え過ぎているからです。生まれたときからマイナス思考の病気を持っていましたから。追い込まなくていいのに、自分を追い込んでいるのです」
さらにこう言います。
「お母さんは本当に大変だった。あなたが甘ったれだったから、どうしたら普通に育ってくれるか、いつも悩みの種だったのです」
気の使い過ぎの疲れ
この事を聞いた宮本はこのような話をしだします。
「高校の2年間は登校拒否し部屋に閉じこもっていました。全く人に会いたくありませんでした。この時、母親に向かいこい言っていました『なんで僕を産んだの!』と言うほど内側思考が大きかったのです」
「現在は、この時の事を反省をしています。生きているのは別に良かったのですが、自分に全く自信がありませんでした」
これを聞いた江原がこう言います。
「日常生活などにすべてパーフェクトに望んでいます。まったく妥協がありません。これが余りにも極端すぎます。不登校の原因は話題が合わず気の使い過ぎからの疲れからです」
不登校からの立ち直り
さらに宮本がこう話をつづけます。
「この不登校からの立ち直りは両親の酒好きが原因でした。とにかく酒を飲み騒いでいたのです。そして、母親からこう言われました。『もう、学校なんかに行かなくてもいい。その代わり病院へ行け~』」
「それで精神科の病院へ行きました。ところがこれがもの凄く楽しく大人とのコミュニケーションが面白いのです。数週間後、この勢いで学校へ登校しました。これがまた楽しいのなんのって、この連続でした」
さらにこう続けます。
自分への気付き
「そして、演劇と出会いました。生き甲斐を見付け自分の出し方がここで分かりました。ここから演出が楽しくなっていったのです」
宮本がここまで来るのに母親は、自分で出来ることは全てやりました。
そして、最後に病院へ行かせたのです。
ここで江原がこう言います。
「この時初めて宮本さんは産声をあげたのです」
前世
武家に使え、茶道を取り仕切ったお坊さんです。
常に大名の隣の座敷に控えていました。そのため、諸大名らの情報は全部知っていましたので、大名と大名との間の橋渡し役的な存在でした。
しかし、人間関係の摩擦や政治的なしがらみがあり政治的な人との関りが好きじゃありませんでした。
さらにつづきます。
引きこもりが演出家を目覚めさす
今世の母親は前世と同じで不憫な思いをさせ、処刑されて命を落としています。宮本さんがいつも首の圧迫を嫌がっているのは、これが原因となっているからです。
その前の前世は長い期間、座敷牢に閉じ込められていました。そのため今世の自宅部屋のひきこもりは自身にとっては安心できる空間でもあり、煩わしい思いをするよりは、この方が良かったという開き直りでもあったのです。
この時の時間は音楽を聴き、これを視覚化したいと思ったのが演出家のはじまりになります。宮本にとっては本当に大切な時間でありました。
茶坊主
別な前世では、お寺の中で仏像に囲まれ庭園もあり、わびさびの世界が大好きでもありました。茶坊主の立場から口数も少なく、意外と大変なことも多くありました。
宮本が今世、自然と仏像が好きで、仕事柄、相談、聞き役でもあるのはここにあります。
オーラの色
紫(情愛が深い)と金(英知)色々な経験や辛い思いをしないとこの色はでません。
守護霊
イタリアの彫刻家で建造物のレリーフなどの彫刻をしていました。
宮本本人はイタリアが好きで、建造物に興味があると言います。後期ルネサンスを代表する彫刻家の中でアンドレア・パラディオ(1508〜1580)が大好きで、彼の作品の前に来ると、何故か精神的に楽になるらしい。
ここで江原がこんな事を言います。
「この方と宮本さんの顔がどことなく顔の雰囲気が似ております」
この方はオリンピコ劇場を作っていて、丁寧さと細かさについては、ため息が出る程だったと言われています。宮本もこの方と同じように完璧主義で舞台のセットも同様におこないます。
メッセージ1
ここで、宮本の母親がこんなメッセージをくれます。
「 仕事を選び過ぎています。昔はひょんなことから見付けた仕事が面白く、ガラクタの中からよく宝を見つけていました。やりたくないようなつまらないものであっても後々、自分のためになっていました。」
「この3週間、ブロードウェイで仕事をし色々な人から褒められていました。それが嬉しかったのですが、夢をあまりにも追いかけたこともあり、どうするんだろう。という虚無感が同時に生まれたのです。仕事を選んだつもりはないけれど、結果的に仕事を選んでいます」
メッセージ2
「亜門は仕事に熱中するため、力配分を考え仕事を選んでしまう部分があります。今生では長生きをして、やりたいことをやりたいだけしなくてはいけません。体力は十分あるので、いっぱいやっていきなさい」
ここで美輪がこう付け加えます。
「薔薇や蘭だけが花ではありません。どんな花にもそれぞれの良いところが沢山あります」
嬉しいも嫌
宮本がこの事についてこう話し出します。
「すぐに自己否定してしまいます。それだけのものがあるのに、どうして腰が引けてしまうのか、自分に自信を持ちなさいと昔から母親によく言われていました。」
「それに母親が、自分は何もやっていないのに色々な人に、この子は大物になると言っていたのです。嬉しかったのですが、反面それが嫌でもありました」
メッセージ3
ここで江原がここでこんな事を言います。
「母親は、最初から才能を見込んでいたのです。親の欲目で言っていた訳ではありません。見る目がしっかりありました。」
「今、宮本さんの後ろで『私を誰だと思っているの、見くびらないでちょうだい』と言っています。マネージャー的な存在、節目節目では誰かの口を通じて、母親の意思が伝わっています。母親はメッセージを伝える思いがもの凄く強い人です」
舞台
2018年1月、新橋演舞場にて、初春歌舞伎公演Bプロ、「通し狂言”日本むかし話”」を演出。
同年3月、フランス国立ラン歌劇場にてオペラ「金閣寺」を演出。
同年9月、フランスにて、能と3D映像を融合させた「幽玄 YUGEN: The Hidden Beauty of Japan」を演出。
癌
2019年2月、健康番組で受けた人間ドックの結果。前立腺がんであることが分かる。
同年4月12日に会見を行い、5月22日に前立腺の摘出手術を受け6月1日無事退院。
次は「千代大海のオーラ診断」