逸見政孝の生前と最期をオーラ診断 不思議な体験 嫌い

逸見政孝のオーラ診断

どうしても、あれだけはダメなの。目隠ししてもやっぱりダメなのよ。何とかごまかしながらお父さんにお願いしちゃった。この事があればこそ、あの大事故から逃れることができました。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1945年2月16日
没 年 1993年12月25日(享年48歳)
出身地 大阪府大阪市阿倍野区
本 名 逸見政孝(いつみまさたか)
血液型 B型
学 歴 早稲田大学卒

アナウンサー
大阪府立阿倍野高校を卒業後、一浪し早稲田大学第一文学部演劇学科に入学、アナウンス研究会に所属する。このアナウンス部に入部したのは高校時代も同じ部に所属していたのと、将来的に高収入が望めるとの理由からでした。

病歴
1970年、25歳の時に糖尿病を患う。
1981年、胆石が見つかり入院。
1988年、過労で倒れ入院。
1989年、腰痛で入院。
1993年1月18日、胃にがん細胞が見つかる。
同年同月25日、入院。
同年2月4日、1度目の手術。
同年8月12日、2度目の手術。
1994年9月16日、東京女子医科大学にて3度目の大手術をおこなう。

驚きの行動
1994年9月7日、東京女子医科大学に手術のため入院するも、病室では全くと言えるほど会話という会話がありませんでした。そのため、何を考えているのかも分かず時を過ごすのです。

同年12月24日、逸見は意識がはっきりしない状態にあるのにも係わらず、いきなりベッドから起き上がり、今まで、司会をしていた番組のオープニングをやりだし番組制作の方々の名前を呼びあげたのです。

これには、付き添っていた息子の太郎も驚いたと言います。

ここで江原がこう言います。
「逸見さんと同様にコミュニケーションを望まない人もたくさんおります。語って理解し合いたい人や言わずして想いを通じ合わせたい人もおります」

奥様へのメッセージ
ここで江原が10年前の番組の事をこう言います

「逸見政孝さんの妻が番組に出演なさった際、メッセージをお伝えした事があります。それは息子の太郎さんの事で心配しているとおっしゃっておりました。」

「それは息子と言い争いした時です。あまりにもの立腹さにこう言ってしまいます。」

『だったら、家から出ていきなさいよ!』

「そして妻にはこう言いました。」

『母親は母親でいてほしい、男になる必要はありません。もう少し息子の太郎に時間を与え受け入れてあげてください』

豪邸
ここで長女の愛がこんな事を言います。

「借金12億円を抱えた豪邸が残ってしまいましたので母親に何度もこう言いました。」

『この家、売ったほうがいいんじゃないの。』

その度に母がこう言います。

『勝手な事を言うならここから出ていきなさい!この家は建築から二人で内装から家具・食器まで時間を掛けて決めた思いれがある家だったからです。』

「でも、そんな母親が一度、売る決心がした事がありました。」

「購入したい方がこの家を見に来た時のことです。母はこの人たちの考え方に、思い入れを感じる事ができずに、こう思ったそうです。」

『こんな人たちに売ってたまるものか』

「そして、すぐさま、不動産屋にキャンセルの電話を入れます」

この事に美輪がこう言います。
「戦前の日本の家庭がそのまま残っている感じがします。逸見さんも古風な方でしたからね。家は西洋的な様式で建てられていますがお城のイメージが感じられます」

前世
侍です。
妻は前世で守り刀を差していますので守りには強い家庭です。

父親の導き
ここで江原が逸見さんの二人の子供の活躍の事をこう話し出します。

「俳優やタレントとして活躍している太郎さんと同じく活躍している愛さん。この活躍は父親の導きです。父親は固いところもありましたが、いつもユーモアたっぷりの方でしたので、お二方もこのユーモアの部分を仕事に家庭に活かせば、もっと活躍の場が広がるはずです」

すると愛がこんな事を言います。

「初めてアメリカで松井秀樹選手のレポーターになった日が2月16日、この日は父親の誕生日だったのです。今後も何かあると思って安心感がありました。きっと、これは父のお膳立てだと思います」

自立する二人
江原がここでこんな事をこう話し出します。
「今、お父さんが涙を流しながら二人の真ん中おりますよ。そして、こう言っていますよ。」

『自分が亡くなって今日まで、色々なものを家族が見てきました。人の裏表をこの家族の皆が見てきたんです。でもある時、発想を切り替へこれが自分が残した財産だと思うようにしました。嬉しいです。酸いも甘いも知ることが自分が残せた財産だからです。』

『今まさに二人は自立できるようになれました。これから先は、お父さんの恩恵ではない。太郎。父親役を頼むぞ』

「太郎さんだったら、父親に言われたことは絶対に守る方です」

逸見愛の結婚願望
つづけて愛がこう言います。
「結婚したいのですが?」

この事に江原がこう言います。
「お父さんが『もうじきだよ』と言っています。愛さんは肝心なところは父親代わりになっている太郎さんに相談しています。でも、太郎さんは気分にムラがあり疲れている時はいい加減な事を言ってしまいます。」

「愛さんは相談する時は事前に予告することを心がけてください。そうすれば太郎さんは真剣に聞いてくれます」

すると、この事に美輪がこう言います。

「愛さんの結婚は自分の問題です。なぜ、お兄さんやお母さんに頼るのですか。自分に対しての結婚したいと思う心が足りていません。それは愛さんがお兄さんを大好きだから。もう子供ではないのです。愛さんがお嫁に行く時は太郎さんは涙を流しますよ」

不思議な体験 嫌い
この事について太郎がこう話し出します。

「私が13歳の中学1年生の1985年8月12日のことです。家族4人で大阪に帰省する際、日本航空123便に搭乗する予定でおりました。
その直前のことです。母親の飛行機嫌いもあって直前、父にこう言うのです。

「家族4人だったら新幹線のほうが安いよ」

「だったら。そうするか」
ということもあり新幹線に変更することにしたのです。

そして、午後6時56分28秒。羽田空港を飛び立ったJAL123便は後部圧力隔壁が飛行中に破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムも全喪失し御巣鷹山山中に墜落。
死者520名 負傷者4名の世界史上最悪の死者数を出す航空事故となった。

もし、母親・晴恵さんの飛行機嫌いがなければ。今頃、家族4人とも天国でした。

この123便には、歌手の坂本九も搭乗していました。詳しくは妻・柏木由紀子のオーラ診断をご覧くださいませ。

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目の前を通り過ぎる霊には驚きです。

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