柴田光太郎の不思議な体験 父の死相を見る

柴田光太郎の不思議な霊の体験

父のことをこう語りだします。
「自分の父親は『昭和のクールガイ』と言われた大スターの田宮二郎です。」

「1978年12月24日、この日は父と最後の買い物と食事を家族で楽しんだ日になります。父との別れの時です。何気なしに『さようなら!』と言ってしまったのです。その瞬間、体がざわめきました。」

「何故なら父は躁うつ病と戦っていたからです。この病と闘っている方に対しては禁句とされている言葉で、絶対言ってはいけませんでした。その後、どうしたらいいのか困ってしまい、ふっと足元を見ると足がありません。」

「とっくに日が暮れていましたので、辺りが暗くて足が見えないのかなと思い、しっかり見ようとしたのですが、やはり足はどうしても確認することができませんでした。」

予知

「同年12月28日午前中、田宮二郎、自ら猟銃を使い命を絶つ。同日、昼頃、柴田はやかんでお茶を注いでいると突然、やかんの蓋が外れて熱湯のお茶が右手にかかるのですが、全く熱さを感じませんでした。」

「この時とっさに『父親に何かあったな』と思いました。そして、翌朝、父親の訃報の知らせが届きます」

この事に江原がこう言います。
「これは予知です。24日の別れ際の足が見えない。この時点で田宮二郎さんは死の覚悟を決めていたはずです」

霊魂

すると、美輪がこう言い出します。
「田宮二郎がここに来ています。男の霊が来た場合は右側に、女の霊が来た場合は左側にきます」

すると柴田光太郎がこんな事を言い出します。
「昼頃から右肩が重くて上がりませんでした」

詫びたい

田宮の霊魂を感じた美輪がこのような事を言います。

「田宮さんとは親交も深く、本当に努力の方でした。あの勝新太郎さんも『田宮は、あんなに上手い役者だと思わなかった』と褒めていたこともありました。ひたむきな方でしたので、色々な原因が重なりそれが結局、自分の首を絞めることに繋がってしまいました」

この事に付け加えるように江原がこう言います。

「田宮さんがひとつだけ詫びていることがあります。二人の息子が自分に甘えたいと思っていても、話をしたいと分かっていても、その声に耳を傾けなかったこと。近寄ることさえ許しませんでした。これは本当に子供たちに可哀そうな事をしてしまった」

葛藤

つづけて美輪がこんなことを言います。
「田宮さんは色々な原因を自分の中に抱え込み、その中で、もの凄い葛藤をしていました」

さらに江原がこう付け加えます。

「田宮さんも一人の人間です。良くも思ったり、悪くも思ったりすることもありますが、父親なんだから、という人格を勝手に作りあげるのではなく、一人の人間として見てあげることが大事です。」

「親だから立派であるべきだ!ではなく脆い部分を持っている。これが当たり前なのです。この事をお互いが知っていれば、親子関係は本当に理解しあうことができます」

ろくろ首の女性

ここで柴田光太郎があり得ないような、こんな話をしだします。

「2001年頃、福祉関係の仕事をしている結婚相手の女性と渋谷でデートしていた時です。昔から知っている霊感の強い女性と道でばったり会いました。」

「その場で一緒にいた結婚相手の女性を紹介すると、驚くことに、その知人の女性の目がカッと開き、ろくろ首のように近づき紹介した女性の頭を一周して元に戻ったのです。その場で啞然として怖くなり、その場ですぐさま、知人の女性と別れました。」

「そして、結婚相手の女性もこう言います。」

『あの人の首が伸びてきて私の事をずっと見ていた』

「同じことを言っていましたので、自分の幻覚ではありません」

この事を聞いた江原がこう言います。

「その方は、よほど悪い念を持っている方になります。結婚相手の女性の品定めをしたのでしょうね。この女性はいつも、この人間はどんな風に使えるかな、との思いを常に持っている人になります」

柴田光太郎のプロフィール
生年月日 1966年1月13日
出身地 東京都
本 名 柴田英光(しばたひでみつ)
身 長 184センチ
血液型 B型
学 歴 学習院大学卒
事務所 ブレイブ

芸能界と教師
1995年10月、「おはようナイスディ」のレポーターとして芸能界デビューする。1998年から俳優デビューを果たしテレビや舞台で活躍するも、2007年から港区西麻布の広尾学園高校で教鞭に立つ。(非常勤講師)担当科目:英語

現在、柴田は教職を第一とし教職業務に支障のない範囲に限定しながら、芸能活動を続行している。

柴田が芸能界の活動をするにあたってこう言います。

「どのような思いでレポーターになったのか。それは父親の死に関係しています。死去した当初マスコミが冷たい記事を書き続けました。『父を失った家族のことを考えずにこの人たちは何を考えているんだろう?』という思いからレポーターになる事を決意しました」

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次は「つるの剛士の不思議な霊の体験」子供の頃の念力に驚いてしまいました。

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