八代亜紀の不思議な霊の体験 父親の夢

八代亜紀の不思議な霊の体験

大好きだった父が突然、旅立ってしまった。出てくるのは思い出とほほを伝う涙です。時が過ぎ、そんなある日のことでした。父が夢の中に出てきたのです。それも、このような形で。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

父親の死

八代がこのことをこう語り出します。

「昭和62年(1987年)前の日まで元気だった父が突然、次の朝に亡くなりました。あまりにも突然しすぎて涙が止まりませんでした。それから、49日ぐらい経ったでしょうか。父の不思議な夢を見ました。それはこうです。」

父親の夢

「夢の中に父が現れます。とっても凛々しいお姿でした。しばらくの間、私の顔をじっと見つめていました。そして、父が私に向かいこう言います。」

『馬車を用意したから、この馬車で行きなさい。』

「そして、私はその馬車に乗り、下に続く階段を降りていきました。」

「父の方を振り向くと、上のほうで見送っていたのですが、なんと、父の顔が二つに分かれていて、一つ顔はモノクロで、もう一つの顔は金色でした。そして、二つの顔とも笑顔でとても美しかったです」

この事について江原がこう言います。
「この夢は悪い夢ではありません。自らの死を悟ったことを表しています。極楽浄土に辿り着いたのです」

すると、ここで八代がこんな事を言います。
「母親は一度も父が夢に現れないと言っています」

このことに江原がこう答えます。
「父親に対しての思い入れが強い人の方には夢として現れません。何故なら、故人を追いかけるといけないからです」

すごく大事なこと

この事を聞いた八代がこんなことを話し出します。
「父親が亡くなった後、母も倒れてしまい瞳孔が開いたのです。だから私は父に向かいこう言いました。」

『お願いお父さん。お母さんを連れて行かないで!』

「その時です。不思議ですが、母の意識が戻りました」

これを聞いた美輪がこう返します。

「私も、亡くなった人の思いが押し寄せてきて、私も失神した事があります。亡くなった人は、思いや愛をその人に対して気持ちをぶつける事があります。」

「今回のお母さんの例もそうです。八代さんが掛けた言葉『”お母さんを連れていかないで!”これはすごく大事なことなのです」

不思議な閃き

ここで八代が幼い頃のことをこう話し出します。

「私は、幼い時からそうでした。ふっと瞬間的に閃いたことが実現するのです。初めて運転免許を取った10代の時のことです。車を運転中にスピードを出した瞬間でした。ふっとパトカーの赤色灯が浮かんだのです。」

「次のカーブを曲がるとパトカーが取り締まりをしていました。また、歩いている時にふっとお金が落ちていると感じたことがありました。実際、お金が落ちていました。それも連続で拾いました。」

「さらに、小学校に入学する前のことですが、絵を描くのが好きでいつも描いていました。その時の絵を見て驚きました。」

「未来の八代亜紀を描いていたのです。ロングドレスにマイクを持って。しかもマイクはワイヤレスマイクでした。この当時はスタンドマイクしかありませんでした。」

この現象の事について江原がこう言います。
「この事を離魂病と言います。離魂とは、魂が肉体を離れてさまよい意識が色々なところへ行ってしまい、一歩先のことを予知する事をいいます」

プロフィール
生年月日 1950年8月29日
出身地 熊本県八代市
本 名 橋本明代(はしもとあきよ)
身 長 162センチ
学 歴 八代市立第六中学校
事務所 ミリオン企画

八代亜紀の芸能界との出会い
中学校を卒業後、熊本のバス会社に入社するも、どうしても歌手になりたく15歳の時に親の反対を押し切り上京し銀座のいクラブ歌手としてステージに上がる。

1971年、21歳の時「愛は死んでも」でテイチクからデビューする。同年、オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場。10週連続勝ち続けグランドチャンピオンに輝く。

大ヒット曲
1973年2月5日(昭和48年)、八代4枚目のシングル「なみだ恋」が120万枚のヒットを飛ばし、第15回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞。そして、第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

大ヒットしたその後、日本全国を走るトラックのドライバーたちに大きな支持を受けるようになります。そのような彼らを世間では”トラック野郎”と呼ぶようになったのです。その彼らが今度は八代亜紀の事をこう呼ぶようになります。

「八代観音」

これだけで済むよう彼らではありません。ついには大型トラックのボディに八代亜紀の顔を描くドライバーまで現れます。さらには、このブームにつづけとばかりに公開された映画「トラック野郎」の主演を演じたのが俳優・菅原文太と愛川欽也でした。

そして、このシリーズの「トラック野郎・度胸一番星」に女・運転手の紅弁天役で登場したのが八代亜紀本人。そして、挿入歌は八代の「恋歌」。配給収入も10億円を突破します。

その後も八代亜紀の「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発していく。

慰問
このようなヒットを飛ばしつづけていく八代でしたが、このような活動もしていました。それは、女子刑務所への慰問です。空き時間を見つけては足を運んでいました。日本のすべての女子刑務所を訪問しております。

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