木村多江のオーラ診断(前編)
この気付きのことですが。それは1本のドラマとの出会いからはじまります。この役柄で人間の肉体と魂がどういうものであるのかを知ります。そしてここが人生の分岐点だと言う事も。
どうぞ、このつづきをご覧になってみてくださいませ。
プロフィール
生年月日 1971年3月16日
出生地 東京都
本 名 木村多江(きむらたえ)
身 長 162センチ
血液型 A型
学 歴 白百合学園~昭和音楽芸術学院卒
事務所 融合事務所
特 技 バレエ、日舞
スピリチュアルチェック
〇 自分の性格を一言で言うとなんですか?
「激しい性格だと思います。」
〇 生まれ変わるとしたら何になりたいですか?
「歌の凄く上手な人に生まれ変わりたいです。」
〇 あなたのストレス解消法はなんですか?
「踊る事です。」
〇 あなたの座右の銘はなんですか?
「反省すれど後悔はせずです。」
〇 何か不思議な体験はありますか?
「父が亡くなって、初めて、その後すぐした仕事の時に舞台だったんですけれど。客席に父が座っていました。」
〇 人生の転機はいつですか?
「やっぱり父が亡くなった21歳の時です。」
霊感
元々木村は舞台女優としてデビューするのですが「らせん」や『救命病棟24時』の出演で世間に知れ渡るようになります。
今ではドラマや映画にと、多くの作品に出演し活躍している木村多江ですが、実は霊感が強く、若い頃からスピリチュアルに興味をもっていたらしいのです。
やはり、この番組、「オーラの泉」はかかさず見ていたと言います。
この番組の出演も以前から、ずーっと念を送っていたと木村はいいます。
こんな木村多江が番組に出演する前に、江原と美輪はこう印象を述べています。
「見かけは美しいのですが、中身は鉄壁のお城のような強い人ですよ」
父親の死
木村多江の父親が亡くなったのは彼女が21歳のときで、この父親が亡くなったのは自分の責任だと木村は語りはじめました。
その経緯とは、実は、木村は父親とそりが合わず、いつも言い争いばかりしていました。これには、父親もかなりのストレスを感じていたようです。
そして、木村多江と喧嘩した直後、父親は突然死をしてしまいます。
この原因が自分にあると木村はいつも自分自身を責めつづけていました。これに木村自身は父親をなくした罪を継ぐなう原罪意識を持ち続け、
「これだったら、いっそ死んだ方が楽!」
だが、行き続けらながら罪をつぐなうことを選びながら生きてきた。
自分は不幸なのだと自身に言い聞かせ、この不幸を選択してきたという。
このときの出来事が後に木村が自他共に認める
「日本一不幸が板に付く女優」と呼ばれるようになる原因となります。
ドラマの出会い
2005年4月15日に放映されたドラマ「雨と夢のあとに」木村は小柳暁子の役柄で出演します。
あらすじ:
このドラマは二人暮しをしていた中学生の娘とその父親が主人公です。父は自らの趣味とする蝶の採集で度々外出していました。ある時、台湾に「コウトウキシタアゲハ」という幻の蝶を捕まえようと出かけたのですが、不慮の事故にあってしまい帰らぬ人となってしまいます。
父は娘に対する思いから、幽霊となって娘のもとに帰ってくるのですが、自らが死んでいることには全く気付いていません。しかし、ある日同じマンションに住んでいる隣人(木村多江)が隣の娘の父親が幽霊である事を知ります。
そして、その父親に対し自らが幽霊であることを知らせるのです。
木村多江の感謝
ドラマの終了後、木村はこの事に気が付きこう言いました。
「”例え死んでも魂は残っている。間違いなく残っている”」
そう理解した瞬間。木村は、罪の意識が不思議と消えたとこう語ります。
「人生は何事も必然であり、起こるべきして起きていると分かりました。この時からすべての事に感謝できるようになりました。」
それ以来、木村多江は自分は生きてもいいんだと思えるようになったと言います。
そして、江原はこのように指摘します。
「いつも他人との感覚の違いを感じ苦しんできたのは、実は木村さんの魂の歴史に原因があります。」
さて、この魂の歴史に何があったのでしょう。
このつづきは、
木村多江の若い頃や夫をオーラ診断(後編)
をご覧ください。