長嶋一茂のオーラ診断・前編
この怖い夢の津波。これは本当に恐怖でした。現役時代からずーっと見つづけていました。ところが引退と同時に消えるようになくなってしまいます。ところが、この津波の夢が再び襲ってきたのです。
どうぞ、ごゆっくりと続きをご覧くださいませ。
プロフィール
生年月日 1966年1月26日
出生地 東京都大田区田園調布
本 名 長嶋一茂(ながしまかずしげ)
身 長 181センチ
体 重 90キロ
血液型 B型
学 歴 立教高校、立教大学卒
職 業 元プロ野球選手、タレント、俳優、スポーツキャスター、野球評論家、
スピリチュアルチェック
〇 自分の性格を、一言で言うと?
「両極端な性格だと思います」
〇 小さい頃、なりたかった職業は?
「飛行機のパイロット」
〇 よく見る怖い夢は?
「津波の夢です」
〇 最も鮮明に覚えている子供の頃の記憶は?
「父とのキャッチボールですかね。野球をよく教わっていたので」
〇 なくなったら困るものは?
「やっぱり家族です」
長嶋一茂の野球人生
1980年のシーズン終了前に巨人軍の長嶋監督の解任のニュースが突然、報道されます。
この時、この報道をテレビで見ていた中学生の一茂はこう思います。
「父親が監督を解任されたのが本当に悔しくて、悔しくて、絶対、プロ野球選手になって父親の仕返しをしてやる!」
そして、一茂は田園調布中学から父親と同じ立教高校へ進学します。
中学時代は陸上部でしたので高校の硬式野球部への入部は初心者も同然です。
本腰を入れ野球に取り組むも、あまりにも父親の存在が大きすぎて毎日、毎日、重圧を感じつづけていました。
そして、一茂はこんな事を感じていたのです。
「自分は父親を超えることができるのだろうか、本当にプロ野球選手になれるのだろうか。」
「怖い夢」
一茂がよく見る「怖い夢」のことについてこう言います。
「野球をしている時は、落ちて死ぬ夢ばかり毎日見ていました。そればかりか、津波に襲われる夢もその日に出てくるのです。とっても怖かったですね。飲み込まれないように必死の思いで逃げていました。」
「でも、プロ野球を引退してからは、このような夢は見なくなりましたね。」
さらにこうつづけます。
でも、ここ最近、2-3年ぶりにまた見るようになりました。以前と違うのが波の高さです。10メートル以上もあったのが半分以下になって、飲み込まれずに無事に助かるのです」
ここで江原が夢に出てくる津波についてこう言いだします。
「この津波は一茂さんに対しての周りからの嫉妬が津波となって出てきています。あなた自身が何らかの形で受けているから、このような形で出てきているのです。」
「プロ野球の現役時代は父親の事が常についてまわりました。そして、タレントになった時はそれが半減したのです。」
長嶋一茂と氏神様
ここで江原が霊視を始めこう言います。
「今までに見たことのない映像が見えます。その真後ろに富士山がそびえ、着物を着た高貴な女性の姿が見えます。この女性の正体は『コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜比売:安産や子育ての神)』です。」
「この女性は富士の浅間神社に祭られている神様になります。父親の長嶋茂雄さんと一茂さんはこの神様に、ものすごく強く守られています。長嶋家の氏神様は浅間神社です。」
と言い放つと。
一茂がこう告白します。
「人生の転機にはよく、ここにお参りに行っていました。」
オーラの色
一茂のオーラはピンクのような紫色(情愛が深く洞察力に優れたエネルギーを持ち、広い視野で物事を捉えることができますので、芸術面にも優れています。人を引き付ける魅力を持つ一方で、個性を追い求めてしまうために冷静になれないような一面も兼ね備えています。)
このオーラはものすごく優しく、気配りがあって細やか、このオーラ自体も大きい。
しかし、一茂自身は、周囲には常に気を遣っている。でも本人は時々、そんな自分が嫌になり疲れを生ずることもあるという。
節目
ここで江原が美輪の耳元でささやきはじめます。
このパターンになるとテレビでは公開出来ない内容が随分多くあります。
普通は絶対に聞くことができません。
すると、意外や意外。
美輪がこう言いだします。
「どうぞ、おっしゃっていいわよ。」と了解がでます。
そして、江原がこう話だします。
「実はね、一茂さんが、今、このオーラの泉にいらっしゃっていること、このこと自体が節目なのです。」
いったい、何のことなのだろう。
長嶋一茂にとっての人生の節目とは・・・
このつづきは、
「長嶋一茂の性格をオーラ診断・中編」
をご覧ください。