テレニン晃子の癌との戦い支える夫 「ゆりちかへママからの伝言」

テレニン晃子の癌の病気を支える夫のレオニドと
「ゆりちかへママからの伝言」

私のお腹の中にリョーニャ(パパ)の子供が授かった時は天にも昇る嬉しさが込み上げてきました。ずーっとずっと、待っていた我が子の存在。だけど、この喜びとは反対にある病が襲い掛かってくるとは思ってもいませんでした。そして、医師が私にこう迫ってきたのです。

そうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1972年2月6日
出身地 佐賀県唐津市
本 名 テレニン晃子(てれにんあきこ)
学 歴 西南学院大学卒

喜びの日々
2002年4月1日、晃子は30歳の時にロシア人のテレニン・レオニドと結婚。2005年の夏のことでした。いつもと違う体の異変に病院を訪ねると。お腹に子供が授かっていることを知ります。この知らせは、晃子にとって最高の喜びであり幸せでした。

新しい生命の誕生。本当に毎日が楽しく充実していました。
そんな秋の事です。

一転
突然、腰痛が。普通の痛さとは思えないほどの激痛でした。これは異変と感じた晃子は病院へ急ぎます。診断の結果、脊髄に悪性の腫瘍があることが分かります。生存確率は、5年後の40パーセントでした。

この治療には抗がん剤投与と放射線治療をおこなう必要がありましたが、妊娠中にこの治療をおこなうと、お腹の中に今いる胎児の生命を失う可能性がありました。晃子は自分の生命と、この胎児の生命のどちらかを選択する必要に迫られます。

決意
この事を聞いた晃子の母親は、自らのお腹を痛めた我が子の命を守りたい。その一心で子供の出産に猛反対をします。
そして、晃子にこう言います。

「子供のいない夫婦はこの世の中にたくさんいます。だから、子供を諦め病気を治す事に専念しなさい。お願いだから」

この事を聞いた晃子は旦那のレオニドと相談しました。
そしてその結果、自分の命より、お腹の中の赤ちゃんの命を守ることを決意したのです。2006年2月6日、帝王切開で無事に女児を出産します。

伝言
その後、晃子は車椅子での生活が始まり治療と育児の毎日がつづいていきます。そんな時でした。晃子はこの子に私のメッセージを残す事を思いつきます。

2007年3月、癌が首や脳に転移し筆を持つことさえできない状態になってしまいました。この時は、悩むことなく自分自身の声のメッセージを残すことにしたのです。

そして、2008年2月25日、晃子は最期のメッセージを書き終えます。
享年36

美輪明宏の言葉
「亡くなったのではありません。子供の側で今でも一緒に生き続けています。」

江原啓之の言葉
「残された家族には悲しみがあるでしょう。でも、人生で一番大切な事は、どれだけ長生きしたかではなく、どれだけ思いを込めたかになります。」

「一緒にいる間にどれだけの愛情を込めることができたかです。愛情を込めれば込めただけ、悔いが残りません。みんな一人で生まれ、一人で死んでいくのです。時間は無限にあるように思われますが、本当は限られています。」

「今、この瞬間を大切に生きていかなければなりません。」

書籍
「ゆりちかへ・ママからの伝言」著者 テレニン晃子

はじまり
ママはリョーニャ(パパのこと)が大好きです。本当に出会えて良かったと思います。考えれば遠い遠い国でお互い産まれて全然違う環境で育って、こうしてめぐり会うんだから不思議でなりません。初めてリョーニャから電話をもらったときは変な人だなと思いました。

ドラマ
2013年1月26日、名古屋放送テレビ開局50周年特別ドラマ「ゆりちかへ・ママからの伝言」としてテレビ朝日系列で放映されました。

現在
娘のテレニン柚莉亜(ゆりあ)さんは14歳の中学生になりました。旦那のテレニンレオニドさんは娘には母親が必要だということでロシア人の女性と再婚します。

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