戸田恵子の前世と現在をオーラ診断 世の中の順番

戸田恵子のオーラ診断

ある日、突然のことです。人生を二人三脚で共に歩んできた母親が私の事を忘れてしったのです。認知症のはじまりでした。今までのような親子のコミュニケーションをもう取ることができない。でも、これは世の中の順番の中にあるの。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1957年9月12日
出生地 愛知県
本 名 戸田恵子(とだ けいこ)
身 長 154センチ
血液型 O型
学 歴 駒沢学園女子高校卒
事務所 ルックアップ

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「音楽の先生です」

〇 性格を一言で言うと何ですか?
「穏便に済ませたい平和主義者です」

〇 不思議な体験を教えてください。
「九死に一生の体験が何度かあります」

〇 毎日欠かさずにする事は何ですか?
「母の仏壇に手を合わせ、花を供える事です

〇 心地よい音が聞こえています。どんな音ですか?
「母が亡くなる直前に歌っていました、優しい綺麗な母の歌声です」

芸能界
戸田は芸能界へと入る経緯をこう話し出します。

「私が小学5年生の時のことです。母親の勧めでNHK名古屋放送の児童劇団に入団しました。そして、テレビドラマ「中学生日記」の子役として出演します。その後、『日清ちびっこのどじまん』に出演して東海地区で優勝したこともあります。」

「このこと以外に母親は芝居だけじゃなく、剣舞、バレエ、ピアノ、お茶にお花、詩吟まで習い事をさせていました」

この事について江原がこう言います。
「母親は夢の塊みたいなものです。自分がやれなかったものを全て子供に託したのです。それは、いつも仕事、仕事で時間の余裕が無かったからです」

歌手デビュー
この事について戸田がこう話し出します。

「私は1974年2月に名古屋から上京します。そして、駒沢学園高校に入学した16歳の時でした。『ギターをひいてよ』でアイドル演歌歌手としてデビューを果たしたのですが、まったく売れません。」

「その後もシングルを発表するも、これまた売れませんでした。もう耐えきれなく、19歳の時に芸能界の引退を決意します。この事を母親に伝えますが、私のプライドの事を考え一言も言わずに、ただただ黙って見守ってくれていたのです」

この事に美輪がこう言います。
「黙っている方が百万言に勝る場合があるのです。言わず、語らず、我が思い」

劇団薔薇座
「その後、私は所属プロダクションの解散もあって、歌手を諦め「劇団薔薇座」に研究生として入団します。ここで舞台女優に転向です。」

「ここから本格的に演技の勉強を始めていきました。その結果、ミュージカル『ミュージックマン』で葦原英了賞。主演した『スイートチャリティ』で文化庁芸術祭賞(演劇部門)を受賞します。ここから劇団の看板女優として活躍しだします」

声優デビュー
「1979年に実写版『眠れる森の美女』のオーロラ姫役で声優デビュー。その後、アニメ『機動戦士ガンダム』のマルチダ・アジャン役でブレイクしました。」

「そしてここから、本格的な声優業としてスタートします。その後『ゲゲゲの鬼太郎』鬼太郎 役、『きかんしゃトーマス』トーマス 役、『それいけ!アンパンマン』アンパンマン 役で私は一躍人気者になっていきました」

女優デビュー
「そして、1994年『毎日が夏休み」で本格的に女優デビューを果たします。その後、三谷幸喜の脚本作品の映画『ラヂオの時間』では、日本アカデミー助演女優賞を受賞します。その後も活躍がつづき『ショムニ』や『ちゅらさん』等のヒット作に出演していきます」

「こんな多忙な仕事の中においても、私は自宅で認知症の母親の介護もしていました」

毎日欠かさない先祖への合掌
この事について戸田はこう話し出します。

「私の母親は美しいものが好きでしたので、何の花が好みだったのかは存じておりませんでしたので、綺麗な花をたくさん供えております。」

「母は10年以上も肝臓を患っておりました。その後、検査で癌が発見されたのと同時ぐらいに認知症になってしまったのです。この時から意思の疎通を図る事ができなくなりました。本当に難しい介護生活でした。この愛する母親が亡くなったは2005年の事でした」

コミュニケーション
ここで江原がこのような事を話し出します。

「コミュニケーションが取れない悩みは甘えられない事です。認知症をスピリチュアルな面から見ると、症状に本人の生き様が出てきます。それはこうです。」

「徘徊して歩く人は、今まで生きて来た人生において、逃げたい事がたくさんあった人です。さらに暴言を吐く人、この人は今までの人生で腹に据えかねた事がたくさんあった方になります。そして、異物等を食べようとする人、この人は食べる事に非常に困った時期があった方です。こうした方々の苦しんだ事に耳を傾ければ、それがコミニケーションになっていきます」

世の中の順番
つづけて美輪がこう言います。

「年を取っていくと先祖返りで赤ちゃんに戻るのです。赤ん坊に戻ったと思えば何でもありません。怒っても何にもなりません。」

「感情が出るという事は日頃の甘えがあるからになります。この時、こう思えばいいのです。親を越える時期が訪れた。いずれ誰でもそうなります。これが世の中の順番なのです」

さらにここで江原がこうつづけます。

「母親は今、戸田さんに憑依しています。花をたくさん選ぶのは、この母親が選んでいるからです。憑依されている戸田さんには自覚もなにも分かりません。」

「この憑依は戸田さん自身の生活を見届けていたい。こんな思いです。そして、この母親がこのようなメッセージを送っていますよ。」

”もう一人で大丈夫だね”

さらに母親がこうつづけます。
”今までは、気の休まる暇もなく、常に心配をしながら仕事に打ち込み辛い思いをしてきました。これからは、人の事を考えずに、自分のやりたいように自分のために時間を自由に使って生きていきなさい”

戸田は今までは母親と共に二人三脚で頑張ってきました。これから、一人で新たな人生のスタートを切ることになります。ここから戸田の人生は新たに変化していきます。

前世
アフリカの打楽器(ボンゴ)奏者、またはシャーマン(祈禱師)の男性になります。

戸田はこの前世のせいだろう台詞を読むのにいつも感情よりもリズムやテンポに敏感になってしまい。この事がでどうしても気になってしまうのです。

シャーマンらは自然霊を扱っているので、本領発揮する時は自然霊が活発に活動しているのです。声優の時のアニメの人格も同様に。

今世の勉強
ここで江原がこのような事を話し出します。

「一人でいるのが楽なのに、いつもカルマという荷を背負っています。前世がシャーマンですので結婚せず、聖なるものとして孤独な生活を送っていましたので喜怒哀楽を経験していませんでした。今世がその勉強になります」

結婚・離婚
1979年、22歳の時に共演を切っ掛けに池田秀一と結婚するも数か月で離婚。
1990年、33歳の時に井上純一と結婚するも2006年12月に離婚。
2019年、現在、未婚。

2015年現在は、女優業をメインとして活動しています。
声優としての活動は「アンパンマン」のみとなっていますが、時々ドラマ等の追加吹き替えをする程度にしています。

ドラマ
2017年7月13日、「遺留捜査・第4シリーズ」 佐倉路花 役。
2018年7月12日、「遺留捜査・第5シリーズ」佐倉路花 役。
2018年3月4日、「管理官 明石美和子 十四番目に来た女」明石美和子 役。

映画
2017年3月20日公開、「笑う招き猫」高城美子 役

テレビアニメ(声優)
2018年6月30日、「それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星」アンパンマン役
2019年2月8日、「劇場版シティーハンター 〈新宿プライベート・アイズ〉」来生瞳・泪役
2019年2月9日、「コードギアス・復活のルルーシュ」シャムナ役
2020年2月20日、「ヒーリングっど♥プリキュア」テアティーヌ役

現在は母親の助言通り、自分のために時間を自由に使い生きているようです。

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