中村俊輔の前世と現在をオーラ診断 不思議な体験 ドリブル

中村俊輔のオーラ診断

うぬぼれがどん底へと招待してくれた。どうもこの場所は俺の性に合わない。そして脱出することに。ここで待っていたのは今まで経験をしたことのない雑用だったのです。この経験等が後々の糧となりあの不思議なドリブルへとつながっていくのです。

どうぞ、このつづきをごゆっくりとご覧くださいませ。

プロフィール
生年月日 1978年6月24日
出生地 神奈川県横浜市
本 名 中村俊輔(なかむらしゅんすけ)
身 長 178センチ
体 重 71キロ
血液型 O型
学 歴 桐光学園高校 卒
所 属 横浜FC

スピリチュアルチェック
〇 小さい頃なりたかった職業は何ですか?
「ラーメン屋です」

〇 性格を一言で言うと何ですか?
「人見知りが激しい」

〇 人生を変えた言葉を教えてください。
「夢ある限り道は開ける」

〇 元気の源は何ですか?
「家族と過ごしたり、子供と遊ぶことです」

〇 人生の転機を教えてください。
「中学3年のときに挫折した事です」

〇 将来の夢を教えてください。
「指導者になって世界で通用するプレーヤーを育てる事です」

サッカーの出会い
この事について中村がこう話し出します。

「私は男四人兄弟の四番目でした。兄がサッカーボールをいつも蹴っているのを見ていました。そんな3歳の時のことです。兄が私にサッカーボールを転がしてよこしてくれました。自分の前にはじめて転がってきたこのボール触れ。そして蹴ってみました。」

「ここからです。サッカーというスポーツを知り、初めていくことになるのが。フィールドを走っている時の風やゴールを決めた時の爽快感がなんともいえませんでした。私は勉強よりもサッカーに夢中になっていきました」

ここで江原がこのような事を言います。
「中村さんは緻密でじっくりと考えるのが好きな人で、自分の時間を大切にする方です」

人生の転機「挫折」
中村が挫折した時の事についてこう話し出します。

「私は1985年、7歳の時に深園FCに入団し本格的にサッカーを始めました。1991年4月、横浜市立深谷中学に入学。そして、かなりの倍率の中、日産ジュニアユースに所属しエースの位置につくことになります。」

「ここからでした。自分自身にうぬぼれが現れはじめてきたのは。もう、すっかり天狗の状態がつづいていました。そして中学3年の時には、人間的に傲慢になりプレーもそうなっていました。」

「当然のようにレギュラーから外され、なげやりな毎日が続いていきました。気が付いた時には落ちこぼれの中の落ちこぼれです」

さらにこうつづけます。

高校進学
「この時です。私は今のままでは本当に駄目になってしまう。そう思い。過去の自分に対しての反省をしていました。そして、横浜マリノスのユースには行かず、桐光学園高校に進学しサッカー部に入部しました。」

「1年生でしたので、とにかく毎日が雑用が中心で練習どころではありません。こんな事は今まで経験したことがありませんでした。これが、とにかくきついのなんのって。毎日がぶっ倒れる思いでいました。今はこの時の苦労が本当にプラスに働いています」

ここで江原がこのような事を話し出します。
「中村さん。あなたは自分で気がつかないと駄目なタイプの人なのです。それに、自分が納得しなければ、絶対、人の意見を受け入れない方でもあります」

試合の記録
ここで中村がこの事についてこう話し出します。

「私は高校の頃から、試合での良かったところ、悪かったところを反省しながらノートにつづっています。何故なら、頭の中で試合内容をイメージするには、その内容を書き出していかなければ体が思うように動いてくれないのです。」

「数学の方程式のようなものです。新しいクラスに加わった際は周りを見つめるのに集中しています。自分の力を出すのはそれからになります」

ここで江原がこう言います。
「中村さんは分析が時々ネガティブに行きやすい方です」

つづいて美輪がこうつづけます。
「努力型の選手は安定していて息が長い方が多くいます」

神の視点
ここで中村が2002ワールドカップ落選の事についてこう話し出します。

「2002年5月、2002 FIFAワールドカップへの日本代表が有力視されていましたが、代表合宿で足首の怪我が長引いたのと、日本代表の監督を務めていたトルシエ氏の選考基準に合致しませんでしたので私は落選しました。」

「でも、中学3年の時の挫折に比べると、それほどの悔しさはなく、この事をバネにしたらもっと上に行く事ができると思いました。この事は落選する前から考えていました」

この事に江原がこのような事を話し出します。
「これは神の視点です。自分が神様になったつもりで自分を見ることができると、良い時も悪い時も、人生を輝かすことができるのです」

目標
この事について中村がこう話し出します。

「低い目標を描いて前進するよりも、高い目標を描いて前進する方が本当に楽しいです。それと、目標を描いている途中で勝てなかった場合、中学の時の挫折の頃に戻ってしまうような気がしてなりません。だから決して妥協したくありません。道がなくても、他の道を見つけ出す事の連続で前に進んでいます」

これに美輪がこう話し出します。
「調子が良い時に限ってすごいアクシデントが起きますからね」

不思議な体験 ドリブル
この事について中村がこのような話をしだします。

「フィールドのゾーンに入ると不思議と周りの歓声とかが聞こえてきません。私はこの時、無の状態になっているのでしょう。それと練習でしたこともないプレーをする時もあります。」

「そして、2003年6月、『FIFAコンフェデレーションズカップ2003』のフランス戦では、自分でも驚くほどのドリブルをしていました。この大会の時に3得点をあげ『ブロンズシューズ賞』を受賞しました。まったく練習したことのないドリブルでした。本当に不思議でなりません」

守護霊
守護霊は行者です。もう一人の守護霊の方は刀鍛冶をした方になります。
中村さんがいつもスパイクシューズに拘るのはこの影響からきています。

ここで江原が守護霊の伝言をこう伝えはじめます。
「色々と分析し過ぎて精神的に消極的になる時があります。そんなに分析する必要はありません。必要なのは深い反省ではなく、前向きな気持ちの切り替えなのです」

前世
公家です。中村さんは日本人の前世が多い方です。

水辺で内観
ここで江原が中村にこんな事を尋ねます。
「節目節目のときに、水辺によく行かれますか?」

これに中村がこうこう答えます。
「私は水辺は好きなので無意識に行っています。ここに足を運ぶと何故かひらめきが訪れます。気持ちが切り替わりますので水辺が好きですね。」

「イタリア・レッジーナに移籍した時もそうでした。海辺の街・レッジョ・ディ・カラブリアに住んでいた時も、ちょくちょく海に散歩に行っていました」

ヤタガラス
さらに江原がこう尋ねてきます。
試合中、風に乗っているような感じはありますか?」

この事に中村がこう答えます。
「風に乗っている感じというのか、相手選手を抜く時にスロー見えます。それに疲れません」

すると江原がこんな事を言います。

「実は、中村さんの後ろにヤタガラス(日本書紀や古事記に登場する伝説の動物、神の使い)がいっぱい憑いていて霊力をお借りているからです。プレー中に疲れないのは、ヤタガラスが追い風を吹かせているからです。」

ヤタガラスは日本サッカー協会のシンボルマーク。

自然界のエネルギー
この事について中村がこう話し出します。
「私は水辺が好きでよく行くのですが、それ以外に山や草原にも足を運んでいます。無意識に訪ねていくのは自然界からエネルギーを貰うためです」

この事に江原がこのような話をしだします。

「雲の上で杖を持っている仙人のような人が見えます。この方は霊的な世界の人になります。中村さんは、自然界に行かないとエネルギーをチャージする事ができません。そして、インスピレーションを受けている人なのです」

神様に好かれる
ここで美輪がこうつづけます。

「神様の援護射撃を受けるには資格が必要になります。まずは、愛されるに足りる人間であるかどうか。さらに、真直ぐで素直な人。このような人に神様が手を貸してあげたくなるのです。運を良くしたければ、神様に好かれるような人格に変える事です」

移籍
2017年1月7日、中村は横浜FMからは年俸1億2000万円の提示を受けていたのですが「サッカーだけに向き合い、燃え尽きたい」と8000万円を提示した磐田への移籍を決める。

シーズン30試合5得点を挙げ、昨季13位で残留争いをしていたチームを6位でシーズンを終えるなど加入一年目からチームの中心選手として活躍する。

怪我
2018年シーズン序盤は、レギュラーとして出場するも右足の怪我のためリーグ戦16試合の出場となり、Jリーグで自身初めてとなる無得点でシーズンを終える。

2019年1月9日、中村の磐田残留が報じられる。スタメン出場するも怪我の影響もあり、移籍が決定した7月まででリーグ戦2試合のみの出場となった。

J2
2019年7月11日、横浜FCへの移籍が発表されるも、自身初のJ2リーグのプレーとなる。

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